とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

利尻山・礼文岳登山ツアー 6日目(宗谷岬編)

2013-08-18 19:10:34 | 観光
いよいよ最終日となった。この日は、帰るだけだ。朝一番のフェリーが7時半なので、早起きして6時の朝食を済ませ、香深のフェリーターミナルまで送ってもらう。香深から約2時間ほどの乗船で稚内港に戻ってきた。このまま稚内空港まで行っても飛行機の時間が13時半なので時間がありすぎる。空港に行って時間をつぶすしかないかなとも思ったが、港のポスターに宗谷岬経由で稚内空港まで送るバスがあることを知った。しかも、宗谷岬で30分ほど観光させてくれるというのだ。まさしくフェリー到着と羽田行きの飛行機のフライト時間に合わせた特別な送迎バスだったので渡りに船だった。

バスはまず、宗谷丘陵で写真撮影のために少し停車してくれた。宗谷丘陵とは、宗谷岬の裏手にあるなだらかな丘陵地帯である。氷河時代に形成された周氷河地形は北海道遺産として認定されていて、この丘陵には57基という大量の風力発電施設もあった。全く北海道は、途方もなく広いという感じだ。




バスは環境にやさしいハイブリッドバスだ。乗客は、我々を入れて5人ほどで貸し切り状態である。


バスからは、日露戦争時の戦争遺産である要塞跡も見える。


ほどなく宗谷岬公園に到着する。バスはすぐ下の宗谷岬の駐車場で待っていてくれるとのことで、30分で周辺を観光する。

これは、『子育て平和の鐘』。家庭の平和や地域の平和、世界の平和を願って平和都市宣言をしている稚内市民の総意で行われた募金で制作されたものだ。


この高さ約20mのノッポな塔は「祈りの塔」である。1983(昭和58)年9月1日にサハリン沖で起きた大惨事・大韓航空機撃墜事件の慰霊碑で、1985(昭和60)年9月1日に建立されたという。大韓航空機撃墜事件についておさらいすると、大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソ連の戦闘機により撃墜された事件である。乗員乗客合わせて269人全員が死亡し、日本人も28名含まれていた。本当に痛ましい事件だった。


公園の片隅に「間宮堂」というラーメン屋がある。日本最北端のラーメン屋として人気があるようだ。


これは「平和の碑」。四角錐の上に赤いボールが乗っかっている。この碑は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年10月、宗谷岬沖で日本海軍に撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、ワフー号によって日本海で沈められた日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊するため、1995(平成7)年9月に日米合同で建立した碑である。


これは、「大岬旧海軍望楼跡」。旧帝国海軍が1902年(明治35)に国境の防備として建造した要塞で、稚内市内で現存する唯一の明治時代の建築物となっている。稚内市は、貴重な建築物として1968年(昭和43)に稚内市の有形文化財に指定している。大岬旧海軍望楼は、当時最強のバルチック艦隊の動きを早期に察知する必要性から、海上監視の任務が課せられていたという。


宗谷岬公園の下に「日本最北端の碑」が見える。


公園から下りていくと、まず間宮林蔵の像が立っている。間宮林蔵は、19世紀のはじめ、北海道から樺太、千島列島で20年以上も生活し、樺太探検で間宮海峡を発見し、今でも世界地図にその名前が残っている人物だ。


日本最北端の碑前には、記念写真を撮ろうという人で行列となっていた。


さっそく「日本最北端の碑」前で記念撮影だ。北緯45度31分22秒、東経141度56分11秒のまさに日本最北端の地に立ったのだ。この碑の先43キロには、ロシアのサハリンがあるというから最果てに来たという感慨で一杯になる。


宗谷岬とサハリンの位置関係はこうなる。


最北端の碑近くにある「宗谷岬流氷館」。おみやげ屋さんの中にあり、大きな冷凍庫の部屋の中はマイナス13度になっていて、宗谷岬に流れ着いた流氷が部屋いっぱいに置いてある。時間がなかったので中には入らなかったが、入り口前に行っただけでものすごく寒かった。入場料無料なので、すごく暑い日に入るといいかもしれない。


発車時間が来たのでバスに乗車する。岬の出口付近には、 「間宮林蔵 渡樺出港の地」と書かれた石碑がある。ここから、間宮林蔵が樺太に向けて出発したのだ。


一通り観光も終わり、あとは稚内空港に向かう。手荷物検査、保安検査を受けるとフライト時間となり、ちょうどいいバスの運行ルートであった。その後は、無事羽田に着いて、新幹線を乗り継ぎ我が家に帰宅する。6日間は長いようで、あっという間に過ぎ去ってしまった。楽しいことはすぐに終わってしまう。本州は、毎日猛暑日が続いていたといい、これから猛暑の自宅で過ごすと思うと戦々恐々である。