吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年10月17日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉007・飛騨古川

2012-10-17 04:39:20 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:コイが泳ぐ瀬戸川と「白壁土蔵街」

      =岐阜県飛騨市古川町壱之町で、2012年10月7日午後3時15分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉7

 :飛騨古川

  10月7日午後、飛騨市古川町の歴史的な町並みを散策。戦国時代に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨を統一、二代目可重が1589年に飛騨唯一の平城「増島城」を築き、城下町を作りました。約千匹のコイが泳ぐ瀬戸川と約5百㍍続く「白壁土蔵街」=写真①=が、町並みのシンボルです。

 瀬戸川は、約4百年前に「増島城」の濠の水を利用し、「瀬戸屋源兵衛」という人が世話人となって新田開発のため作られたことから、名付けられました。野菜も洗えるきれいな用水でしたが、日本経済の高度成長期のころ著しく汚れたため、美しい川に戻そうと1968年に住民の寄付でコイが放流されたという。色とりどりのコイが泳ぐ清流として市民に親しまれ=写真②=、農業・防火用水、流雪溝の役割も果たしています。

  

写真②:コイが泳ぐ清流として市民に親しまれている瀬戸川(右端)と路地

     =7日午後3時15分撮影

 古川には2軒の造り酒屋があり、建物はともに国の有形文化財に登録されています。このうち「渡辺酒造店」は、江戸時代中期の享保17年(1732年)に初代久右衛門が創業、明治3年(1870年)から銘酒「蓬莱(ほうらい)」造りを開始。玄関の軒先に懸けられた杉の葉を球状に束ねた「酒林(さかばやし)」=写真③=は、酒造場の看板です。毎年11月下旬、新酒の初搾りの日に新しい酒林に取り換えられます。

 

写真③:「酒林」が玄関の軒先に懸けられた「渡辺酒造店」

     =飛騨市古川町壱之町で、7日午後3時10分撮影

  「渡辺酒造店」正面玄関に、平成元年(1989年)建立の「杜氏酛摺(もとすり)り像」=写真④=があるのが目に付きました。〈杜氏殿の 心澄みゆき 魂きはる いのちの酛は 生れ初めけり〉と書かれた台座の書は 司馬遼太郎、像制作は飛騨市出身の彫刻家・中垣克久(新制作協会)。創業120年記念と、杜氏達のこれまでの労に感謝したいと、酒造りの象徴とも云うべき酛摺り(優良な酵母を集中的に育てる工程で、冷えた水を加えた米、麹を深夜、ひたすらすり潰す辛い作業)のブロンズ像を建てたという。

  

写真④:「渡辺酒造店」正面玄関に建つ「杜氏酛摺り像」

     =飛騨市古川町壱之町で、7日午後3時10分撮影

  飛騨の伝統的な家屋が軒を連ねる古川にも、袖卯建(うだつ)が上がった町家を見かけました=写真⑤=。古川の町家では、家の軒下の肘木に彫り付けてある各大工さん固有の紋様・「雲」が施されているのが特徴。昭和半ばに始まったといわれ、古川大工特有のものです。奈良時代、都の神社仏閣の造営で活躍した飛騨の大工は、その卓越した技能から〝飛騨の匠〟と称されています。「雲」が施されているのも、古川の大工の誇りを示すシンボルです。現在、この「雲」の文様、約170種類もあります。

 

写真⑤:軒下の肘木に彫り付けてある各大工さん固有の紋様・「雲」もある「卯建の上がった町家」

      =7日午後3時10分撮影

  飛騨市古川町の町並みには、すし店などが並ぶ3階建ての町家もけっこう建っていました=写真⑥=。

  

写真⑥:すし店などが並ぶ3階建ての町家

     =7日午後3時30分撮影

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