吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年5月15日/〈福間・町歩き〉005・「太閤水」

2007-05-15 05:20:51 | 福間・町歩き
写真①:旧唐津街道の県道503号線北側にある井戸・「太閤水」
     =福津市八波で、2007年5月14日午前8時45分撮影

〈福間・町歩きスポット〉 5 

:「太閤水」

 福津市八波(やつなみ)の旧唐津街道(県道503号線)北側の道路脇に、石づくりの小さな井戸・「太閤水(たいこうすい)」=写真①=があります。

 市教育委員会が建てた「太閤水」の石碑が、目に付きます。そばに表示された解説文=写真②=には、次のように書かれていました。

〈天正15(1587)年3月豊臣秀吉は、島津制圧のため軍勢と共に小倉に入城し、25万の軍を二手に分け、自らは筑前から肥後路へと南下した。黒崎、赤間を過ぎ山の口峠(八波)を越えた所で秀吉は大休止を命じ水を求めた。千利休が土地の老人の案内で清く冷たい湧き水を得て、この水で喉(のど)を潤した秀吉は大変おいしかったと見え、利休に「この水の味、京に戻っても決して忘れるな」と言ったといわれる。

秀吉は5月には九州平定を完了し、箱(*筥の誤記か)崎宮に本陣を置いて約1ケ月滞在した。この間に国割、町割、禁教令等の施行、茶会、連歌会などを催したりして、7月箱崎を出立して帰路についた。折からの炎暑の中、再び山の口峠にさしかかる前に馬を休め、この水で喉を潤し大変喜んだと伝えられている。以来この清水を「太閤水」と呼ぶようになったという。

藩政時代は人馬の往来が多く、旅人たちはこの水で喉を潤し峠を越えたのであろう。
太閤水は他にも、若松区・宗像市・新宮町・福岡市西区・二丈町・鎮西町にも残っている〉


写真②:石碑のそばに表示された「太閤水」の解説文
     =福津市八波で、5月14日午前8時44分撮影

 新宮町の「太閤水」は、2月19日に訪ね、翌20日付の「〈日記〉97・〝クリスマスローズの庭〟を訪ねて」で紹介しています。

「太閤水」(福津市八並):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島線福間駅下車、タクシーで約10分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約15分。現場は坂道で、車の往来が多い。駐車場はないが、北西の福津市畦町方面へ約100㍍行くと、道路南側にある空き地に数台の駐車可能。問い合わせは、福津市産業観光課(0940-52-4951)へ。

太閤水
       福津市の「太閤水」位置図
        (ピンが立っている所)


◇お知らせ
「津屋崎千軒新聞」創刊号無料配布

 福津市津屋崎の町興し住民団体、「津屋崎千軒 海とまちなみの会(略称・「海とまちなみの会」)」では、会報季刊紙「津屋崎千軒新聞」創刊号「春」号を市内の下記の場所で無料配布しています。

創刊号はA3の2㌻で、江戸時代から海上交易の港町で栄え、造り酒屋や商家が並び〈津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの歴史や文化と、津屋崎人形店、東郷平八郎元帥を祭る東郷神社で売っている幻の逸品・「東郷ビール」などを特集。〈津屋崎千軒〉通りの地図に、歴史的な建物の懐かしい写真が撮れる場所と古民家をイラスト入りで紹介した〈津屋崎千軒懐かし博物館マップ〉付きです。

「津屋崎千軒新聞」創刊号無料配布場所:▽「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)▽津屋崎公民館▽カメリアホール▽宮司コミュニティー

ご入会案内「海とまちなみの会」は、福津市・〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指し、07年2月16日に設立しました。会員は、同市津屋崎と市内外の30代から90代までの男女40人です。江戸時代から栄えた〈津屋崎千軒〉通りの古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(一般会員、賛助会員=会活動に賛同し、例会出席は不要=とも年会費千円)申し込みは、会長の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。◇例会案内=5月17日(木)19時、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」
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