吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2013年5月7日/〈日記〉501・「国民栄誉賞」表彰式

2013-05-07 18:52:21 | 日記

写真①:「周南移動支局」を笑顔で視察される長嶋茂雄巨人軍監督(左は説明する私)

   =1996年2月29日、山口県下松市の「ザ・モール周南」で

 長嶋監督、松井選手、おめでとうございます!

「国民栄誉賞」表彰式

 「ミスター・プロ野球」として球界の人気を高めた読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(77)と、巨人と米大リーグ・ヤンキースで活躍、引退した松井秀喜氏(38)の師弟に5月5日、国民栄誉賞が授与されました。東京ドームで行われた表彰式のテレビ中継放送は、「貝寄せ館」のガイド当番と重なり、生で見られず残念でしたが、録画したビデオを帰宅後に再生して観覧、両氏の偉業に拍手を送りました。

 私は読売新聞西部本社に勤めていた当時、巨人軍監督時代の長嶋氏に2回お目にかかる機会がありました。笑顔が素敵で、気さくなミスターでした。

 1回目は、読売新聞が17年前の平成8年(1996年)2月29日、山口県下松市の「ザ・モール周南」で開催した新聞製作の現場を地方都市の会場に移して地域交流の輪を広げる企画イベント・「周南移動支局」を当時60歳の長嶋監督が視察された時です。「移動支局とは、記者さんが車で移動するんですか?」と、長嶋監督から聞かれ、山口総局長だった私が「記者がこの会場で取材し、パソコンで記事や写真を本社に送信、移動支局新聞号外を発行します」と説明しました=写真①=。

 この翌日の3月1日、山口県徳山市野球場(現周南市野球場)で、巨人対ダイエー(王貞治監督)のオープン戦が開催。私は試合開始前、55番の背番号の巨人軍ユニフォーム姿で打撃練習する松井秀喜選手をネット裏から観ました=写真②=。

 

写真②:55番の背番号の巨人軍ユニフォーム姿で打撃練習する松井秀喜選手

     =1996年3月1日、徳山市野球場(現周南市野球場)で撮影

 読売巨人軍からは、松井選手のサイン入り色紙=写真③=もいただき、今もお宝として保管しています。

 

写真③:松井秀喜選手のサイン入り色紙

 その後、読売新聞西部本社の代表室長に転任していた平成12年(2000年)には、宮崎市の宮崎県営球場での巨人軍スプリングキャンプを訪れる保科昭彦同本社代表(前読売巨人軍球団代表)に同行、長嶋監督のキャンプでの活躍ぶりを見ることができました。この時、球団広報からいただいた「スプリングキャンプ」会場へのフリーパスになる帽子=写真④=を、今は「貝寄せ館」で〈津屋崎千軒〉のガイドを務める際に着用しています。

写真④:2000年の宮崎市での「巨人軍スプリングキャンプ」帽子

  1995年10月16日、読売新聞が山口県宇部市の同市シルバーーふれあいセンターで開いた「宇部移動支局」では、会場で巨人軍のユニフォームを試着できるコーナーを設け、私も試着してみました=写真⑤=。野球好きの私は、巨人の一員になったようで嬉しくなりました。

 

写真⑤:巨人軍のユニフォームを試着した私

    =読売新聞「宇部移動支局」会場で

 長嶋監督、松井選手、「国民栄誉賞」表彰、本当におめでとうございます。

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