吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2008年11月11日/〈日記〉295・漱石と天璋院

2008-11-11 09:12:06 | 日記
写真①:『吾輩は猫である』(角川文庫、上巻)の中に書かれている天璋院
     =福津市津屋崎で、2008年11月5日撮影

 夏目漱石のデビュー小説『吾輩は猫である』に、NHK大河ドラマ『篤姫(あつひめ)』で有名になった篤姫、のちの『天璋院』のことが出ているのをご存知でしょうか。

 主人公吾輩の猫の異性・三毛猫が、飼い主である二絃琴の御師匠の身分がもとは〈大変好かった〉訳について、〈天璋院様の御祐筆(ごゆうひつ)の妹のお嫁にいった先の御っかさんの甥の娘なんですとさ〉と話す際に〈天璋院様〉を引用しています。

 御祐筆とは、江戸幕府の江戸城本丸で文書作成などを任せられる重要な役職。二絃琴の御師匠と天璋院との血縁はないも同然なのに、天璋院とのつながりを自慢するほど〈天璋院様〉は明治の御世でもあこがれのセレブ女性だったのでしょう。

 明治・大正時代の文豪・漱石が、『天璋院』のことに触れたのは、ごく当然のことかもしれません。慶応3年(1867年)、江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)で生まれた漱石は、大正5年(1916年)死去。東大講師時代、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表、評判になった明治38年(1905年)は38歳。天保7年(1836年)生まれの天璋院が明治16年(1883年)に死去した時、漱石は16歳でした。

 たまたま漱石の『吾輩は猫である』を読み返していて、天璋院のフレーズに気付いて、『篤姫』がこんな明治の小説にも登場していたのか、と意外に思いました。NHKテレビドラマ『篤姫』の放送は毎回欠かさず観ていますが、11月16日夜放送以降のドラマ展開で天璋院が明治の世をどう生きていくのか興味が深まりました。
コメント
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