写真①:「公共広告機構」の提供で「津屋崎の浜で採れる貝の標本の記録発見」の環境保護キャンペーン広告記事を掲載した平成5年(1993年)8月27日付読売新聞
=福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年4月1日撮影
貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 4
:東北大震災CMと津屋崎
2011年3月11日の「東北大震災」から1年が経過しました。その大震災後のテレビやラジオで繰り返し流されたCMが、目に焼き付き、耳に残っている人も多いのではないでしょうか。
最近、流されていた金子みすゞの詩「こだまでしょうか」は、記憶に新しいのでは。
〈「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。〉
このCMは、メディアを通した公共広告で啓発活動を行っている公益社団法人ACジャパン(エーシージャパン、ADVERTISING COUNCIL JAPAN。旧「公共広告機構」)の提供でした。この旧「公共広告機構」の名前から、私の右脳に19年前に見た読売新聞の広告記事の影像が蘇りました。そうだ、あの記事はスクラップしていたはず!
それは、「公共広告機構」の提供で平成5年(1993年)8月27日、読売新聞など新聞各紙に1㌻の3分の2を占めるほど大きく掲載されました=写真①=。
江戸時代後期の寛政12年(1800年)、津屋崎の浜に遊びに来た6歳になる第10代福岡藩主・黒田斉清(なりきよ)公に贈られた「津屋崎の浜で採れる貝の標本」の記録が発見されたことが、「200年後も、また会いたいな。」の大見出しと、貝の図=写真②=や津屋崎浜の写真付きの広告記事で紹介されたのです。
写真②:第10代福岡藩主・黒田斉清公に献上された21種類の貝の絵図(平成5年8月27日付読売新聞掲載の広告記事から)
「津屋崎の浜は、今も約400種の貝たちがいる福岡県内でも有数の生息地なんだよ。この大切な財産を100年後も、200年後も先の人々に残してあげたいね。」、「この貝たちを守るためには、まず海を汚染から守ることが大切なんだ」=写真③=と呼びかけています。
写真③:「海を汚染から守ることが大切なんだ」と呼びかけている公共広告機構の広告記事(平成5年8月27日付読売新聞から)
「貝寄せ館」開館記念催事として展示している「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」のコーナーに、この広告記事を掲載した読売新聞を掲示しています。