存在するすべては波動に帰せられる。
ここで話していることは、何も難しくもなく、こねあげた勝手な想像でなく、
身の回りのことを含めた諸現象のことを、既知な科学的知識を用いながら、
それをシンプルな言葉で表現しているに過ぎない。
身の回りのすべて、あるいは自分の身体、そして自分の思考、精神の働き自体も、
突き詰めていけば「波動」あるいはエネルギー波動ということなのだ。
毎瞬吸っては吐く息も、まぶしい太陽の光も、
毎日その手で扱っている、なじみのある固形物体も、
あらゆる全ての物、事象は・・・
微細な粒子のように「観察」されるエネルギー・波動である。
例えば遺伝子のねじりは文字通り波動と情報を象徴的に表している。
粒子は現象を生み出すエネルギー振動のパケット(局所的集合)状の有様のこと。
局所的に集合した波動というわけだ。
あなたのやり取りしているメールも、電磁波に乗った情報のパケットのやり取りだと知っているだろうか。
「やー、おひさしぶり、久しぶりのメールですが、お元気してる?」
これも空間を伝搬している電波という波動に乗った情報の交換そのものである。
そして「情報」とは、あなたの思い、意思ともいえるものだ。
「思い」が・・この場合は「電波に乗って」伝わっている・・そういうこと。
言葉、音声、音波を使った話し合いなども、現象の仕組みの話をすればそういうことになるのだ。
全てが全てと「波動」で意志をやり取りをしている。
肝心なのは、すべてが波動、エネルギーの波の出来事であるということだ。
これは何も飛んでも理論でも、勝手な想像でも、
政治や国際社会で当たり前に行われている、本当のような嘘八百の寄せ集めの吹聴でもなく、
人類の物質探求の先にあった科学技術の成果を「まとめて」表現しているだけのことだ。
・・・
すべては究極で・・波動・エネルギーであるというのは、
今ある生活、時空間全てで見いだせるはずである。
我々は固形物に取り囲まれているわけではなく、「波動」に取り囲まれている、
いやいや、そもそも、自分のからだ・・そのものが波動であり、
さらにそれを認識するところの思考・想念も「波動」なのである。
思考や想念は、身近な物質の振動数よりもはるかに高い周波数、
あるいは次元の異なる波動帯域の・・<波動>である。
肉体、物質という、ある範囲のエネルギー運動・振動破を、
それを対象として認識できる「意識の働き」思考、想念は、
その対象自体ではないわけで、言い換えれば
想念波動は、物質波動とは異なる・・上位の周波数帯にあるということだ。
なぜならば、低い振動数からは高い振動数は得られない、
つまり低い振動数は、高い振動数よりはるかに情報量が少ないからだ。
白黒TVで映し出せる映像は、ハイビジョンカラーTVに比べ、
全くと言っていいほど情報量が少ないことと同じである。
これは何もTV、ラジオ、通信端末に限らず、波動として存在する、
あらゆる全てにあてはまるだろう。
古くからも、
人間は、肉体、精神、魂の複合体と言われている。
あるいは、身体、想念体、霊体の複合体ともいうだろうか。
また、その波動形態の現れ方として、7つの色彩になぞらえる、
7つのチャクラ、エネルギーセンター、が内在しているとされている。
あらゆるものが波動であれば、階層的なあるいは、様々な波動体の複合体としての
表現に理解が深まる事にもなるだろう。
人間も動物も、物質肉体、細胞などの塊・・だとでも言うような、
世間常識のおバカさ加減に合点がいくのではなかろうか?
欧米的物質偏重文明で、これでもかと洗脳されて育った現代人いわゆる文明人?は、
ほとんどが自分とは肉体であると信じこんでいたし、
それ自体が、まったく当たり前の想念として親子、親戚、社会組織全体で、
それ以外の言葉を発することも憚られてきたようだ。
そうではないか?
肉体を観ているのは誰か?
思考という意識の働き・・を通じて、
それを観察している・・魂である。あるいは霊、真我、内在神・・
呼び方はなんでも良く、要は本質としての・・わたし・・。
あるいは根源波動・・
それが在るからこそ・・身体と精神があるのだ。
そこから様々な段階に波動を落としつつ、
現象化という創造が起きている!
