吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年11月21日/〈日記〉190・今年の「義士祭」中止へ

2007-11-21 08:10:33 | 日記
今年の「津屋崎義士祭」中止へ
天神町の「万松山新泉岳寺」


写真①:2006年に「万松山新泉岳寺」で営まれた「津屋崎義士祭」法要
     =福津市津屋崎天神町で、06年12月14日午前11時30分撮影

 福津市津屋崎天神町の「万松山新泉岳寺」で毎年12月14日に行われる「津屋崎義士祭」=写真①=が、今年は中止になりそうです。

 「新泉岳寺」は、津屋崎の実業家児玉恒次郎氏が大正2年(1913年)に建立した赤穂四十七士の墓です=写真②=。


写真②:境内に並ぶ赤穂四十七士の墓
     =「万松山新泉岳寺」で、06年12月14日午前11時02分撮影

 津屋崎義士祭は、毎年12月14日の討ち入りの日に、児玉氏の親族などの手で法要が行われ、墓参者に義士が食べたという〝討ち入りそば〟が振る舞われています=写真③=。06年は、約70人が参列、赤穂浪士の義挙を偲びました。


写真③:赤穂四十七士の墓参者に振る舞われる〝討ち入りそば〟
     =「万松山新泉岳寺」で、06年12月14日午後0時10分撮影

 ところが、今年は児玉氏の親族夫婦が病気や体調不良のため、中止せざるを得ないとして、21日からでも関係者に挨拶回りしたい意向です。以前の津屋崎義士祭は、地元の郷土史家らで組織した〈四十七士をしのぶ会〉(古野卯平会長)が昭和50年(1975年)から主催し、同60年(1985年)に会員の高齢化や「地域の人たちへの義士の心の理解も深まった」として会を解散、翌61年からの法要を児玉家に引き継いだ経緯があります。

 西鉄宮地岳線「津屋崎駅」が3月末で廃止され、人通りが減った〈津屋崎千軒〉通りで今年の「津屋崎義士祭」=写真④=が中止になるのは寂しい限りです。


写真④:境内周囲に立てられた「津屋崎義士祭」の幟
     =「万松山新泉岳寺」で、06年12月14日午前11時01分撮影

 23―25日には、福津市宮司のつやざきショッピングプラザ3階特設会場で「福津三十六景選定&つやざきショッピングプラザ開店5周年記念合同企画〝ふくつまつり〟」(実行委員会主催、市共催)が開かれます。23日には、渡半島の「第2回大峰山ぐるっと一周ウオークラリー」(実行委員会主催、(財)市公園管理センター共催)が催されるなど、〈津屋崎千軒〉通りの周辺では人が集まるイベントが計画されています。

 しかし、地盤沈下の〈津屋崎千軒〉を主舞台にした催しは最近、とんとありません。店の売り上げが落ち、空き家の情報が相次ぐ〈津屋崎千軒〉でこそ、もっとイベントを!
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2007年11月20日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉051

2007-11-20 13:09:13 | 行楽催事
〈11月の行楽・催事案内〉追加1


写真①:「ボランティアハウス・ふくま」で開かれている篠春雄さんの「切り絵作品展」
     =福津市中央3で、2007年11月20日午前10時11分撮影

福津市宮司の篠春雄さん
「ボランティアハウス・ふくま」で「切り絵作品展」

 福津市中央3の「ボランティアハウス・ふくま」1階で、同市宮司6の篠春雄さん(64)の「切り絵作品展」が開かれています=写真①=。

 津屋崎山笠の岡流の法被を着た親子=写真②=や、宗像大社(宗像市)の神宝館蔵の鎧兜=写真③=のほか、魚のミノカサゴ、「旅の思いで」と題した日光東照宮など23点の作品を展示。多彩な題材が、鮮やかな切り絵で描かれています。


写真②:津屋崎山笠の岡流の法被を着た「岡流 親子」の切り絵作品
     =「ボランティアハウス・ふくま」で、20日午前10時11分撮影


 26日(月)午後1-3時には、切り絵の実演と解説の無料体験教室も開くという。入場無料。12月7日(金)まで(毎週水・日曜休館)。問い合わせは、「ボランティアハウス・ふくま」(℡0940-42-9071=午前10時―午後6時。水・日曜休館)


