気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

時空物語(4) 誰が・・夢を観ているのか

2018-02-25 10:18:18 | 真我実現シリーズ
あなたは世界の中に生きている個人的肉体だと教わってきた。
誰もそうと明確に言わないけれども、
わたしは体であると、漠然と信じ込んでおり、
それは言うわずもがな、当たり前の常識観念、いやそれ以前の事実であると、
そう思っていただろう。

皆が皆、親も兄弟も、教師も誰もみなそう信じ込んでいる。

そうではないか?
・・・
自分がサルの進化した有機的な肉体であると信じ込んでいるのだ。
西洋的な教育で、さも進化した見識だと、それが正しいんだと、
そう信じていたわけだ。

いや、これを見ている人も、
今でもそういう観念で縛られているかもしれない。
「スピリチュアルな知識は好きだが、そこまではねえ・・」とか。
・・・
しかしながら、・・”わたし”・・とはそんなものではない。

自分が物質的肉体である・・というのは事実ではなく”思う”ことだ、
硬い常識で染まっていることは、つまり信念のこと、
つまり人々は”ある信念体系”の中にいるだけであり、
わたしはこの体である・・は、
決して事実でも真実でもない。


わたしは・・わたしに気付いている・・それだ。
これは
I AM THAT I AM  と同じことである。
また、わたしは意識している・・それである・・と同じことなのだ。

わたしは・・意識である・・と同じことである。
意識であるがゆえに、意識すること・・自ら・経験する存在・・。

それを神とか、真我とか創造主とか、宇宙意識とか言っている。

3次元的物量、計測、大きさの尺度を外さなければ理解不能であろう。
意識は時空間、物量、距離重さなどを超えているからである。
それを含みながら、かつそれを超えているということだ。


神も真我も、創造主も宇宙意識も・・あなたの外側にはない。
あなた、わたしの内側が・・反転して世界・宇宙として投影されている。
あなた、わたしと言っても、
相変わらず・・「わたしは肉体、体である」という観念で観ていては、
何のことかわからない。

わたしは何か?ということの、意識的見解が・・
「自分とは、この体である」という
”根強い思考”に引きずられていて、それに気づかない限り、
何のことかわからないだろう。
それ・・とは「意識」あるいは「気づき」である。

意識である”わたし”が・・意識していない・・ということであり、
意識的意識である・・わたしに・・気づかないということだ。

意識があり、思考があり、考えて感じて、体験する存在であるが、
つまり・・人間であるが、
意識している・・こと・・自体に気づかない・・ということだ。

実はここが意識進化の分水嶺とも言えようか。

理解可能だろうか?

そして、
夢を観ているものは・・誰か?

あなたの肉体だろうか?
頭脳だろうか?

古い世界という3次元的な夢から覚めたいという段階にあるならば、

そう、いまはもう真剣に
あなたは問いかけるべきであろう。

「ほんとうの・・わたしとは何なのか?」・・・と。




・・