量子場でいうところの・・・観察によって・・物質を現象化させる働き・・
その観察している主体を、例えば根源波動と呼べばいいかもしれない。
根源波動から多次元、多周波数帯域が生じており、
様々な波動帯域を観察する・・わたし、
あるいは簡単には、高い・低い段階の・・わたし・・があることになる。
もとは根源、ソース、神、・・それは内在神・・魂、霊・・
呼び方はなんでもよい・・つまり・・<わたし>には違いない。
そしてあなたには違いない。
ハイアーセルフと言われる、より高次の自己・・ともいえる・・セルフ・・
波動的に言えば、より高い波動・エネルギー周波数帯域の自己・・と言えよう。
あなたは・・・肉体がそうであるように、
身の回りのすべてのものがそうであるように、
無数の波動・エネルギーをまとっているならば、
それは根源波動から次元を落として出現していることを意味している。
わたしとは何か・・、それを表現するならば、
肉体、精神、そして霊、魂という根源の派生波動、あるいは神の分霊である。
そして、さらに、
その神の分霊としての・・わたしとは、無数の波動帯に展開している。
つまりわたしの本質・・魂・・は無数に自己を展開しているということだ。
わたしは・・在る・・普通のあたりまえの事実が・・それを示している。
目くるめく美し気な装飾や、ど派手なビリビリ刺激や、
なおさら、どっかーん、バコーンの中に決して何かあるわけではない。
・・今・・在る・・ことは・・時空を超えたて在るということ。
簡単な過ぎて・・身近すぎていつも見逃していた・・それ・・だ。
OH! MY GOD!
たとえ、
この世界に在り、無駄にややこしい関係性や、実に愚かな行為の群れ、
人々がまるで無知の・・無知の繰り返しをしていたとしても、
あるいは、
生きるためと称して、いつも世間にひき戻され、
やれやれ今日もようやく過ぎた・・と安堵のため息があったとしても、
お金ください、使って流せ、こちらによこせと、
企業、社会、国家単位でやりあっているのも観ているとしても、
いのちの体験場に喜々として生まれてきた人たちを、
爆弾でドカン、バコンと、
大量に、この世から追い出す愚かな戦争が最後にあったとしても、
そして、とうとう地球という回り舞台が、1万数千年の歴史絵巻の
その一巻(ひとまき)を「急転」終了したとしても、
・・・
それは全く意味のあることであると心得るのが良いだろう。
絶対もう決して二度とやらないという決意と、英知を生み出すための、
反面教師のような、そういう意味がある惑星劇場だと心得るのが良いだろう。
そして、そうであるならば・・あなたにとって、
ある時、その3次元映画ストーリーが終わったときには、
嘆き悲しむことなく、ましてや恐怖で右往左往することなく、
映画の興行主たるこの生命学園に、
こころからの拍手を送ることが出来るはずである。
こころからの拍手は・・
あなたの魂・霊・神の分霊の・・振動エネルギーの上昇の振動音である。
「ブーン、ブンブン」(笑)
ここで話していることは、何も難しくもなく、こねあげた勝手な想像でなく、
身の回りのことを含めた諸現象のことを、既知な科学的知識を用いながら、
それをシンプルな言葉で表現しているに過ぎない。
身の回りのすべて、あるいは自分の身体、そして自分の思考、精神の働き自体も、
突き詰めていけば「波動」あるいはエネルギー波動ということなのだ。
毎瞬吸っては吐く息も、まぶしい太陽の光も、
毎日その手で扱っている、なじみのある固形物体も、
あらゆる全ての物、事象は・・・
微細な粒子のように「観察」されるエネルギー・波動である。
例えば遺伝子のねじりは文字通り波動と情報を象徴的に表している。
粒子は現象を生み出すエネルギー振動のパケット(局所的集合)状の有様のこと。
局所的に集合した波動というわけだ。
あなたのやり取りしているメールも、電磁波に乗った情報のパケットのやり取りだと知っているだろうか。
「やー、おひさしぶり、久しぶりのメールですが、お元気してる?」
これも空間を伝搬している電波という波動に乗った情報の交換そのものである。
そして「情報」とは、あなたの思い、意思ともいえるものだ。
「思い」が・・この場合は「電波に乗って」伝わっている・・そういうこと。
言葉、音声、音波を使った話し合いなども、現象の仕組みの話をすればそういうことになるのだ。
全てが全てと「波動」で意志をやり取りをしている。
肝心なのは、すべてが波動、エネルギーの波の出来事であるということだ。
これは何も飛んでも理論でも、勝手な想像でも、
政治や国際社会で当たり前に行われている、本当のような嘘八百の寄せ集めの吹聴でもなく、
人類の物質探求の先にあった科学技術の成果を「まとめて」表現しているだけのことだ。
・・・
すべては究極で・・波動・エネルギーであるというのは、
今ある生活、時空間全てで見いだせるはずである。
我々は固形物に取り囲まれているわけではなく、「波動」に取り囲まれている、
いやいや、そもそも、自分のからだ・・そのものが波動であり、
さらにそれを認識するところの思考・想念も「波動」なのである。
思考や想念は、身近な物質の振動数よりもはるかに高い周波数、
あるいは次元の異なる波動帯域の・・<波動>である。
肉体、物質という、ある範囲のエネルギー運動・振動破を、
それを対象として認識できる「意識の働き」思考、想念は、
その対象自体ではないわけで、言い換えれば
想念波動は、物質波動とは異なる・・上位の周波数帯にあるということだ。
なぜならば、低い振動数からは高い振動数は得られない、
つまり低い振動数は、高い振動数よりはるかに情報量が少ないからだ。
白黒TVで映し出せる映像は、ハイビジョンカラーTVに比べ、
全くと言っていいほど情報量が少ないことと同じである。
これは何もTV、ラジオ、通信端末に限らず、波動として存在する、
あらゆる全てにあてはまるだろう。
古くからも、
人間は、肉体、精神、魂の複合体と言われている。
あるいは、身体、想念体、霊体の複合体ともいうだろうか。
また、その波動形態の現れ方として、7つの色彩になぞらえる、
7つのチャクラ、エネルギーセンター、が内在しているとされている。
あらゆるものが波動であれば、階層的なあるいは、様々な波動体の複合体としての
表現に理解が深まる事にもなるだろう。
人間も動物も、物質肉体、細胞などの塊・・だとでも言うような、
世間常識のおバカさ加減に合点がいくのではなかろうか?
