吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年10月10日/〈日記〉34・秋篠宮さまゆかりの「ナマズを祀る神社」に参拝

2006-10-10 06:25:48 | 日記


●写真①:ナマズの像が鳥居前で出迎える大森宮=福岡県福津市上西郷の同宮参道入り口で、2006年10月9日午前11時09分撮影

 秋篠宮ご夫妻に新宮さま「悠仁(ひさひと)さま」が誕生されたことで、秋篠宮さまが研究されている「ナマズ」を祀る「大森宮(おおもりぐう)」(福津市上西郷)が、ゆかりの神社として脚光を浴びています。

 細君と10月9日、話題の神社を参拝しましたところ、参道入り口にある鳥居の前に「ナマズ」の像=写真①=が鎮座しており、ここがゆかりのお宮と一目瞭然。鳥居の東側には、由緒の説明書きの掲示もあります=写真②:9日午前11時09分撮影=。

 それによると、祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)ら6柱。西郷出身の社職兼務の武将、藤原興光が、室町時代に有力守護大名が争った応仁文明の乱=1467年(応仁元年)- 1477年(文明9年)=の時、大内氏の命を受けて山城国(京都)で合戦の折、深手を負った。戦場と本陣との間に大河があり、渡ることができなかったが、背中に鞍を置いた大ナマズが川面に現われたので、その鞍に乗り、対岸の本陣に無事帰還して一命を得た。興光は、西郷の氏神・大森の御祭神の権化に違いないと覚り、以来、西郷ではナマズを〝神の使い〟として大森宮に祀り、領民に「ナマズ禁食令」を出したという。


写真②:鳥居に向かって左に「ナマズ」の像、右にお宮の由緒を掲示

 「へー、そうですか」と感心しつつ、参道を少し歩いて行くと、なんと朱塗りの「なまず池御神橋」=写真③:午前11時10分撮影=がありました。橋の下の小さな池の水は緑色に濁っており、ナマズが生息しているかは確認できませんでした。


写真③:朱塗りの「なまず池御神橋」

 この橋を渡って石段を上がると、本殿=写真④:午前11時11分撮影=が見えました。


  写真④:大森宮本殿

 本殿前の境内の左右に、石造りのナマズの像=写真⑤:午前11時14分撮影=が一対ありました。その背後の本殿寄りに、これまた一対の石造りの狛犬が控えています。


  写真⑤:石造りのナマズの像


 本殿内部には、秋篠宮ご夫妻が平成13年(2001年)7月3日に大森宮を訪れた際のスナップ写真を入れた額=写真⑥:午前11時12分撮影=が高く掲げられていました。


  写真⑥:秋篠宮ご夫妻の大森宮訪問写真

 その横には、秋篠宮ご夫妻参拝日に奉納された、ナマズに跨って川を退却する藤原興光を描いた絵馬=写真⑦:午前11時14分撮影=が掲げられています。あす11日が秋季大祭ということで、氏子の人たちが本殿の掃除をしていましたが、秋篠宮ご夫妻にご参拝いただいたのが嬉しそうでした。


写真⑦:ナマズに跨って川を退却する藤原興光を描いた絵馬


 本殿からの帰り、参道東側の駐車場端に「秋篠宮殿下御参拝記念」=写真⑧:午前11時15分撮影=、「梛(なぎ)の木」と黒い字で書いた2つの標柱が立てられていました。


写真⑧:梛の木のそばに立つ「秋篠宮殿下御参拝記念」の標柱

 梛の木は常緑高木の針葉樹で、和歌山県の熊野権現の神木とされています。悠仁さまの身の回りの持ち物につける「お印」も、日本固有の常緑高木の針葉樹で同県の高野山を中心に仏に供える花として用いられ、名前もこれに由来する「高野槇(こうやまき」と、9月12日に決まりましたね。常緑高木の針葉樹がお好みの秋篠宮様らしく、梛の木が記念植樹となったのでしょうか。

◆交通アクセス:福津市の「なまずの郷(さと)公園口」バス停から徒歩約10分。駐車場は6台収容。問い合わせは、同市上西郷802の大森宮(℡0940-43-8361)へ。

大森宮
  福津市上西郷の「大森宮」の位置図
     (赤いピンが立っている所)
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