吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2008年3月9日/〈津屋崎まちなみ散策〉007・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉18塩竃神社

2008-03-09 10:45:37 | 津屋崎まちなみ散策
写真①:明神様とも呼ばれている「塩竃神社」
     =福津市津屋崎末広東竪川で、2008年2月18日午後1時48分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 17 

:塩竃神社

 福津市津屋崎末広東竪川の「末広公民館」西側にある「塩竃神社」=写真①=。末広の村落神で、明神様とも呼ばれている〝塩の神様〟です。

 江戸時代中期の寛保元年(1741年)、津屋崎塩田を開いた塩庄屋・大社元七が、寛保・延享年間に宮城県塩釜市の塩竃神社から勧請しました。祭神の塩土老翁(シオツチノオジ)神(塩竃明神)は、『古事記』や『日本書紀』にある海幸彦・山幸彦の説話で、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の小舟を与え海神(ワダツミ)の宮へ案内した神で知られ、製塩法を教えるなど博識の神です。 

 かつて7月26日の祇園祭では、神田までお神輿や獅子楽のお下り行列が繰り出し、境内では宮相撲が奉納され、出店もお目見えして賑ったそうです。

 大社元七は延享4年(1747年)、亡くなりました。境内には、大社元七の名を刻んだ石碑=写真②=が建てられています。


写真②:大社元七の名が刻まれた石碑
     =「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影

 境内には、1基の庚申塔=写真③=もあります。碑には「庚申尊天」と刻まれ、天明4年(1784年)正月吉日に建てられたものです。


写真③:「庚申尊天」の碑文字が刻まれた庚申塔
     =「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影

末広の塩竃神社
       「塩竃神社」の位置図
       (ピンが立っている所)
コメント (4)
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