写真③:宗像大社神宝館蔵の鎧兜の切り絵作品
     =「ボランティアハウス・ふくま」で、20日午前10時10分撮影
                           
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2007年11月19日/〈日記〉189・「津屋崎干潟」清掃

2007-11-19 12:34:15 | 日記
写真①:「津屋崎干潟」を清掃する人たち
     =福津市渡の「津屋崎橋」北側で、2007年11月19日午前10時07分撮影

 「津屋崎地域郷づくり推進協議会」(吉永光明会長)から、「津屋崎干潟清掃&調査報告会への参加について」(お願い)と題した文書が郵送されてきましたので、19日午前10時から福津市渡の「津屋崎干潟」の清掃にボランティア参加しました=写真①=。

 「汚れてもよい靴、服装でお越し下さい。軍手、帽子、水筒、昼食などは各自ご用意下さい」と文書に書いてあるのを見て、長靴を持っていないことに気付きました。雨の日は車で出かけるので、長靴を履いた記憶は最近ありません。で、福津市福間の靴店で18日、長靴を買いました。2,490円也。ボランティアには、出費が伴うものです。

 さて、この清掃&調査報告会は、福津市と津屋崎小学校、九州工業大学、FFC福岡エコ・コミュニケーション専門学校の4者主催。「津屋崎地域郷づくり推進協議会」でも、環境部会で「津屋崎干潟」の保全事業を計画していることから、推進協のメンバー全員で参加しようと要請がありました。

 津屋崎漁協そばのお魚センター前で受付を済ませ、一般参加者25人が津屋崎橋周辺の干潟でゴミ袋を手に清掃スタート。別グループのFFCの学生は、堅川の内海付近で、また津屋崎小学生は干潟の最奥部を受け持って約1時間かけて清掃しました。ガラス片や乾電池、発砲スチロールなど集めたゴミは多く=写真②=、係留のレジャーボートや釣り客らが放置したと思われるロープや飲料水の空き缶なども目立ち、利用者のマナー低下が浮き彫りになりました。


写真②:「津屋崎干潟」で収集されたゴミの山
     =「津屋崎橋」西側で、19日午前10時54分撮影

 午後1時からは、津屋崎小体育館で調査報告会。和田年史・鳥取県立博物館山陰海岸学習館員の「環境教育における科学的調査の重要性」と題した講演のあと、FFCの学生代表が平成19年度のカブトガニの産卵調査結果を報告しました。
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2007年11月18日/〈日記〉188・「名呑池」改造工事その後

2007-11-18 09:04:36 | 日記
写真①:南側堰堤の西隅が削られた「名呑池」
     =福津市在自で、2007年11月17日午後4時54分撮影

 11月7日の〈日記〉184で、拙宅近くにある福津市在自の農業用溜め池「名呑池(なのみいけ)」の堰堤改造工事が進んでいることを取り上げましたが、17日までに南側堰堤の西隅が削られて池が見通せる状態になっています=写真①=。

 草がはえていた堰堤南斜面は、階段状に土が削られ、以前の面影はありません。堰堤下にあった田んぼは、土で埋められています。運動広場でも造って、南斜面の階段から観客席として見下ろせるようにする計画でもあるのでしょうか。田園地帯の溜め池が都市公園風の人工池に変身するような気がして、いただけない感じです。

 この「県営ため池等整備事業(一般)名呑地区堤体工事」期間は来年3月19日までとの表示がありますが、コンクリートの寒々とした堰堤に改造されそうな予感がします。18日朝、北側の堰堤から南を見下ろすと、水がなくなった池の向こうに橙色のパワーシャベルだけがやけに目に付きました=写真②=。


写真②:水がなくなった「名呑池」の南端に見えるパワーシャベル
     =福津市在自で、11月18日午前7時20分撮影
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2007年11月17日/〈津屋崎の四季〉176・寒風に群れる野鳥

