とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2015四国八十八ヶ所巡り:大坂峠~1番霊山寺~自宅へ

2015-04-25 23:07:21 | お遍路
6:56。民宿「潮風」を出発する。


瀬戸内海が見えてきた。昨日は、一日内陸部を歩いていたので、何だか久しぶりに海を見たような気がした。


7:33。讃岐和三盆の老舗、三谷製糖の前を通過する。和三盆(わさんぼん)とは、この辺りで伝統的に生産されている砂糖の一種である。淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴。三盆の名は、「盆の上で砂糖を“三度研ぐ”という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもので、高級砂糖を意味するそうだ。




讃岐相生駅の先から、遍路道に入っていく。大坂峠へと向かうこの道は、道幅が広く歩きやすい。その昔、国道や県道が整備される前は、峠越えの道として馬や牛が車を引いて通れるよう改修されたのだという。当時は多くの人が往来した道だったようだ。しかし、今は道の広さだけが残っているだけで、行きかう人はまったくない。


木々の間から、海が良く見えた。


県境の手前には、お地蔵さんがあった。


8:27。県境(香川と徳島)に到着する。


県境からしばらく行った所で分岐があり、どちらに行っていいいか分からず、とりあえず大坂峠展望台まで登ってみる。展望台からの景色は、素晴らしかった。




ひとまず休憩して、スマホや地図などで現在地を確認する。結論として、先にあった分岐に戻り、板野町方面への道に下る。しばらくすると、車道に出たので、次は車道を歩けばいいと勘違いして、鳴門市の標識がある方向に下ってしまう。


しかし、気になってもう一度地図をよく見てみると、更に遍路道を下り、次の車道に出たら、そちらに入るようになっていたので、元に引き返す。ここで、少し時間をロスしてしまった。


そして、次の分岐にでたら、「四国の道」と示された方向に何の迷いもなく進んでしまった。ところが、ここでも間違えてしまっていたのだ。次の分岐では「四国の道」には行かないほうが良かったのだ。自分の計画としては、「卯辰越」というルートで行きたかったのだが、結果的には、3番札所金泉寺に向かうルートに下りてしまっていた。「卯辰越」は山越できついが距離が短く直接1番札所霊山寺まで行ける。ところが、3番札所金泉寺経由では、距離が長くなってしまう。しかし、今更戻るのもつらいので、距離が長いルートで進むことにした。ただ、距離が長くても平坦な道なので、ときおり走りを入れながら1番を目指した。帰りの電車やバスの時間に間に合うか気になっていたからだ。

3番札所辺りから、順打ちで歩いてくるお遍路さんに数多く出会う。これからお遍路を始める人たちが初々しく見えた。

11:39。初めて、お遍路の為に立ち寄ったお遍路用品の店が見えた時は嬉しかった。


11:40。すぐ隣が1番札所霊山寺だ。


12:00。最後の巡拝を終え、霊山寺の山門を出る。ここで、やっと四国八十八ヶ所巡礼の旅が終わったという実感が込み上げてきた。通算歩行距離約1200キロを、大きなトラブルもなく無事歩き通せたという満足感が込み上げてきた。


ついでに、隣のお遍路用品の店にも寄っていく。ここで、用品を全部揃えてもらったので、お礼の気持ちもあって立ち寄ったのだ。グッズを買い求めたあと、自分の杖が、どれだけ減ったのか気になって新品と比較させてもらう。比較してみると3センチくらいしか減ってなかった。人によっては、8センチとか10センチ減ったとか聞いていたので、意外と短かったようだ。上り下りがきつい時だけ杖を使っていたので、全体的にはあまり使っていなかったのかもしれない。




因みに、結願とか満願という言葉があるが、その違いは何だろうと調べてみたら、結願は、88番大窪寺を最終として打つことをいい、満願は、1番霊山寺へ、「お礼参り」して打つことをいうそうだ。

満願後、霊山寺でもらった御朱印と墨書がこちらだ。墨書には「願行成圓」と書かれでいる。意味は,「あなたが前世より願っていた仏の修行が円満に成就した。」ということだという。そして、菩提樹の実でつくったという念珠もいただいた。


これで、長いようであっという間に四国八十八ヶ所巡礼の旅が終わってしまった。しばらくは、旅の整理や留守中に溜まった雑用を片付けなければならない。

お遍路のブログもいろんな人が見てくれていたようで、何度もコメントをくれた方を始め、閲覧し続けてくれた人たちにも感謝です。ありがとうございました。

今日の歩行距離:18.3キロ(通算1184.5キロ)
今後の予定:5月中旬に高野山へ