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とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022浅間・八ヶ岳パノラマトレイル:2日目懐古園観光

2022-11-03 20:44:12 | 観光
2日目のトレイルは午前中で終わり、午後の時間が十分余裕があったので、小諸駅前の懐古園を観光していくことにした。懐古園とは、元の小諸城を中心とした公園である。明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)に小諸城址懐古園として近代的な公園に生まれ変わったという。

まず、最初に向かったのが、小諸城の入り口となる大手門だ。小諸城の正門で、慶長17年(1612)、藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築である。二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化していない事や、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館形式をとっている事など多くの特徴があるという。


大手門の中を見学できるという事で、早速中に入り、ガイドの説明を聞く。この門を建てる際に、大工は江戸から呼び、瓦は三河(現在の愛知県)から運んだとされ、当時はまだ瓦葺の屋根が珍しかったため「瓦門」とも呼ばれたそうだ。明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室として、また、料亭として利用されてきたが、平成20年、江戸時代の姿に復原されたという。


大手門から、いよいよ小諸城址に入っていくのだが、この先には、しなの鉄道の鉄路と駅舎があり、三の門の間を割って入るように分断している。このため、大手門があることを知らずに中に行ってしまう人が多いそうだ。


三の門を抜け、二の門跡の横を通り抜ける。


少し上がったところが二の丸跡だ。


紅葉谷と呼ばれるお堀の紅葉がきれいだ。


紅葉ヶ丘もまさに紅葉まっさかりだ。




小諸城址で最大のケヤキの巨木。樹齢500年以上との事。


大ケヤキの奥には島崎藤村記念館。藤村が小諸にやってきたのは、明治32年のことだ。かつての恩師、木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任した。以降小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」を起稿。藤村記念館は、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されている。


島崎藤村像。


地獄谷に架かる酔月橋を渡り、小山敬三美術館に向かうのだが、その途中になんと寅さんの像があった。葛飾柴又ではなく小諸に寅さんがいるのにはビックリ。この奥にある建物は、寅さん会館だという。個人的に寅さんのグッズを集めた人の私的な資料館らしいが、現在閉館中で見学できなかったのが残念だ。


紅葉の木立の奥にあるのが小山敬三美術館だ。この美術館は、小諸市出身で文化勲章受章、小諸市名誉市民である洋画家、小山敬三画伯が1975年、美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈したもの。画伯の代表作品、浅間山、城シリーズ、さらに肖像画をはじめとした、油彩、水彩、デッサン画など素晴らしい作品を展示されている。


美術館から見下ろした千曲川の景色。小山敬三画伯がこの美術館を建てるとき唯一こだわった条件は、子どもの頃溺れかかった千曲川のこの場所が見下ろせる場所ということだったという。


美術館の庭の紅葉がひときわ美しい。


懐古園の馬場では、東信菊花展が開催されていた。


天守台跡に登ってみる。554年に武田信玄が現在の小諸市、佐久市一帯を制圧。信玄は、大名軍師、山本勘助に築城を命じた。これが小諸城の原型となった。小諸城は、城郭が城下町よりも低い位置にある日本唯一の「穴城」といわれる。浅間山の噴火による火山性台地と千曲川の断崖を利用した天然の要害で、難攻不落の城として知られていた。武田氏が滅ぶと、豊臣秀吉の配下の仙谷秀久が城主となる。秀久は、城の大改修と城下町の整備を行った。国の重要文化財に指定されている大手門や三の門はこのときに造られた。


天守台からは、浅間連山が良く見える。


鏡石。山本勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城だった。懐古神社の横には、山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石があり、勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられている。


懐古園は、思ったより見るところがいろいろあり、微古館(ちょうこかん)や小諸義塾記念館なども見学してから、懐古園前にある小諸キャッスルホテルに宿泊する。

「2022浅間・八ヶ岳パノラマトレイル:3日目千曲川コース」に続く。