吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年6月26日/〈日記〉133・「庚申」信仰と柴又帝釈天

2007-06-26 15:57:51 | 日記
写真①:参拝客で賑う「柴又帝釈天」参道
     =東京都葛飾区柴又で、2007年6月23日午前11時42分撮影

 東京の長女宅に細君と旅行した機会に23日に訪ねた東京都葛飾区の「柴又帝釈天」(日蓮宗題経寺)で、「庚申」信仰が参道=写真①=の賑わいに重要な役割を果たしてきたことを知りました。即座に、福津市津屋崎の町並みにある「庚申塔」のことが脳裏に浮かびました。

 題経寺の開山は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)と伝えられているようです。昔から日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていましたが、江戸中期に一時所在不明となりました。安永8年(1779)春の庚申(かのえさる)の日、本堂改修中の梁上にご本尊が見つかったことから、同寺の帝釈天信仰が高まり、江戸時代末に盛んだった「庚申待ち」の信仰と結びつき、ご本尊が出現した庚申の日を縁日として「宵庚申」の参詣が盛んになったという。「庚申参り」の人たちは、帝釈天の本堂で一夜を明かし、一番開帳を受け、庭先に溢れ出る御神水を戴いて帰ったそうです。

 そういえば、境内には平成19年の「庚申」の日を「初庚申 1月26日(金) 庚申 3月27日(火)」などと一覧できる表示板がありました。帝釈天のお告げで庭先に溢れ出たという御神水を描いた絵馬=写真②=も、帝釈堂に掲げてあります。


写真②:帝釈天(右側)のお告げで庭先に溢れ出た御神水を描いた絵馬
     =「柴又帝釈天」で、6月23日正午撮影

 帝釈天は、仏法守護の神。右手に剣を持ち、左手を開いた憤怒の相を現した悪魔降伏の尊形で知られます。仏の教えを信仰すれば、病難や火難など一切の災難から帝釈天が守護し、悪魔を退散させてくれるとされます。同時に、人間界も監視し、殺生や盗みなどをしないか、親孝行し、師や年長者を尊敬するか、貧しい人に施しをするかどうか、善悪を監察すると言われています。

 なんだか、今の世相を見ていると、帝釈天から厳しい裁きが下されそうです。帝釈堂のそばにある名庭「邃渓園(すいけいえん)」を拝観していますと、帝釈天のお告げで庭先に溢れ出たという「御神水」=写真③=が木陰からこんこんと湧き出ていました。


写真③:庭園の木陰から湧き出ている「御神水」
     =「柴又帝釈天」邃渓園で、6月23日午後0時24分撮影

 「邃渓園」には、日蓮が焼き討ちに遭った時に現れ、岩山に導いて岩窟に身を潜めて救ったという伝説の猿の石像=写真④=も置いてあります。右側から顔を見ると、日蓮を救おうとキッとした表情に見え、左側から見ると日蓮を救った後のホッとした顔に見えるという。


写真④:右側からはキッとした表情に、左側からはホッとした顔に見えるサルの石像
     =「柴又帝釈天」邃渓園で、6月23日午後0時26分撮影

 「御神水」の近くの庭では、1匹のヒキガエル(ヒキガエル科、別名ガマガエル)が現われました=写真⑤=。愛嬌のある顔つきですが、どこか人間の心のうちを見透かすような目つきで、帝釈天のお使いではないかとも感じさせる雰囲気を醸し出していました。


写真⑤庭園に現われたヒキガエル
    =「柴又帝釈天」邃渓園で、6月23日午後0時28分撮影
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