2007-11-17 18:03:33 | 風物
写真①:電線に止まった13羽のカササギたち
     =福津市津屋崎的岡で、2007年11月17日午後5時撮影

 きょう17日の福津市津屋崎は終日、寒風が吹いていました。強い北風に吹き飛ばされそうになった野鳥たちが、群れて集団行動をしている姿が目に止まりました。

 的岡の住宅の電線に止まっていたカササギ(カラス科)は、13羽もいました=写真①=。

 末広の農道では、ハクセキレイ(セキレイ科)が、10羽も舞い降りていました=写真②=。


写真②:農道に舞い降りたハクセキレイの群れ
     =福津市津屋崎末広で、17日午後2時47分撮影
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2007年11月16日/〈津屋崎まちなみ散策〉001・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉12・馬車鉄道跡

2007-11-16 10:44:15 | 津屋崎まちなみ散策
〔お断り〕
 これまで〈海とまちなみの会〉のカテゴリーで〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉を11回(「オガンタン」)まで連載してきましたが、2007年9月に「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のホームページブログが開設されたのに伴い、今後の連載を〈津屋崎まちなみ散策〉の新カテゴリーに掲載することにしました。


写真①:〝馬つなぎの松〟があった「馬車鉄道跡」に建つアパート
     =福津市津屋崎天神町で、2007年11月15日午前7時32分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 12 

:天神町の馬車鉄道跡

 福津市津屋崎天神町の「津屋崎橋」のすぐ東に「馬車鉄道跡」があることを知っている人は、あまりいないようです。

 今は、2階建てのアパート「セジュール天神」が建っています=写真①=。私が小学生だった昭和30年代初めまでは空き地で、松の木が何本か立っていた記憶があります。この松は6本あり、津屋崎馬車鉄道の終点で馬をなわでつなぐ〝馬つなぎの松〟と言われていたそうです。

 この終点から馬鉄のレールが、東側の津屋崎公民館のある所に向かって敷かれていました=写真②=。


写真②:天神橋から見た〝馬つなぎ松〟跡と「津屋崎公民館」方向
     =福津市津屋崎天神町で、11月15日午前7時32分撮影

 馬車鉄道は、明治40年(1907年)に設立された「津屋崎軌道」が経営。九州鉄道(国鉄)福間駅前から宮司の「宮地嶽神社」鳥居前停車場を経て津屋崎駅まで延長3.8㌔を運行、線路幅91.4㌢の小鉄道を1頭立ての馬車で木製の客車(乗客16人乗り、前後に御者台付き)を引き、時速約10㌔でした。

 明治41年に開業した福間―宮司間を約12分、翌42年8月開業の宮司―津屋崎間を約13分で結び、福間―津屋崎間を約25分で走りました。駅員だった津崎米夫さん(82)(福津市新東区)によると、運賃は福間―宮司間が片道13銭、往復20銭。当時、うどん1杯が5銭、豆腐2丁が10銭だったという。

 馬車は客車9両、貨車2両あり、御者12,3人、主に女性の車掌が乗務。大正8―10年(1919-21年)の最盛期には、年間約18万人の乗客を運んでいましたが、昭和初期に登場したフォードの4人乗りの幌付き自動車(通称〝銀バス〟、10人乗り)のスピードに圧倒され、客を奪われました。

 大正13年(1924年)には、博多湾鉄道汽船(湾鉄)に合併され、乗合バス時代の到来で衰退、宮司―津屋崎間が昭和8年ごろ廃止、福間―宮司間も同14年3月廃止となりました。津崎さんが昭和14年に撮影した馬鉄の写真が『津屋崎町史 通史編』に掲載されています=写真③=。


写真③:津崎さんが昭和14年に撮影した馬鉄
     =『津屋崎町史 通史編』掲載

馬鉄跡
福津市天神町の馬車鉄道〝馬つなぎの松〟跡・位置図
      (ピンが立っている所)
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2007年11月15日/〈津屋崎の四季〉175・津屋崎の日の出とカワセミと

2007-11-15 09:34:00 | 風物
写真①:在自山(左側)と宮地岳の間から昇る朝日
     =福津市津屋崎末広で、2007年11月15日午前7時15分撮影

