吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2008年3月15日/〈日記〉217・『福津の絵馬』

2008-03-15 17:11:20 | 日記
写真①:金刀比羅神社収蔵の「難船図」絵馬を表紙にあしらった『福津の絵馬』
     =福津市津屋崎で、2008年3月15日撮影

『福津の絵馬』出版
見応えあるカラー図録
――「津屋崎郷土史会」の力作

 福津市の「津屋崎郷土史会」(徳田敏子会長)が編集・発行した図録『福津の絵馬』(A4判、138㌻)=写真①=を15日、拝読しました。「絵馬にこめられた祖先の思い」を次世代に繋ぐことが出来ればと願う(徳田会長)会員の方々の熱意が伝わってきます。絵馬のカラー写真277点のほか、かつて私が「筑紫舞」の珍しい絵馬を見に訪れた懐かしい「恵蘇八幡宮」(福岡県朝倉市)に絡む絵馬の写真も収録されており、興味深く、詠み応えがありました。

 平成19年度「住みよいまちづくり推進企画事業」の活動費補助金を受けての発行ですが、約2年をかけて市内36寺社の絵馬の調査、編集作業は大変な労力を要したはずで、大きな拍手をお送りしたい。

 表紙に掲載された福津市在自の「金刀比羅神社」収蔵の「難船図」は、文政11年(1828年)の奉納で、縦73㌢、横96㌢。解説文では「江戸時代の終わりごろ、遭難して助かった津屋崎浦の船子が神の御加護に感謝して奉納した絵馬であり、九州国立博物館にも展示された」と著名な絵馬であることを紹介。「この絵馬には、遭難時の作法が描かれている。(1)帆柱を倒す。(2)荷を捨てる。(3)もとどりを切る」の説明が付いています。

 表紙の題字『福津の絵馬』と絵馬「難船図」のカラー写真の間に、〈ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも我は忘れじ志賀の皇神(すめかみ)〉の和歌が印刷されているのは、気の利いた趣向です。短歌をたしなまれる徳田会長ら会員皆様のご賢察でしょうか。「目次」掲載の5㌻に、〔荒れ狂う鐘の岬を無事に過ぎたけれど、私は忘れません。海の神である志賀の神様のおかげであることを〕(万葉集 巻7-1230)」と『万葉集』からの引用を注記し、解説には「鐘崎と地の島あたりの海は潮目が猛々しく、航海の難所だった。特に冬は北西の強風を受けて難破する船が多かった為に、船人が、志賀島大神の御加護を祈る歌が『万葉集』に残されている(歌碑:宗像大社)」と添えられています。

 福津市津屋崎には、大宰府から奈良の都に通じる古代の官道が走り、『万葉集』にも女流歌人として最も多く歌を残した大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が、名児山(なごやま=福津市勝浦奴山)を越えて都へ帰る際に詠んだ長歌が収録されています。宗像市の鐘崎と地の島付近の都に向かう海路や、玄界灘での漁業の危険さを伝える『福津の絵馬』は、郷土の先人の歴史や文化を伝える市民の貴重な財産です。このような文化を継承する津屋崎に住む誇りを感じさせてくれる力作として、一読をお勧めします。

 『福津の絵馬』は、福津市立図書館・小学校などに寄贈され、4月から若干部数が1部千円で販売される予定。連絡先は、福津市教育委員会教育総務課(℡0940-52-4968)。
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