欧米的物質偏重文明で、これでもかと洗脳されて育った現代人いわゆる文明人?は、
ほとんどが自分とは肉体であると信じこんでいたし、
それ自体が、まったく当たり前の想念として親子、親戚、社会組織全体で、
それ以外の言葉を発することも憚られてきたようだ。
そうではないか?
肉体を観ているのは誰か?
思考という意識の働き・・を通じて、
それを観察している・・魂である。あるいは霊、真我、内在神・・
呼び方はなんでも良く、要は本質としての・・わたし・・。
あるいは根源波動・・
それが在るからこそ・・身体と精神があるのだ。
そこから様々な段階に波動を落としつつ、
現象化という創造が起きている!
量子場でいうところの・・・観察によって・・物質を現象化させる働き・・
その観察している主体を、例えば根源波動と呼べばいいかもしれない。
根源波動から多次元、多周波数帯域が生じており、
様々な波動帯域を観察する・・わたし、
あるいは簡単には、高い・低い段階の・・わたし・・があることになる。
もとは根源、ソース、神、・・それは内在神・・魂、霊・・
呼び方はなんでもよい・・つまり・・<わたし>には違いない。
そしてあなたには違いない。
ハイアーセルフと言われる、より高次の自己・・ともいえる・・セルフ・・
波動的に言えば、より高い波動・エネルギー周波数帯域の自己・・と言えよう。
あなたは・・・肉体がそうであるように、
身の回りのすべてのものがそうであるように、
無数の波動・エネルギーをまとっているならば、
それは根源波動から次元を落として出現していることを意味している。
わたしとは何か・・、それを表現するならば、
肉体、精神、そして霊、魂という根源の派生波動、あるいは神の分霊である。
そして、さらに、
その神の分霊としての・・わたしとは、無数の波動帯に展開している。
つまりわたしの本質・・魂・・は無数に自己を展開しているということだ。
わたしは・・在る・・普通のあたりまえの事実が・・それを示している。
目くるめく美し気な装飾や、ど派手なビリビリ刺激や、
なおさら、どっかーん、バコーンの中に決して何かあるわけではない。
・・今・・在る・・ことは・・時空を超えたて在るということ。
簡単な過ぎて・・身近すぎていつも見逃していた・・それ・・だ。
OH! MY GOD!
たとえ、
この世界に在り、無駄にややこしい関係性や、実に愚かな行為の群れ、
人々がまるで無知の・・無知の繰り返しをしていたとしても、
あるいは、
生きるためと称して、いつも世間にひき戻され、
やれやれ今日もようやく過ぎた・・と安堵のため息があったとしても、
お金ください、使って流せ、こちらによこせと、
企業、社会、国家単位でやりあっているのも観ているとしても、
いのちの体験場に喜々として生まれてきた人たちを、
爆弾でドカン、バコンと、
大量に、この世から追い出す愚かな戦争が最後にあったとしても、
そして、とうとう地球という回り舞台が、1万数千年の歴史絵巻の
その一巻(ひとまき)を「急転」終了したとしても、
・・・
それは全く意味のあることであると心得るのが良いだろう。
絶対もう決して二度とやらないという決意と、英知を生み出すための、
反面教師のような、そういう意味がある惑星劇場だと心得るのが良いだろう。
そして、そうであるならば・・あなたにとって、
ある時、その3次元映画ストーリーが終わったときには、
嘆き悲しむことなく、ましてや恐怖で右往左往することなく、
映画の興行主たるこの生命学園に、
こころからの拍手を送ることが出来るはずである。
こころからの拍手は・・
あなたの魂・霊・神の分霊の・・振動エネルギーの上昇の振動音である。
「ブーン、ブンブン」(笑)
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