吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0266:「旧蔵内邸」観覧記④

2014-03-21 01:52:44 | 行楽催事

 

写真①:「旧蔵内邸」の「回遊式庭園」
      =福岡県築上町上深野で、2014年3月17日午後0時35分撮影
 

「旧蔵内邸」観覧記④

  「回遊式庭園」=写真①=に足を踏み入れ、池に架かる二連の反り橋越しに重厚な「旧蔵内邸」を眺めました。池の水は、同邸南側の農業用水路から引き込み、敷地内と「応接間棟」の地下を石積水路で巡らせて池に注がれています。途中3か所に石組階段の「水汲み場」=写真②=を設け、水路の管理などに利用しました。

 

写真②:回遊式庭園の入り口付近に設けられた「水汲み場」

 最後に展示室「宝蔵」=写真③=に入りました。炭坑経営で「旧蔵内邸」を築いた蔵内次郎作、保房、次郎兵衛の三代の蔵内氏の経歴などをパネル展示。それによると、次郎作は明治18年、峰地炭坑(福岡県添田町)の採掘を始め、大谷坑(福岡県水巻町)、飯塚坑(飯塚市穂波町)など規模を拡大、大正5年には蔵内鉱業株式会社を設立し、保房が社長に就任しました。次郎作は、明治41年から衆議院議員を5期務め、保房は、田川中学や築上中学の創設、学校経営に多大な寄付を行い、次郎兵衛は昭和4年に大分市の高崎山7万坪を万寿寺に寄進しました。

 

写真③:「旧蔵内邸」外の道路から見た展示室「宝蔵」

  「大広間棟」「宝蔵」など「旧蔵内邸」の大増築は、蔵内鉱業株式会社設立と同時に開始、隣接する「貴船神社」(祭神・高龗神=たかおかみのかみ。祈雨・灌漑の神)=写真④=と鳥居、参道、参道に架かる石橋=写真⑤=も一体として建設されました。

 

写真④「貴船神社」   

写真⑤:「貴船神社」の参道に架かる石橋

 「旧蔵内邸」の建物配置図=写真⑥=を見ると、「主屋棟」「座敷棟」「大玄関間棟」「応接間棟」「茶室棟」「大広間棟」と続く邸宅は、接客重視の大豪邸です。敷地は、〝筑豊の炭鉱王〟・<Ahref="http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/ea5ff634f6aedee8c9b10988bfcdb26f">「伊藤伝右衛門邸」</A>(飯塚市)の方がやや広いものの、建物は「旧蔵内邸」の建坪の方が大きく、天井に屋久杉をふんだんに使い、欄間や襖の引手、特注の照明など手の込んだ細工といい、贅を尽くした建築と回遊式庭園は炭坑主の邸宅として随一でしょう。

  

写真⑥:「旧蔵内邸」の建物配置図

                                               (終わり)

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