あなたは世界の中に生きている個人的肉体だと教わってきた。
誰もそうと明確に言わないけれども、
わたしは体であると、漠然と信じ込んでおり、
それは言うわずもがな、当たり前の常識観念、いやそれ以前の事実であると、
そう思っていただろう。
皆が皆、親も兄弟も、教師も誰もみなそう信じ込んでいる。
そうではないか?
・・・
自分がサルの進化した有機的な肉体であると信じ込んでいるのだ。
西洋的な教育で、さも進化した見識だと、それが正しいんだと、
そう信じていたわけだ。
いや、これを見ている人も、
今でもそういう観念で縛られているかもしれない。
「スピリチュアルな知識は好きだが、そこまではねえ・・」とか。
・・・
しかしながら、・・”わたし”・・とはそんなものではない。
自分が物質的肉体である・・というのは事実ではなく”思う”ことだ、
硬い常識で染まっていることは、つまり信念のこと、
つまり人々は”ある信念体系”の中にいるだけであり、
わたしはこの体である・・は、
決して事実でも真実でもない。
わたしは・・わたしに気付いている・・それだ。
これは
I AM THAT I AM と同じことである。
また、わたしは意識している・・それである・・と同じことなのだ。
わたしは・・意識である・・と同じことである。
意識であるがゆえに、意識すること・・自ら・経験する存在・・。
それを神とか、真我とか創造主とか、宇宙意識とか言っている。
3次元的物量、計測、大きさの尺度を外さなければ理解不能であろう。
意識は時空間、物量、距離重さなどを超えているからである。
それを含みながら、かつそれを超えているということだ。
神も真我も、創造主も宇宙意識も・・あなたの外側にはない。
あなた、わたしの内側が・・反転して世界・宇宙として投影されている。
あなた、わたしと言っても、
相変わらず・・「わたしは肉体、体である」という観念で観ていては、
何のことかわからない。
わたしは何か?ということの、意識的見解が・・
「自分とは、この体である」という
”根強い思考”に引きずられていて、それに気づかない限り、
何のことかわからないだろう。
それ・・とは「意識」あるいは「気づき」である。
意識である”わたし”が・・意識していない・・ということであり、
意識的意識である・・わたしに・・気づかないということだ。
意識があり、思考があり、考えて感じて、体験する存在であるが、
つまり・・人間であるが、
意識している・・こと・・自体に気づかない・・ということだ。
実はここが意識進化の分水嶺とも言えようか。
理解可能だろうか?
そして、
夢を観ているものは・・誰か?
あなたの肉体だろうか?
頭脳だろうか?
古い世界という3次元的な夢から覚めたいという段階にあるならば、
そう、いまはもう真剣に
あなたは問いかけるべきであろう。
「ほんとうの・・わたしとは何なのか?」・・・と。
・・
誰もそうと明確に言わないけれども、
わたしは体であると、漠然と信じ込んでおり、
それは言うわずもがな、当たり前の常識観念、いやそれ以前の事実であると、
そう思っていただろう。
皆が皆、親も兄弟も、教師も誰もみなそう信じ込んでいる。
そうではないか?
・・・
自分がサルの進化した有機的な肉体であると信じ込んでいるのだ。
西洋的な教育で、さも進化した見識だと、それが正しいんだと、
そう信じていたわけだ。
いや、これを見ている人も、
今でもそういう観念で縛られているかもしれない。
「スピリチュアルな知識は好きだが、そこまではねえ・・」とか。
・・・
しかしながら、・・”わたし”・・とはそんなものではない。
自分が物質的肉体である・・というのは事実ではなく”思う”ことだ、
硬い常識で染まっていることは、つまり信念のこと、
つまり人々は”ある信念体系”の中にいるだけであり、
わたしはこの体である・・は、
決して事実でも真実でもない。
わたしは・・わたしに気付いている・・それだ。
これは
I AM THAT I AM と同じことである。
また、わたしは意識している・・それである・・と同じことなのだ。
わたしは・・意識である・・と同じことである。
意識であるがゆえに、意識すること・・自ら・経験する存在・・。
それを神とか、真我とか創造主とか、宇宙意識とか言っている。
3次元的物量、計測、大きさの尺度を外さなければ理解不能であろう。
意識は時空間、物量、距離重さなどを超えているからである。
それを含みながら、かつそれを超えているということだ。
神も真我も、創造主も宇宙意識も・・あなたの外側にはない。
あなた、わたしの内側が・・反転して世界・宇宙として投影されている。
あなた、わたしと言っても、
相変わらず・・「わたしは肉体、体である」という観念で観ていては、
何のことかわからない。
わたしは何か?ということの、意識的見解が・・
「自分とは、この体である」という
”根強い思考”に引きずられていて、それに気づかない限り、
何のことかわからないだろう。
それ・・とは「意識」あるいは「気づき」である。
意識である”わたし”が・・意識していない・・ということであり、
意識的意識である・・わたしに・・気づかないということだ。
意識があり、思考があり、考えて感じて、体験する存在であるが、
つまり・・人間であるが、
意識している・・こと・・自体に気づかない・・ということだ。
実はここが意識進化の分水嶺とも言えようか。
理解可能だろうか?
そして、
夢を観ているものは・・誰か?
あなたの肉体だろうか?
頭脳だろうか?
古い世界という3次元的な夢から覚めたいという段階にあるならば、
そう、いまはもう真剣に
あなたは問いかけるべきであろう。
「ほんとうの・・わたしとは何なのか?」・・・と。
・・