とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:4日目観光

2022-11-29 19:20:23 | 観光
沖永良部島の主な観光スポットは行ったが、まだ行ってない場所を探して、島をぐるぐると回る。朝一で向かったのは、ウジジ浜公園だ。波によって削られた様々な形状の石灰岩が配置されている様は天然のオブジェだ。奇岩群は見る角度によって動物や植物のようにも見え、ここから拝む朝日が素晴らしいと言うが、少し遅かった。しかし、海面に映る光の帯が太陽に続く道のように見える。


1890年(明治23年)9月22日、カナダ帆船「リージCトゥループ号」が長崎からの帰路時に台風に遭遇しウジジ浜沖で大破したが、島民の必死の救助活動で乗組員22名中10名が救助された。この事故より2年後、カナダ政府から島民宛てに救助と看護に対する謝礼が贈られ、浜にはこれを記念した帆船型モニュメントが設置されている。


次に「ジョッキヌホー(瀬利覚の川)」という湧水地に向かう。沖永良部島は、島全体が隆起珊瑚礁で生成されており、水資源の確保が困難な環境のなか、集落の中心に位置するこの湧水は生命の源として集落民の生活を支えてきた。現在も昔と変わらずに集落のシンボルとして崇拝を受け、農業用水、洗濯、野菜洗い、子供たちの遊び場など地域コミュニティの場となっているという。


水の流れ出している方に向かうと、ちょうど地元の人が洗濯の真っ最中だった。


更に奥には、水神様が祀られ、水路の中を覗くと水がこんこんと流れ出していた。


次に行ったのは、住吉高倉。マラソンのエイドもあったところだ。これも9本柱の高倉(穀物倉庫)で町の文化財になっている。少しお腹がすいてきたので、マラソンのスタッフから朝一でもらったバナナを食べる。


住吉高倉の裏手にあるのが、住吉暗川(クラゴー)の入り口だ。


暗川とは,地下河川を伴う石灰岩洞穴のことだ。暗川が鍾乳洞や単なる石灰岩洞穴と根本的に異なる点は,水を得る水源地として利用されるだけでなく,地域の人々の社交の場としても利用され、そこを中心とした地域コミュニティが形成されていることだという。急坂を下っていくと、大きく口を広げた洞窟が見えてくる。


最深部まで下りていくと、きれいな水が流れている。




次の場所に移動する途中で、西郷隆盛上陸の地にもう一度寄っていく。


ワンジョビーチにも再び寄る。観光案内板を見ながら次はどこにしようかなどとも相談する。


マラソンの時は、浜までには行かなかったが、砂浜に下りてワンジョビーチからの海の眺めを楽しむ。白い砂浜と珊瑚礁の間に見える海の色が忘れられない。




マラソンコースから外れていたので、まだ行ってない後蘭孫八城跡に寄っていく。後蘭孫八は15世紀の島主、世之主に仕えた四天王の一人で、平家の落人の子孫という伝説もあり、優れた築城家としても知られている。


石灰岩の大きな塊の中を進んでいく。


大きなガジュマルの巨木の中を通っていく。この場所が醸しだす雰囲気は、島のパワースポットだと呼ばれていることもうなずける。


後蘭孫八の墓。


駐車場の前にみかん園があり、そこの人が我々にみかんをくれた。話を聞くと、後蘭孫八の子孫だといい、名字は“平”だという。やはり平家の子孫でもあるようだ。ほとんど誰も来ないような所に大勢の人間がきたのでわざわざ声をかけてくれたようだ。縁は不思議なものである。


旅の最後に寄ったのは、フーチャだ。ここもマラソンのコースで通ったりしたのだが、フーチャをじっくりは見ていなかった。フーチャとは『潮吹き上げ洞窟』を意味する島の呼び名で、海岸線付近の断崖には隆起サンゴ礁が荒波で浸食されてできた縦穴型の洞窟が口を広げている。


季節風や台風のときには20~70mも潮が吹き上がることもあるそうだが、干潮時なのでそれほどの吹き上がりはなかった。


洞窟の上の通路には、柵など何もなく自然のままになっている。洞窟を覗き込むと吸い込まれそうな気になってしまう。


海底の深さの違いによるのだろうか、場所によって海の青さが違って見える。


運がいいことに、ちょうどウミガメが泳いでいるのを発見する。フーチャ付近の海中にはアオウミガメが食用として好む海藻が多く生えており、遊泳中のウミガメを見ることが多いスポットだという。


3泊4日の島旅もこれで終わり。空港は、フーチャからすぐだ。レンタカーを返却して無事帰路についた。長いようであっという間に終わった沖永良部島ツアーは忘れられない思い出になった。

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