 きょうは、朝からいい気分です。まず、福津市津屋崎末広の県道502号線で水路越しに見た日の出が、あまりに美しかったからです=写真①=。

 在自山(標高249㍍)と宮地岳(標高182㍍)の間から、オレンジ色の朝日が、静かに昇って来ました。両山の間の山麓にあった「海雲山善福寺」が火事になった際、仏像の観世音が寺から福津市出口の「善福寺」まで飛んで来て難を避けたという言い伝えのある大力谷あたりから昇ったようで、神妙な気持ちになりました。


 このあと、実家のある福津市津屋崎天神町の新川を訪れたところ、西側のコンクリート堰堤にカワセミ(カワセミ科)の姿を見つけました=写真②=。ヨォ! 久しぶり。元気でいたんやね――と、また嬉しくなりました。

 逆光で遠距離からの撮影で、不鮮明な写真です。もう少しシャッターチャンスをと思っていたら、車が走って来たため飛び去ってしまいました。


写真②:コンクリート堰堤に止まったカワセミ
     =福津市津屋崎天神町で、15日午前7時41分撮影
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2007年11月14日/〈津屋崎の四季〉174・今年の柿は豊作

2007-11-14 10:30:45 | 風物
写真①:びっしりと熟れた実を付けた柿の木
     =福津市津屋崎新東区で、2007年11月14日午前7時11分撮影

 福津市津屋崎は14日朝、快晴です。新東区の住宅に植栽された柿の木に、熟れた実がびっしりと付いている=写真①=のに気付きました。今年は、柿の実の豊作のようです。

 福津市堅川の「津屋崎干潟」では、冬鳥のマガモ(カモ科)の姿が増えました=写真②=。青い首をしたカモの群れは、浅瀬をせわしなく泳いでいます。


写真②:「津屋崎干潟」の浅瀬を泳ぐマガモの群れ
     =福津市津屋崎堅川で、14日午前7時23分撮影
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2007年11月13日/〈津屋崎の四季〉173・塩倉庫のジョウビタキ

2007-11-13 10:16:46 | 風物
写真①:赤レンガ造り平屋の旧熊本塩務局塩倉庫
     =福津市津屋崎土居で、2007年11月13日午前8時06分撮影

 13日朝、久しぶりに福津市津屋崎土居の「塩倉庫」そばの津屋崎干潟で探鳥しました。

 「塩倉庫」とは、旧熊本塩務局塩倉庫=写真①=のこと。明治時代に塩専売制を敷いた政府が、「津屋崎塩田」で生産された塩の品質検査をした倉庫で、赤レンガ造り平屋の建物は壊れかけています。

 かつて九州一の生産高を誇った「津屋崎塩田」の繁栄を今に伝える〝近代化遺産〟の一つといえるでしょう。

 塩倉庫そばの木の梢に、雌のジョウビタキ(ヒタキ科)が止まっていました。この朽ちかけた赤レンガの倉庫の行く末を想っているかのような、まなざしに見えてなりません。


写真②:塩倉庫そばの木の梢に止まった雌のジョウビタキ
     =福津市津屋崎土居で、13日午前8時12分撮影
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2007年11月12日/〈日記〉187・夕暮れのイソヒヨドリ

2007-11-12 21:55:34 | 日記
写真①:電線に止まった2羽のイソヒヨドリのシルエット
     =福津市津屋崎天神町で、2007年11月12日午後5時3分撮影

 12日午後、旅行先の大阪から福津市津屋崎へ帰省しました。

 11日の大阪天満宮といい、12日朝に訪ねた神戸市といい、都会には野鳥の姿はほとんどない感じでした。わずかに10日夕、久しぶりに見物した大阪城のお堀に、カモ類のホシハジロとコガモの群れが飛来していたくらいです。

 そんななか、12日夕暮れ、福津市津屋崎天神町の「新川」西側の道路を歩いていると、電線に2羽のイソヒヨドリ(ヒタキ科)=写真①=が止まって、しきりに鳴いていました。薄暗く表情は分かりませんでしたが、野鳥がすぐそばにいる津屋崎の自然と町の佇まいに、ほっとした安らぎを感じました。
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