気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

霊界の集合施設体験記 part 1

2008-07-17 07:54:16 | 夢及び半覚醒時の体験記録

 わたし達の1日24時間という時間枠の中で、睡眠は休息の時間と捉えられていますが、それは肉体にとっての休息であり、物質レベルでの活動は休止しています。しかしながら、自己の肉体以外の相では、実は休止などしておらず、肉体の五感での知覚以外の分野で色々な知覚体験をしているようです。逆に言えば、肉体の五感感覚は本来の自己に存在する知覚(経験)の1部分であるという事なのです。

それら、肉体感覚以外での知覚体験は、気がつかない、または憶えていないことだけのことのようです。誰でも時たま夢を記憶していることはありますが、日常繰り返される現実世界のパターンに慣れているために、波長の異なるともいえる睡眠中の体験はあまり意識されていないようです。当然ながら目覚めた時に記憶にも残りません。パターン化された心にはイレギュラーなものを無視する傾向があるのはご存知でしょう。

 自分の場合も、御多聞にもれず睡眠は、何もしない単なるお休み時間であると思っていたのです。しかしながら、アイデアや画期的な発想が、夢をとおして得られることは人類の歴史上でも、科学や芸術でも公然の秘密であることを以前から知っており、昨今その必要を感じてからというもの、自分も夢を憶えておこうと思ったわけです。

 そのような訳で、意図してメモ帳まで用意し、枕元においてからというもの、ふと気付けばすこしづつ色々な夢を憶えているようになりました。なるほど、意識に登った夢情報は、朝方の一定の時間にメモを取るか、かろうじて憶えているイメージを反復しなければ、すぐに忘れてしまうことも判りました。その夢を見たこと自体も、あたかも無かったように忘れてしまいます。

余談ですが、どのようなことでも、何かに意識的になり、その方向に行動で現すことで、強い意思表示を行なうことになる為、そのぶんだけ結果が出てくるわけです。「汝は信じるごとく汝になる」という法則はここでも適用されています。

前置きはこの程度として、半覚醒状態、すなわち自分の定義では「肉体は完全に休息しているが、顕在意識が部分的にも目覚めている状態」で、いわゆる霊界を垣間見た経験を書きたいと思います。

●霊界またはあちらの世界を垣間見た体験

4年前のこと、以前の会社で長年同僚であったKさんという先輩が、亡くなりました。亡くなる数ヶ月前に、以前の会社仲間での年末の忘年会がありまして、知らせがあったため自分も珍しく参加しました。そのときにはそのKさんも出席していたのですが、顔色が冴えず、屎尿器系の病気(がん)ということで、病院に通っているとの話でした。そういうこともあり、会席の隅で元気なく座っており、そのKさんの先輩筋に当たる人に、家族のことなどを頼んでいるようでした。皆酒が入って談笑している時にそんな話をするのは、会席ではかなりマイナーな話題と感じられ、これはどういうことなんだろうと不思議に思っていたのですが、当人はすでに先のことを自覚していたのかもしれません。

 それで、忘年会はお開きになり、料理店の店先で皆々別れて行きました。偶々そのKさんが近くにいたので、自分も別れの挨拶をしました。病気で弱気になっているような感じを受けていたので、励ましたいと考え、「元気でまた会いましょう!」と握手をして分かれました。皆がどこか敬遠している病気のKさんに、あえて明るく握手しているのも、どこか自分としては思いきった態度のようにも感じました。

それから数ヶ月ほど経ってから、そのKさんの「夢」を見ました、何かつらい様子で、救いを求めるような、なにか言いたいような感じの映像であり、確かにその人の身体の下のほう(屎尿器)の異常を感じたわけです。「そうだ、あの人病気だったんだ」と思っていたときに、左後ろのほうから、自分に非常に親身な何者かの意識的な声が出てきました。その声は病気の彼に対して、夢境の私ををガードするかのように 「それ以上はダメです!」 というような、はっきりした意志を伝えたのです。誰だろうか?と後で思いました。わたしの妻のような声でしたが、かなり親身な高位の威厳ある意識波動であったのを感じました。病気の辛さを、誰かにわかって貰おうとする様なマイナーな意識状態に対する注意を与えたようなそんな感じでした。朝起きて妻に話したのですが、全く知らないとのこと。この夢もしっかり憶えているタイプのものでした。

それから数ヶ月経って、そのことも忘れていた頃、別の友人Hから電話があり、Kさんが少し前に亡くなったようだということを教えてもらいました・・・。Hは酒を飲んでおり、携帯電話の向こうで泣いていたようです。わたしも彼らも、数年前の世相、銀行の貸しはがし、構造不況といわれる辛い時代、特に高給であった中高年のリストラなどの嵐の時代を、否応も無く耐え忍んできており、仲間のそれぞれの苦労に身につまされていたのだと思います。

