気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

神さんとの対話 Ⅱ

2012-12-20 21:17:20 | 見えないものから見えるものへ

以前の記事に海外からコメント頂きまして、ありがとう御座います。

お礼に変えて、再掲させていただきます。

・・・

「神との対話」 という崇高な書が出ていますが、これなどは世界を造ったといわれる宗教的な神への偏見や誤解が、多少とも無くなって来ている証拠かもしれません。

 

いわば支配や罰に係わる神とは、人間の創り上げた観念でしかありません。

 

人は概念・観念の、複雑極まる組み合わせの中で遊んできただけなのかもしれません。

 

様々な観念を創り上げつつ、それそのものに自己投入してきたようです。

 

今こそは、自らの造った観念で縛られていることに気付くべきときでしょう。

 

その為には、自らのこころ模様に気付きつつ、またできるだけ静かな水面を観るように努めつつ、

 

こころを澄ませてゆく必要があるのです。

 

知識はそのためのものでしかありません。

 

自らが単に「身体であると想う次元」から、自らが「こころであると思い込む次元」を越えて、

 

さらに、それらを観ているところの、時空に縛られない「わたし」まで再び上がることが大切ではないでしょうか。

 

身体を見るこころの眼、さらに、こころを観る気付き意識へと上がるだけのことでしょうか。

 

いわゆるところの次元上昇とは、時空自体が勝手に変わるわけではなく、

 

「わたし」という意識の視点、その視座が、より拡大された位置に上昇することでしょう。

 

そのためにこそ、毎日の生活と体験と、愛すべき多くの人々がいるのです。

  

  

<神さまとの普通の会話>

(神様がどうして関西弁風なのか? ・・は深く追求せず。(笑))

今回もまたまた拙い記事ですが・・イレギュラーバージョンということで。

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 ・・・・・・・・・

神さん   「ごめんやす~、茶~を一杯くれんかの~」(・_・)

 

峠の親父 「へえ?・・いらっしゃいませ・・・って、あなたひょっとして神様ですか~」

 

神さん   「えっ?なっ、何でわかったん?・・どないしてや~」(?_?;)

  

峠の親父  「ど、どないもこないも・・、今回はそういう記事の設定じゃないですか。」

 

神さん   「あーっ!そうやった。 なんせ、すぐ忘れるもんやから・・」(ズーズーと茶をすすりながら)(-v-;)

  

峠の親父  「ところで、どんなご用でしょうか?」

 

神さん    「用はない」

 

峠の親父  「はあー?、さようで・・」

 

神さん    「用がなければならん・・?、そんなわけもないやろ。

 

        ただここに来て、あんさんの温めの玄米茶をいただいとりますがな、

 

        用といえば、まあ・そんなもんや。それ以上何が所望なんや?」

 

峠の親父  「はあ?、・・ご、ごもっともで・・ブツブツ」

 

神さん    「ところで、あんさん・・わてが神様や・・ちゅうのをホンマに知っとんのか?」

 

峠の親父  「えっ? ・・・本当に知っているかと言えば、?

 

         さあ・・あなたがそう言うからそうなんでしょう、としか言えません。」

 

神さん    「あはは・・確かに、わてがそうやと言えば、そうに違いないわ。」

 

        「それにな、神は普通にどこにでも、いつでも在るもんやから、

 

        ここにいてもいいんや・・。そうやないか?」(・ー・)

 

峠の親父  「し、至極ごもっともで、・・」

 

神さん    「あれ?・・あんた、わてが神やちゅーから、

 

         こりゃバチでも当てられたらかなわんと思うて、

 

         そんな気をつかっているんやないか?」 (。。)

 

峠の親父   「そんな、めっそうもない。わざわざこんなところに来て、

 

         言葉遣いが良いの悪いの言ってバチ当てる神はおりませんよ。」

 

神さん     「おーっ、なかなか言うな~、まさにそういうことや。」(^~^)

       

         「見てみい、峠の周りの木々はもう紅葉の盛りを過ぎて、

 

         すでに冬支度を始めている。自然はいつも優雅に変化しよる。

 

         マジに美しいやろ。(^ワ^)

 

         ほんのささいな自然の移り変わりにしても、膨大なエネルギーと、

 

         完全な仕組が働いていることに気いがつくやろか

 

         これっぽっちも間違わんでえー。」(・。<)

 

峠の親父  「ま、まさにそうですよね。 でもなかなか気がつかないもんで。」

 

神さん    「ありえないような奇跡に囲まれているっちゅうのに感動できんのは、

 

         それ自体がバチアタリちゅーもんや。(_ _)

 

         自分でバチ当てておきながら、それに気付かず、

         

          どこかの誰かが悪いといって

 

         外を罵っているちゅうのは、・・ちと、えげつないぞ。

 

         なー・そうは思わんか?

