吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

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2015年10月14日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉010・「名古屋城」再訪

2015-10-14 04:16:56 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:秋の空にそびえる「名古屋城」天守閣

     =愛知県名古屋市中区本丸で、2015年9月29日午後3時40分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉10

 :「名古屋城」再訪

  名古屋市西区則武新町3丁目の「ノリタケの森」からタクシーに乗り、同市中区本丸にある「名古屋城」=写真①=へ。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、慶長14年(1609年)、豊臣方への備えとして「名古屋城」築城を決定、同17年(1612年)に完成。以降、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えた名城です。2012年10月に訪れた際、修復工事中で上れなかった天守閣を観覧するのを楽しみにしていました。

  タクシーを降り、「名古屋城」敷地に入って「特別史跡名古屋城」の掲示板=写真②=の横の通路を歩いてお城へ向かいました。中国人の団体観光客が、先を歩いています。

  

写真②:「特別史跡名古屋城」の掲示板

  しばらく行くと、お土産店の前の広場に展示されている金の鯱=写真③=に出合いました。天守閣の威容を際立たせている逸物です。空想上の生き物の鯱は、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされました。「名古屋城」創建時の金の鯱は、徳川家の財力を誇るべく、貼られた金の量は慶長小判で1,940枚という。

  

写真③:お土産店の前の広場に展示されている金の鯱

  お堀のそばに「剣塀」の解説板=写真④=が立っていました。「大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲われ、塀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしりと並べられている。大天守への敵の進入を防ぐもので、剣塀と称されている」との解説文を読み、納得。

 

写真④:「剣塀」の解説板

  さらに先には、「天守の石垣」の解説板=写真⑤=もあります。「天守の石垣は、上部が外側にそりだすいわゆる扇勾配であり、石の重みや土の圧力がたくみに分散されるため、はらみにくく、しかも美しい」との解説文。なるほど。

  

写真⑤:「天守の石垣」の解説板

  「名古屋城」は昭和20年(1945年)、空襲で本丸のほとんどを焼失し、昭和34年(1959年)に名古屋のシンボルとして天守閣が復元されました。天守閣観覧料5百円を支払い、エレベータを使って7階の展望室に上り、窓から東側を眺望=写真⑥=。

 

写真⑥:「名古屋城」天守閣から東側の眺望

     =9月29日午後3時55分撮影

  天守閣を出て、「名古屋城」の敷地にある「本丸御殿」(平成30年完成目指して復元工事中)の第1期公開部分に靴を脱いで入りました。尾張藩主の住まいとして江戸時代初期の慶長20年(1615年)に建てられた書院造を木曽で育った桧をふんだんに使って復元した建物です。正規の謁見に用いられた広い建物の「表書院」の大広間には、鮮やかな花鳥図が描かれており、ノーフラッシュの条件で許可を得て虎の襖絵を撮影=写真⑦=。

 

写真⑦:「表書院」の大広間に描かれた虎の襖絵

      =29日午後4時15分撮影

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