私たちは、今・・生きていることを知っている。
どんな人も、これは例外なくそうだ。
そう、
それは「意識」があるからだ。
意識とは気づいていることであり、
自分自身を・・意識していること・・気づいている・・のである。
そう、
”気付いていること”が・・すべてのわたし・・の原点だ。
わたしとは・・意識・・だ。
意識の対象である・・肉体ではない。
単なる聞く、憶えるの知識ではなく、
時間を使い、概念を調べ、想像をめぐらし、
この真実に深く、充分に気づく必要がある。
アセンションとも言われる、この時期特有の表現で言えば、
わたしとは肉体である・・から、
わたしとは・・意識である・・に次元上昇せよということだ。
自らの至高の意識に・・深く気づく努力をすべしということだ。
方向転換のスイッチは・・自分で、意識で、入れるのだ。
今起きている、
信じられないほどに愚かさが露呈された混乱の世界は、
やがて消えてゆく映画の最終幕劇のようなものだ。
そこには・・
長きにわたった制限世界の歪(ひずみ)あるいはカルマの噴出以外には、
追従すべき・・どんな真実もない!
わたし・自身である意識
・・それが根源に繋がっている・・”証”。
存在・意識・在ること・気づいていること・・
ひっくるめて・・意識‥と言うならば、
これが・・真我の”証拠”、誤解を招く言い方だが王家の紋章、
あるいは神・根源を感じる息吹である。
人間という、次元制限された個体に見える‥意識は、
・・神なる根源の・・湧出点・・・・
あなたやわたしという個人の意識に見えるものも、
個人の魂に見えるものも、
無限の空(くう)・・・ひとつなる・・絶対・無限の・・
多次元的な表現形態、言わば、ほとばしる湧出点である。
根源・・至高の実在である・・意識・・・が、
在ろうことか、生まれて死すべき単なる有機的肉体である・・という、
空恐ろしく局限されたマインド・思い込みによって、
真我から分離するかに見える・・我を忘れる経験が出来るのが・・・
この地球という3次元世界だったのだ。
実に得難き・・あり得ないような経験が出来る・忘我の世界、
あなたもわたしも・・今もう、その終わりの時にいる。
世界に作られたコロナの混乱は、
嫌々している人たち、眠っている人たち、
有無を言わせず多くの人を巻き揉もうとしているではないか。
もう、時間はないよと言っているのである。
気付いているだろうか?
潔く・・事の次第を観察しよう。
そうすれば、
例えれば、卒業前の時期の・・
得も言われぬ感慨が沸き起こるだろう。
日本には・・覚悟・・という言葉があり、
覚り、悟り・・腹をくくる・・選択する・という意味に使われるが、
そこには知恵や勇気も含まれていることは明白だ。
肉体という衣は一時のもの、
与えられたそれに必ずしも執着することなかれ・・だ。
そうした、
覚悟あらざれば、混乱の中に再び消え入り、
覚悟あればこそ、闇の帳を越えてゆくだろう。
これは目先の生き残りだけの話ではなく、
意識・魂レベルの大いなるステップのことなのだ。
忘我から自己覚醒へ、深い眠りから目覚めた意識へ・・、
嗚呼・・朋よ・・・本道へと戻る時が来ていると悟れるか。
今の現象世界の動きを観れば、
今までとは起きていることのフェーズが異なることがわかるはずだ。
今世界には、生きるか死ぬか・・の選択が滲み出しているが、
旧次元的な生き残り策、安易に流れること、目先の対応、
他を犠牲にしても我が身だけは生き残ろう、利ザヤを得よう・・、
そんな悠長なステージではないことに、
今はもう・・気付くべきである。
他の者がどうだとか・・外の世界の流れがどうだとか、
他人が何を選択するのか・・・ではなく、
あなたは真に・・どうありたいのか・・・・
それが本質的に・・自身に・・問われているのだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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