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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年1月21日/〈日記〉83・櫛田神社に「初宮参り」

2007-01-21 21:38:16 | 日記

写真①:博多の総鎮守・櫛田神社
     =福岡市博多区上川端町1で、2007年1月21日午前11時21分撮影

 生後1か月になる初孫の「初宮参り」で1月21日、長男夫婦ら家族と福岡市博多区上川端町1の櫛田神社=写真①=に参拝しました。

 初孫は、長男夫婦の女の子です。長男の妻の実家が博多区にある関係で、この日は長男の妻の両親と私たち夫婦も一緒に、博多の総鎮守〝お櫛田さん〟への「初宮参り」に。本殿に上がり、神主さんに赤ちゃんの健やかな成長を祈願していただき、家族一同喜びの一日となりました。

 日曜日の正午前からの祈願とあってか、「初参り」の赤ちゃんが4組のほか、厄除けや購入した新車の交通安全の祈願客もあり、本殿の祈願客席は満員状態。長男夫婦に付き添う私たち家族には椅子席は用意されず、祈願の儀式が執り行われた約30分間は立ったまま。おまけに、この間、他の祈願客の連れて来た男児2人が祈願客席の背後を走り回ったり、初孫の名前が神主さんに読み上げられる祝詞のくだりは航空機の騒音で聞き取れませんでした。儀礼を重んじる「博多祇園山笠」の晴れ舞台として、天下に聞こえた櫛田神社にしては、いささか残念でした。

 それでも、祈願儀式の間、泣きもせず大人しく神主さんのお払いを受けていた初孫の笑顔が、なによりも嬉しい気分にさせてくれました。

 久ぶりに訪れた櫛田神社境内には、7月の「博多祇園山笠」の飾り山=写真②=が飾られていました。本殿の前には、地下からミネラル分を含んで湧き出る〝不老長寿のいのちの水〟と信仰される「霊泉鶴の井戸」=写真③=もあり、天正15年(1587年)、現在の社殿が造営された豊臣秀吉によって博多が復興された時代に、博多の町に築かれた瓦礫を塗り込んで作られた「博多べい」=写真④=も移築されています。


写真②:博多祇園山笠の飾り山
     =櫛田神社で、21日午前11時11分撮影


写真③:「霊泉鶴の井戸」
     =櫛田神社本殿前で、21日午前11時38分撮影


写真④:「博多べい」
     =櫛田神社で、21日午前11時16分撮影

 このほか、〝オッペケペー節〟で有名な博多出身の川上音二郎が土地を神社に寄進したのを記念した石碑・「川上音二郎の寄進碑」=写真⑤=や、横綱双葉山や朝青龍など有名力士が持ち上げた「力石」=写真⑥=などもあり、「初宮参り」の儀式の前に細君と見て回り、博多の歴史と文化を味わうひとときを過ごせました。


写真⑤:「川上音二郎の寄進碑」
     =櫛田神社で、21日午前11時15分撮影


写真⑥:横綱朝青龍や双葉山ら有名力士が持ち上げた「力石」
     =櫛田神社で、21日午前11時12分撮影

櫛田神社
     福岡市・櫛田神社の位置図
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