吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年10月1日/〈出雲・町歩き〉005・松江の「武家屋敷」

2012-10-01 05:41:14 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:松江藩の中老・塩見家の屋敷を保存した「武家屋敷」の入口

      =島根県松江市北堀町塩見縄手で、2012年9月16日午前9時30分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉5

 :松江の武家屋敷

 9月16日午前9時半、島根県松江市殿町の「松江城」を出て、同市北堀町塩見縄手の「武家屋敷」=写真①=を観光しました。松江藩の中老で、後に千石取りにまで出世した塩見家の屋敷を保存、家具調度を配置して藩政時代の武家の生活様式を復元した屋敷です。塩見家は江戸時代初期の寛永15年(1638年)、結城秀康の第三子で徳川家康の孫にあたる松江松平家の祖・直政公が信州松本から出雲国に移封されたのに従い、松江入りした生え抜きの家来で、異例の昇進をしたことから、屋敷前の通り一帯が「塩見縄手」と名付けられました。この一帯は、江戸初期から松江藩の六百石程度の中級武士が、屋敷替えによって入れ替わり住んだところという。

 入場料3百円を払って長屋門を潜り、「武家屋敷」に入ると、玄関前わきにある「盛り砂」=写真②=が目に付きました。そばに立つ解説板に〈日本刀は普通使わない状態ではよく切れないことがあるので一大事が起こった場合 この砂に数回切りつけてすぐに実戦に使用できるようにするため 武家屋敷の門から玄関までの内には必ず設けてあったといわれている〉と書かれています。初めて「盛り砂」とやらを見て、フーンと頷かされました。

 

写真②:玄関前わきにある「盛り砂」

     =「武家屋敷」で、16日午前9時40分撮影

  邸内には、玄関の間、次の間、当主居間、奥方居間、家族部屋などがあり、最も立派な十畳の座敷=写真③=には当主に挨拶する武士の人形も置かれています。

写真③:当主に挨拶する武士の人形が置かれた座敷
     =「武家屋敷」で、16日午前9時35分撮影


 屋敷入口の長屋門=写真④=は、武家屋敷の特徴の一つで、中間(ちゅうげん=武家奉公人)の住居としても使われていました。敷地の一角には、「お休み処」もあり、腰かけて一服しました。

 

写真④:中間の住居としても使われていた長屋門

     =「武家屋敷」で、16日午前9時35分撮影

 この塩見家の「武家屋敷」近くには、「食事処」の看板が出ている屋敷も見かけました=写真⑤=。寄り道して、出雲そばでも食べたいところでしたが、時間がなく、残念でした。


写真⑤:「食事処」の看板が出ている屋敷
     =松江市北堀町塩見縄手で、16日午前9時30分撮影

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