気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

時空物語(6)物語への自己同一化

2018-03-12 06:38:58 | 真我実現シリーズ
時間・空間とは、最もシンプルな、世界、宇宙を表す概念だ。

無限の空間の中に出現・消滅する様々な物質・エネルギーの、その変化しているさまを示すものだ。
そして空間と呼んでいるものは、空(くう)である。
空(くう)自体には「距離」も「時間」もない。
そこに、空自体に・・ひずみ・・が現れて様々な波動形態を示現する。
ひずみはそれ、振動、波動であり、どこに出現するかといえば、
自らの・・中・・空(くう)である。

空(くう)が自ら変幻し・・ひずみ・波動となって物質と呼ばれる、
局所的に集中した波動・振動となるのだ。


現代科学は、真空は何もないのではなく、そこに微細エネルギーが出現消滅していることを理解した。
・・・

空(くう)は空でありながら、空にあらず。
それが・・空(くう)の無限性なのである。
・・・
繰り返すが、物質に取り巻かれたと見える我々の世界も、
まったくほとんどは・・虚空・・である。
その中に原子というものが存在している。
その原子の存在確率密度は・・きわめて、極めて小さいものだ。
原子核と電子の間の距離と、その大きさの概念でいえば、
10の-15乗程度の密度である。
・・・
つまりほとんどが・・空であり、
その中の・・空の中の・・ひずみ、あるいは歪み(ゆがみ)・・があるわけだ。
・・・
様々な天然物質、加工物質の圧倒的な物量に見えるものは、
実のところ・・まったくほとんどが”空っぽ”なのである。

これを例えるに、
世界・宇宙とは、
”3次元的な”スクリーン上に・・映し出されたものといえるのだ。

あなたの周りの空間のなかに、あなた自身が入り込んでいる、立体映画。
あなたはその中にいて、その立体スクリーン上の諸物を、
その手で、足で、皮膚で、目で、耳で、舌で、鼻で「観察」しているのだ。
・・・
しかしながら、あなたはその中の、
やはり物質形をした「身体」の中にいると・・”感じて”いるために、
あるいは、身体が自分の思うとおりに動くと・・感じているために、
「わたしは肉体である」という感覚が主体となっているのだ。

今でも、自分のことを、
肉体の中の・・意識している者・・と思っているだろうか。
つまりこれは、
世界、宇宙という立体映画のなかに・・自分を投入している・・ということだ。
そして、その立体映画の様々な物語の中の、小さな登場人物であると、
完全にそれだけを「信じ込んでいる」というわけだ。

わたしとは、単なる肉体である・・と、
宇宙、世界の中に生まれて死ぬ、小さな有機的肉体機構である・・と、
集団で信じ込んでいるということなのだ。
繰り返し、繰り返し、その時空物語の支配観念が吹聴され、
繰り返し、繰り返し、それが正しい常識であるとされていた。
どこにも責任者などいない単なる支配観念である。
しかしながら・・それは観念でしかない。

「あんたねえ、責任とってよ・・!」というわけにはいかない。
「悪い奴らがいなければ、こうはならないだろうに、・・許せない!」
といっても何も始まらない。
外の世界に・・投影された3次元的立体画像にたいして、
悪態をつき、制裁を課し、吊し上げても何の解決にもならない、
つまるところ・・それは投影されたスクリーン上の物語であるからだ。
・・・
その3次元的・立体映像物語を、
見ているのは、観ているのは誰か?

自らが無限の・・空(くう)であり、
そこに出現するエネルギー諸形態を観察する者でありながら、
肉体という物質形態をも、知覚・認識している者、
それが人間という者である。

まちがっても、食うて生きて死ぬ・・だけの豚さんではない(笑)



そこに自己投入し、
3次元的マトリクス世界に出現消滅する肉体へ自己同一化し
肉体を通じて・・その世界を鑑賞、観照している者は誰か?

あなた・・だ。
それぞれ・・わたし・・だ。

<わたし>・・とは、誤解多き、実に”多次元的実在”である。
わたしは既に知っている存在ではない。

ある場所、ある時に生まれたある個性をもった肉体である・・は、
この時空内での・・人生物語における3次元的登場人物でしかない。


これに真に気づけるならば、3次元的世界にありながら、
3次元的世界にへたり込まない、自己埋没しない次元意識にあることになる。

「わたしとは誰か?」と問いかけようか。

それを真に問いかけるならば、

自己を「勝手知ったる肉体個人である」と鵜呑みにすることはなく、、
肉体生存のためのバトルや快楽と苦痛の間で翻弄されることはなく、
それらは・・大いなる自己の1小体験・・単なる物語であると理解されるだろう。
生も死も・・物語・・なのである。

「わたしとは誰か?」と問いかけようか。

それを真に問いかけるならば、

真の自己を見出す・・そのプロセスを起動したということであり、
3次元的時空物語の中に入り込んで”四苦八苦”している登場人物から
それを・・観ている、高次のわたしに・気づくのである。

真のわたしに気づくこと・・今はもう・・その時期である。

そして、また同時に、
地球のサイクルで上演されていた、
古い3次元映画も終わりかけていることにも気づけるだろう。