 

峠の親父   「え、え・げつない?・・ムム・・そうですね。 確かに・・。」

 

神さん     「他人や外の世界が悪く見えるやろ・・」

         「それはな、眼を開けとらんからや。 こころの眼、心眼やな。」

 

峠の親父  「こころの眼・・ですか。こころに眼があるんですかね?」

 

神さん    「おや?、あんさん・・、結構あげ足とるやないか・・あはは。」

 

        「こころ自体には眼があるわけやない。

 

              それは鏡のようなもんやからなー。」

 

        「その『鏡』を見る、あんさん自身に気付きの眼があるやないか。

 

         ところが・・・、『こころという鏡』が汚れているばかりに、

 

         自らが良く見えないわけや、場合によっては怪獣のように映ってしまう。

 

         あるいは猿のように見えている場合もあるやろ。」

 

          (ああああっ・・、決して、特定の誰かのことではありませんので・・)

 

峠の親父   「おー、なるほど、心は鏡・・ですか。  確かに何でも映りますな。

         それに、つい、自分の嫌がるものばかりを映してしまっているような。」

 

神さん     「フフ、そこよ。」(--)

 

峠の親父   「フフって?、やっぱ、そこですか。」

  

神さん     「あんさんがたが、いかにきれいに着飾っても、

 

         鏡が汚れていれば、映るものも汚れてしか見えんやろう。

  

         いかにポジティブな想いを持って頑張っていても、

  

         なかなか改善が見えないと感じる場合はな、

 

         様々な固定観念やら過去の経験やらの汚れが邪魔しているからなんや。

 

         また、是が非でも改善しなければ・・・という、こうあるべきだ・・という観念、

 

         それ自体が障りと気付かへんとな。

  

峠の親父   「良くしなければ、、という想い自体に、今が悪い状況であるという

         前提観念がしっかり潜んでいるということでしょうか。」

 

神さん     「おーっ言うやないかあ~、 そこよ 」 (・_<)

 

峠の親父   「そ・・、そこですか。」

 

神さん     「改善すべきものは何もない、全てが完璧である。

 

          ・・・という事がわからないからこそ、

 

          様々な改善すべき『問題』が嫌々しながら出てくるんや。」

 

峠の親父    「それはそうですが、もし全て完璧だとしたら

 

          ・・取り付く島もない・・人間何もやることないような気もしますが。」

  

神さん     「おーい!、・・・そこに傲慢がある!」

 

峠の親父   「ご、傲慢?なんですか~ ど、・・どこが傲慢なんです?」

 

神さん     「あんさん方の周り、見る聞く感じる範囲、それ以上において、

 

         奇跡のような大自然、大宇宙に囲まれとんのがお分かりか?

 

         あるがままの不可思議さと、千変万化する無限の息吹を感じることの、

 

         どこに退屈がありえよう。」

 

         また、その不可思議と奇跡の数々は、あんさん方自らのことを意味しているんや。

 

峠の親父   ・・・・・。

 

神さん     「あんさん方のこころを清めてゆく勇壮な魂の仕事もあるわけや。

 

         どこが退屈なのか。・・・ 気いが知れんわ。  うあ~っははは」

       

峠の親父   「はい、まさにもっともで・・。

               ・・もう一杯どうぞ」

 

(おわり)

 

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本日も拙い記事をご覧頂きまして、まことに有難うございました。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マヤ暦が一周して新たな周が始まりましたねー(^_^)ノ (はな)
2012-12-23 10:43:39
マヤ暦が一周して新たな周が始まりましたねー(^_^)ノ
何か清々しいです。

神さんはほんとに近い存在で、誰だってコミュニケーションが取れるので、ぜひぜひ皆さん話しかけてみてほしいなぁと思います。
神さんはいつも言ってます「それぞれが直接話しかけてほしい」って。
「親と話す時に通訳はさむ人いないでしょう!?」って。
返信する
はなさん おはようございます。 (マッチョマン)
2012-12-24 07:52:52
はなさん おはようございます。

なるほど、なるほど、
 
直接話す・・ということは、
余計な観念、想いを介さないで・・・ということですね。
あるいは静かに感じとる・・・ということですかね。

また、
親と話す・・ということは、
自己を生み育てた大いなる自己と話すということですね。
・・・
神との対話とは、話すことではなく、
障害になっている余計な想い、観念を <放す> ということと
同じことですかね。
・・・・
そしてこういう想い・思考自体も 放す 瞬間に対話が出来ている
そういうことですね。
返信する
さっすがマチョ仙人! (はな)
2012-12-24 11:42:05
さっすがマチョ仙人!
「話す」=「放す」なんですねー(>_<)
神さんは「なかなか『本人』と話ができない」って淋しがってます!?
自分自身が自分の本質を見失って日々を送ってしまってるんですよねー。
反省です。
返信する
Unknown (マッチョマン)
2012-12-24 17:36:20
はなさん いつも見て頂いて有難うございます。

確かに・・・、
反省というのは、自分をかえりみる(省みる)ことです。
普通は、学校などで自己の行動を・・反省するように・・教わったのですが、
実は、反省しなくても良い・・というか、反省してはダメでして(笑)、
ダメというのは、要は自分が悪かった・・という反省のことですが、

良い悪いは、良くわかっていない人々の造った単なる「観念」でした。

本当は、
しっかりと「あるがままを観る」ということでした。
あるがままとは、

在る・・今の・・・この瞬間・・・のことです。
返信する
はっ(>_<)そうでしたっ! (はな)
2012-12-24 20:33:59
はっ(>_<)そうでしたっ!
つい反省しそうになっちゃいました。
そんなわたしもありとゆーことで!?
返信する
ありにきまっとりますがな~・・(大笑) (マッチョマン)
2012-12-25 07:36:28
ありにきまっとりますがな~・・(大笑)
 
そういう風に、考えることではなくて、
実のところは、
なんか・・そう・・気付いてゆくことですかね。
生きていることはそういうことでしょう。
有難うございます。
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