写真①:明神様とも呼ばれている「塩竃神社」
=福津市津屋崎末広東竪川で、2008年2月18日午後1時48分撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 17
:塩竃神社
福津市津屋崎末広東竪川の「末広公民館」西側にある「塩竃神社」=写真①=。末広の村落神で、明神様とも呼ばれている〝塩の神様〟です。
江戸時代中期の寛保元年(1741年)、津屋崎塩田を開いた塩庄屋・大社元七が、寛保・延享年間に宮城県塩釜市の塩竃神社から勧請しました。祭神の塩土老翁(シオツチノオジ)神(塩竃明神)は、『古事記』や『日本書紀』にある海幸彦・山幸彦の説話で、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の小舟を与え海神(ワダツミ)の宮へ案内した神で知られ、製塩法を教えるなど博識の神です。
かつて7月26日の祇園祭では、神田までお神輿や獅子楽のお下り行列が繰り出し、境内では宮相撲が奉納され、出店もお目見えして賑ったそうです。
大社元七は延享4年(1747年)、亡くなりました。境内には、大社元七の名を刻んだ石碑=写真②=が建てられています。
写真②:大社元七の名が刻まれた石碑
=「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影
境内には、1基の庚申塔=写真③=もあります。碑には「庚申尊天」と刻まれ、天明4年(1784年)正月吉日に建てられたものです。
写真③:「庚申尊天」の碑文字が刻まれた庚申塔
=「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影
「塩竃神社」の位置図
(ピンが立っている所)
=福津市津屋崎末広東竪川で、2008年2月18日午後1時48分撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 17
:塩竃神社
福津市津屋崎末広東竪川の「末広公民館」西側にある「塩竃神社」=写真①=。末広の村落神で、明神様とも呼ばれている〝塩の神様〟です。
江戸時代中期の寛保元年(1741年)、津屋崎塩田を開いた塩庄屋・大社元七が、寛保・延享年間に宮城県塩釜市の塩竃神社から勧請しました。祭神の塩土老翁(シオツチノオジ)神(塩竃明神)は、『古事記』や『日本書紀』にある海幸彦・山幸彦の説話で、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の小舟を与え海神(ワダツミ)の宮へ案内した神で知られ、製塩法を教えるなど博識の神です。
かつて7月26日の祇園祭では、神田までお神輿や獅子楽のお下り行列が繰り出し、境内では宮相撲が奉納され、出店もお目見えして賑ったそうです。
大社元七は延享4年(1747年)、亡くなりました。境内には、大社元七の名を刻んだ石碑=写真②=が建てられています。
写真②:大社元七の名が刻まれた石碑
=「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影
境内には、1基の庚申塔=写真③=もあります。碑には「庚申尊天」と刻まれ、天明4年(1784年)正月吉日に建てられたものです。
写真③:「庚申尊天」の碑文字が刻まれた庚申塔
=「塩竃神社」境内で、2月18日午後1時49分撮影
「塩竃神社」の位置図
(ピンが立っている所)
以前、宮城県の塩竈神社に参拝したことがあり、以来家族ともども大変お世話になっている神様です。塩竃神社があるとわかり興味深々で、場所も分かりましたので早速行ってみました。末広公民館は建て直し(?)のためか取り壊されて空き地になっており、神社だけがそのまま残っていました。残念ながら、何故かお社の扉には板が釘打ちされており、中に入ってお参りすることができませんでした(x.x)。
近々、改めて供物などを持参し、お礼参りに伺おうかと思っております。
お社の建て直しや修復などの予定があるのか、ほか神社の事情をご存知でしたら教えていただけますでしょうか。
コメント、ありがとうございました。
末広公民館は建て直しで、11月完成です。
お社の参拝については、お電話(090-7451-8063 青春)ください。
お蔭様で、塩竃神社へ行って参りました。炎天下ではございましたが、とても静かで落ち着ける神社でした。
ゆっくりとお礼を申し上げることもでき大変満足です。
機会を見つけて他の神社へも伺ってみたいと思います。
まだまだ猛暑が続きそうですので、お身体ご自愛くださいませ。
先日、アオサギの対話http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/b785ea8aa4fddb533a02dc3bbcaaddacでも塩竃神社を取り上げました。
海とまちなみの会では7月19日、西村幸夫東大教授に津屋崎の良さを講演http://blog.tsuyazaki-sengen.com/article/17415265.htmlしていただきました。
これを機会に、津屋崎のファンになっていただき、
懐かしい町並みを散策していただければと思います。
津屋崎人形店や明治創業の豊村酒造など町屋のボランティアガイドもやっています。