その知らせを耳にしたときに思い出したのが、闘病中のKさんを暗示するあの「夢」でした。なるほどそういうことであったかと納得が出来たわけです。残念ながら、Kさんを見た夢の日時をメモしていなかったっため、生前なのか死後なのかは不明ですが、その夢の病気の苦痛を感じる内容からいって、生前ギリギリであったと思いました。合わせて思い出したのが、忘年会の帰りの別れ際に彼に掛けた言葉 「元気で又合いましょう!」という言葉でした。多分彼はそのことを覚えており、その約束を果そうとしたのではないかと思いました。但し、その夢での邂逅は「元気」ではなかったのですが・・・。

これは、親しい人等がよく枕元に立つといわれることなのでしょうが、ことはこれで終らず、不思議な事がさらに続きます。

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(part 2 へつづく)

   Img_0812

   へーっ・・・そんなこともあるんだニャー~(龍之介)

 

 

 

 


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2 コメント

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続きが楽しみです。 (メイ)
2008-07-18 03:56:26
続きが楽しみです。
私も2年近く前に最大の理解者で会った友人を失いました。自殺です・・
会いに来ました・・3度。いつかお話しさせてください。(やっと最近立ち直りました)
龍之介くんはマッチョマンさんところのお子ですか?
へ~龍がつくんですね・・・へえ~

昨日 天河神社に行きました 弁財天(60年に一度開帳される ことしは異例で
27年ぶりに開帳してました)そのまん前で、観世流の能をみてきました。

「殺生石」 すごすぎて・・九尾のきつねの化身の想念も憑依?あ~怖がらないで下さいね 駅で舞われた片山九太郎ご一行とご一緒になり、友人が声をおかけしてやっと我に帰ったような次第です。

こんな解説を観ました。
>狐信仰と殺生石―執心とは

狐は、日本古来より神様の代理、人と神との仲介者とみなされてきた。日本人にとって、農業に関する宗教行事は重要な風習であり、田の神は春の収穫前に山から下り、秋の収穫前に山へ帰っていくという信仰が根付いていた。墓の近く、古墳跡、穴などに住み着いていた狐は人に対して警戒心が少なく、特に秋の収穫期にかけてよく人里に現れたため、いつしか神の使いともみなされるようになった。例えば稲荷明神に仕える狐は、そのような信仰が形となったものであろう。

狐は、中国の陰陽五行説からも、その黄色い色ゆえに、五行を結びつける存在として尊ばれている。陰陽五行は宇宙の森羅万象を現しており、相生の理と相剋の理の二面、つまりプラスとマイナスの二面が絶えず循環することによって構成されている。その循環を結びつける「土」という概念は五気中最大の徳を有するとされているが、狐の色はその「土」色と似ていることから、狐は人と自然との仲介者として中国の人々からも尊ばれてきた。

そのように神と人との仲介者である狐は、同時に人の思いや願いを神へ届ける伝達者としてもみなすことができる。すなわち、狐は、神という精神世界と人間の思いという物質的世界を仲介する存在でもあるのだ。

神と人とを仲介する存在として尊ばれる狐が、なぜ玉藻前伝説では執念の権化として描かれるのか。また玉藻前は金色九尾の狐して、もっとよきものをもたらす存在でもあった筈である。その答えとしては、玉藻前は九尾の狐として最も強大な力を持つ妖孤であるがゆえに、精神世界の最も無なる場から、人間の執心の最も凝り固まった場へと移動することができたからではないかと考えられる。「殺生石」で玄翁が言う「あまりの悪念なかえって善心となるべし」という言葉は、行き場をなくすまで凝り固まった執心が、今度は無へと開放されることを示しているのではないだろうか。執心が石となり、玄翁の法力によって砕けることは、これを象徴していると考えられる。

★相生の理と相剋の理の二面、つまりプラスとマイナスの二面が絶えず循環することによって構成されている
★精神世界の最も無なる場から、人間の執心の最も凝り固まった場へと移動することができたからではないかと考えられる
★「あまりの悪念なかえって善心となるべし」という言葉は、行き場をなくすまで凝り固まった執心が、今度は無へと開放されることを示しているのではないだろうか。執心が石となり、玄翁の法力によって砕けることは、これを象徴していると考えられる。

長くなりすみません・・ほんとうに 入り込みすぎる世界
能楽師の静の動きの中に なんば歩きのすがたに ほれました!
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メイさん 遅れてごめんなさい (マッチョマン)
2008-07-18 20:07:31
メイさん 遅れてごめんなさい
 そうですね、龍です。潜在意識的な中身は龍系かも・・みたいな。

(芥川龍之介は、自分ににている方だそうです。確かにちょっと長い顔で、額が広い感じ・・・だけが似ているかもしれません。他人の空似ですが)
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