吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年7月23日/〈海とまちなみの会〉044・総合病院に『津屋崎千軒新聞』「夏」号掲示

2007-07-23 20:37:56 | 海とまちなみの会

写真①:1階エントランスホールに掲示された『津屋崎千軒新聞』「夏」号の1面(上)と2面
     =福津市上西郷の宗像水光会総合病院で、2007年7月23日午後5時11分撮影

『津屋崎千軒新聞』が宗像水光会総合病院に掲示されました
――「海とまちなみの会」会報季刊紙


 福津市上西郷の宗像水光会総合病院で23日、1階エントランスホールに「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・海とまちなみの会)の会報季刊紙・「津屋崎千軒新聞」第2号・「夏」号(A3判2㌻)が掲示されました=写真①=。

 同病院では、健康を保持するために必要な心の安らぎをお届けしたいと、06年12月16日、ギタリストやピアニストら3人が出演した患者や家族、市民が無料で楽しめるコンサートをエントランスホールで開催するなど、地域に親しまれるイベントや情報を積極的に提供しています。

 1階エントランスホールには、柱の3面にポスターやチラシなどを貼る「地域からのお知らせ」掲示コーナーがあり、吉村が21日、町興し新聞の「津屋崎千軒新聞」・「夏」号の掲示を病院にお願いしたところ、ご承諾いただきました。ありがとうございます。

 掲示コーナーには、約60年前の昭和20年から40年ごろまで「津屋崎海水浴場」が賑わい、貝掘りも楽しめた当時の様子を、津屋崎の長老7人が語る〝懐旧座談会〟を掲載した1面と、現在の海岸道路がなかった昔の砂浜や海の家の写真を紹介した2面が上下に貼られています。

◇お知らせ
 福津市・〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指す「海とまちなみの会」は、「津屋崎千軒新聞」第2号の「夏」号を2千部発行、20日から市内の下記の場所で市民に無料配布しています。

▽「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)▽津屋崎公民館▽カメリアホール▽宮司コミュニティー▽ボランティアハウスふくま▽市中央公民館▽ふれあい広場ふくま。

ご入会案内=「海とまちなみの会」は、07年2月16日に設立しました。会員は、福津市津屋崎と市内外の20代から90代までの男女51人です。〈津屋崎千軒〉通りの古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(一般会員、賛助会員=会活動に賛同し、例会出席は不要=とも年会費千円)申し込みは、会長の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。年会費などの振り込みは、西日本シテイ銀行福間支店(店番214。℡0940-42-1231)の普通預金口座(名前:「津屋崎千軒 海とまちなみの会 会長 吉村勝利」、口座番号1304781)をご利用下さい。

07年度総会案内=7月26日(木)19時、『藍の家』。予算案や事業計画案などを話し合います。総会に出席できない一般会員の方は、事務局・吉村までご連絡をお願いします。
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2007年7月23日/〈津屋崎の四季〉129・梅雨が明けました

2007-07-23 12:14:55 | 風物
写真①:農業用水路で羽を休めるダイサギとコサギの群れ10羽
     =福津市津屋崎末広で、2007年7月23日午前10時51分撮影

「大暑」の23日、梅雨明けです

 福津市津屋崎は23日朝、久しぶりに晴れ渡りました。福岡管区気象台は午前11時、九州北部と山口県の梅雨が明けたと発表しました。平年より5日遅く、昨年より3日早いという。

 津屋崎では例年、「津屋崎祇園山笠」が終われば梅雨明け、というのが実感の人が多いのではないでしょうか。

 この日は、二十四節気の「大暑(たいしょ)」。1年で最も暑い時期です。津屋崎末広の農業用水路では、サギ科の野鳥・ダイサギコサギの群れ10羽が、暑い日差しの中で羽を休めていました=写真①=。
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2007年7月23日/〈日記〉142・「津屋崎駅舎」姿消す

2007-07-23 06:09:43 | 日記
写真①:駅舎が撤去された旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」跡
     =福津市津屋崎天神町で、2007年7月21日午後2時58分撮影

 3月限りで廃止された福津市津屋崎天神町の旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」は23日現在、駅舎が解体、撤去されて姿を消し、プラットホームを残すだけとなっています=①=。

 これで、ここに駅があったという〝しるし〟は、旧駅舎跡西側に建つ「電車延長記念碑」だけとなりました。

 旧宮地岳線(福岡市東区貝塚―津屋崎間、20.8㌔)のうち、当初開業していた「和白駅」(東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長されたのは大正14年(1925年)。さらに、「宮地岳駅」から「津屋崎駅」(同市津屋崎)まで延長されたのは、旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日でした。私が津屋崎小学校1年生だった同月、宮地岳線の津屋崎駅までの路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、天神町どんたくパレード隊の一員として参加したのを覚えています。

 その56年前の記憶の底には、津屋崎駅までの路線延長の喜びに沸きたった津屋崎町民の熱い想いが、横たわっています。この電車延長を祝う記念碑は、公害の排気ガスや温熱も出さず、環境に優しく、ローカルで豊かな自然を残す津屋崎にふさわしい交通機関として、津屋崎の人たちにかけがえのない郊外電車が走っていた最後のしるし――として、ぜひとも残さなければなりません。新しい「津屋崎地域郷づくり」のためにも、欠かせない広場の一角として、このモニュメントを活用できないでしょうか。
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