もっとも身近なところに、最も肝心なものがある。
あなたが最も気にしている外的世界、他の人々、環境・・
・・世界の様々な事象は、複雑怪奇ながら・・
それはあなたという意識が観ている「夢」のようなものである。
決して世界そのものの中に・・真実は無い!
それに捕らわれ、従い、自縄自縛もする・・世界、
「そこ」には実際・・どんな真実も無いのだ。
真実とは・・それを観ている、知覚している・・経験している・・
あなた自身のことである!
世界を映し出している・・至高の実在・・真我・・
あなたがそれだと言っている。
え、どこどこ?誰の事?・・と探し回っている、
それ自身が・・そうだということを、どうしてか気づかないほど、
次元を下る・・はるか遠く、はるかかなたにやってきた・・ということだ。
我々は今、ここまで到達した。
真実とは・・それを観ている、知覚している・・経験している・・
あなた自身のことである!
世界を映し出している・・至高の実在・・真我・・
あなたがそれだと言っている。
こういうことは、もちろん意味不明な言説と感じるだろうが、
嗚呼・・ここが肝心かなめな・・意識の超えるべき峠と言えようか。
・・・
あなたは毎日眠りを経験している。
眠りとは何かといえば、身体が休息していることと考えているかもしれない。
眠りの時は、身体が休止していると同時に「意識」が無い。
その意識が無い・・いわゆる熟睡時には、どんな知覚経験も無い。
どんな知覚経験もない・・無意識・・である。
さて、この熟睡時、無意識の時に、日常の世界は存在しない。
そんなこと言えば、・・
いやいや、
存在しない・・?わけではなく、・・あなたはただ眠っているだけ、
世界はしっかりあるはずだと・・漠然とそう思っている。
そう、
自分が眠っているだけで、ちゃんと世界は存在している・・
そういう風に思っているだろう?
「そりゃそうだ、当たり前だよ、
世界がその間存在しない?とかを意味する・・、
そんなことってあるわけがないじゃないか!」
当たり前のように・・そう思っているはずだ。
1日24時間のうち8時間、そのうち熟睡が4時間・・
24時間分世界はちゃんと存在しているのだと、そういう言い方である。
世界が存在している24時間のうち、一部分で睡眠がある。
世界は24時間存在していて、自分が数時間眠っているだけだと・・
そう想っているのである。
でも、・・・
眠っているその時、・・一体誰がそれを証明・検証するのか?
それ・・というのは、世界が存在している・・ということだが、
誰が証明するのか?
あなたが無意識であれば、世界も知覚できないわけで・・
その時世界が存在しているとは決して言えないのである。
・・・・
そんな馬鹿な!・・熟睡中(無意識)にも世界がある・・に決まっている。
そう想って、それ以上考えないかもしれない。
なぜならば、目が覚めれば、すぐにいつもと同じ世界が現れるからだ。
いつもと同じ世界がまたそこにあるから、今までもずっと在ったと、
そう「想う」のである。
だから自分が無意識であろうと、そうでなかろうと、
世界・宇宙は、意識の有るなしに関係なく、
常時存在しているのだ・・・・というのが常識である。
そうではないか?
・・・・
さらに、
あなたが眠っている間も、誰かほかの人が起きていて、
世界を観ているのであるから、
世界は持続して存在していると言う話になる。
・・・
でも、繰り返すが・・・・
あなたが眠っているときに・・つまり無意識であるときには、
世界も、他人も、宇宙でさえ知覚できていないその時に、
世界が存在していると・・・
どうしてそれが・・わかるのかということである。
その時には、「世界がちゃんとあるよ・・」と言ってくれる他人さえもいないのだ。
・・・・
今までこのような話を聞いたことが無いとは思われるが、
実に肝心なところなのである。
多くの人が、
日常の・・真の・・在りのまま・・に本当に気づいていない。
在りのまま・・とは、
あなたが気づいていなければ、その気づいている対象としての世界は無いよいうことである。
あなたという「意識」が無ければ、あなたの「世界」も無い・・・ということである。
(つづく)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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