とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「泣き笑い」古今亭志ん輔さん

2013-08-22 22:28:54 | 社会人大学
第7回目の社会人大学は、落語家の古今亭志ん輔さんの高座であった。今年で三回目の登場となりお馴染みの落語家さんである。まだまだ暑い日が続いているが、久しぶりに一杯笑わせてもらって暑気払いだ。今回も、3つの噺を聞かせてもらった。

一つ目は、間男がテーマの「紙入れ(かみいれ)」である。あらすじは、以下の通り。

旦那の奥さんと関係ができた新吉、今夜は旦那がお帰りがないからと呼び出されたのだが、旦那が突然に帰宅したので慌てて逃げ出して気が付くと、その旦那にもらった紙入れに奥さんの手紙を入れたまま忘れてきてしまった。翌日、おっかなびっくり挨拶に出掛け、旅に出るから暇乞いに来たと申し出る。問い詰められて出入り先のかみさんと関係したというと、「で、先の旦那に見つかったのか」「見つけましたか」「俺が聞いてるんだよ」「よく分からないんですが、紙入れと手紙を忘れて来ちゃったんです」「そうか、心配だなァ。おい、嬶、聴いたか、新吉が間違いをしでかしたらし いんだ」「聞きましたよ。でもね、旦那の留守に若い男を引き入れて楽しもうという女じゃないか。そこに抜かりはないと思うよ。旦那のお帰りと戸を開ける前に、そこらを見回して、ちゃんとこっちにしまってあるから……と私はおもうよ。ねえ、旦那」「えッ、そうとも。またそこいらに紙入れが放り出してあったとしても、自分の女房を寝取られるような間抜けな野郎だもの。そこまでは気が付くめえ」

という間抜けな旦那とやり手の奥さんの噺だ。何か覚えがある噺と思っていたら、昨年の高座の最後が「紙入れ」だったのを思い出した。

二つ目は「豊竹屋」。こんなあらすじだ。(Wikipediaより)

一つの芸事に精進せず、あれこれかじってばかりというのは、いつの時代もあまり好ましいことではない。 ある男、豊竹屋節右衛門(とよたけや ふしえもん)は、自分が見たり聞いたりしたものを節にして語る浄瑠璃を趣味としており、黙っている時がない。風呂屋へ行き、湯船に浸かりながら湯加減について浄瑠璃風に語っていたが、歌に熱中するあまりのぼせてしまい、湯船から出る際に床で滑って転んでしまう。他の客に介抱されながら、そんなことをしていては体に悪いと諭されるも、懲りない節右衛門。帰路もやはり歌にしながら帰宅し、家内にも同様にたしなめられるが、飯を食べながらもなお語り、味噌汁をこぼしてしまう。とその時、同様に節をまわして唄いながら、節右衛門を訪ねて来た上方言葉の男が玄関に立っている。名前を花梨 胴八(かりん どうはち)、聞けば即席の口三味線を得意としており、どんな節にも合わせられるという。そこで、2人で即興の浄瑠璃を語ることにする。お互いに「先に」「先に」と順番を譲っているうちに、セッションが始まる。

「先に旗持ち踊りつつ、三味や太鼓で打ちはやす」(節右衛門の歌、以下同)
「チン、チン、チンドンヤ(チンドン屋)」(胴八の口三味線、以下同)
そこへ、隣家の洗濯に使う水音が聞こえて来る。
「水をじゃあじゃあ出しっぱなし、隣の婆さん洗濯」
「ジャジャ、シャボン、シャボン(しゃぼん)」
どんどん興に乗る2人。
「去年の暮れの大晦日、米屋と酒屋に責められて」
「テンテコマイ、テンテコマイ(てんてこ舞い)」
「26日のお祭りは」
「テンジンサン、テンジンサン(天神さん)」
「子供の着物を親が着て」
「ツンツルテン、ツンツルテン」
「蜜柑のようで蜜柑でない、橙のようで橙でない、それは何かと尋ねたら」
「キンカン、キンカン(金柑)」
「夏の売り物、蕎麦に似れども蕎麦でない、うどんに似れどもうどんでない、酢をかけ蜜かけ食べるのは」
「トコロテン(心太)、カンテン(寒天)」
「食べ過ぎてお腹を壊して駆け行く先は」
「セッチン、セッチン(雪隠)」

その時ふと節右衛門が見上げると、棚の上のネズミが餅を引いて行くのが見える。その様子を歌にすると、ネズミが「チュウチュウ」と合いの手を入れる。 それを見た胴八が「さすが節右衛門さんとこのネズミは心得てますな」と褒めると、節右衛門は「いいえ、かじってるだけです」

とまあ、こんな感じで浄瑠璃と口三味線の役を交互に使い分ける志ん輔さんの口上が見事で、このセッションシーンが一番笑えた。

休憩後の三つ目の話が「唐茄子屋政談」。上下の二つに分かれる人情話だが、今回は通しで最後まであった。内容は以下の通り。

上(Wikipediaより)

道楽が過ぎた若旦那、勘当されても「お天道さまと米の飯はついて回る」とうそぶいて反省の色がない。だが、ころがりこんだ先の友人たちからも見放され、親戚を頼っても相手にされず、とうとう宿無同然となって吾妻橋から身投げしようとするところを、偶然通りかかった叔父に止められる。「お、叔父さん……! お願いです、助けてください」「なァんだ、てめえか……止めるんじゃなかった。さ、飛び込みな」口では散々悪態をつくものの、その実甥の行方を心配し続けていた叔父の家に連れて行かれた若旦那は、心を入れ替えて何でも叔父のいう事を聞くと約束する。翌日若旦那は叔父に言われて天秤棒を肩に、慣れない唐茄子の行商を始めるが、肩に食い込む重さのあまりに「人殺しィ!」と荷を投げだす始末である。通りかかった人たちの情けで唐茄子を買ってもらい、今更ながらに人情の温かさを味わうのであった。だが、昔覚えた道楽は忘れることができないもので、売り声の稽古をしようと吉原田舗に来かかると、ついつい花魁との甘い思い出に浸って一人で惚気てしまう。

下(Wikipediaより)

気を取り直した若旦那は、その内に三ノ輪の裏長屋を通りかかり、ぼろをまとってはいるがどこか品のあるおかみさんに呼び止められて唐茄子を売る。夫は浪人で今は遠くで行商をしているが、うまくいかないのか送金が滞っているという身の上話を聞き同情した若旦那は、お腹をすかせた子供に自身の弁当を食べさせ、「おあしはいりませんから。ここにわずかながらお金があるんで、これを差し上げます。これで何か買ってくださいまし。」と唐茄子の売り上げを無理強いに渡して去る。涙を流して喜ぶ母子。だが、入れ違いにきた因業な大家が、「店賃としてもらっておくよ。」と取り上げてしまう。そうとは知らない若旦那、家に帰って叔父に売り上げを差し上げた事を言うが、「お前、そんな嘘をついてどうする。」と信じてもらえない。やむなく、叔父ともども三ノ輪の裏長屋に来ると、そこは蜂の巣をつついた騒ぎ。聞けば、件の母子が、親切な人から恵んでもらったお金を大家に取られたことを苦に心中を図ったというのだ。幸い母子とも無事だったが、怒った若旦那は大家を殴り長屋の者も加勢する。裁きの末、大家はきついおとがめを受け、母子は叔父の持っている長屋へ引き取られ、若旦那は奉行から青差五貫文の賞金とお褒めを受け勘当も許される。