気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

観察者

2021-09-21 05:22:29 | 語り部の章

元々、なにも無い・・エネルギーもない・・その真空から・・、

どうして・・原初の波動・物質の元になる・・微細な波動が起きるのだろうか?

 

物理学の理論話ではないので、

こうなって、ああなって、そうなるからこうなんだという、

難し気な枝葉の話を避けるならば、

 

・・真空から・・、

どうして・・原初の波動・物質の元になる・・微細な波動が起きるのか?

 

結論を言えば・・

答えは・・・『観察者がいるからだ』ということになる。

 

観察(者)が・・物質の元になる・・微細な波動を起しているのだ。

「観察(者)」は・・「観察対象」を常に・・瞬間・・伴うのである。

 

意味不明だろうか?

そんな簡単なものか!・・馬鹿言うんじゃねえ!・・だろうか?

 

 

観察(者)が・・物質の元になる・・微細な波動を起している

拙い文言だが・・これは宇宙創成の原理を・・説明している。

 

観察者である・・あなたが・・

あなたの観察対象世界を瞬間・・起こしている!

 

起しているって?・・・そんなつもりも何もない・・はずだから、

そんなことあり得ないと「思っている」のである。

曇りに曇ったマインドが大きな邪魔をしているのだ。

それはあるがままではない。

 

あるがままの真実は、

観察者である・・あなたが・・

あなたの観察対象世界を瞬間・・起こしている!・・・のである。

 

言い方を変えれば、

あなたがいるから、あなたの世界がある。

チコちゃんの言うように、「ぼーっと」生きているわけではない。

 

観察する者がいて、観察対象があることは簡単に理解可能だろう。

観察対象が・・対象が・・独自に存立しているわけではない。

物質も素粒子もすべて・・観察されるもの・・対象物だ。

それらで構成されるあらゆる物、世界・宇宙も観察対象物である。

 

対象が・・どんなに小さかろうと巨大であろうと・・

それは観察対象の集合形以外の何物でもない。

 

観察(者)がなくて観察対象・事象は存在し得ない。

これは自明の理である。

 

究極の観察者・・根源意識・・を創造神とか呼んでいる。

 

人間にもその創生原理は適用されている。

単に文字読みだけでなく、ちょっと目を話して身の回りをよく観るといい。

 

例えば、あなたが目の前のスマホや周囲の環境を観ているから、

そこに観察対象が知覚されている。

物質も・・物、物、物体、実体としてそこにあると思っているが、

観察手段である視覚や聴覚、臭覚、触覚によっている。

 

手で触って、その質量感を感じている。

大きさやずっしり重い質量感も・・触覚の知覚対象または情報なのである。

それらの情報を知る者・・それを観察者という。

人間の場合は・・わたし・・あなたである。

わたし・・→ 観察者、     

周囲の環境の知覚内容・・→ 観察対象である。

 

難し気な物理科学においても、

素粒子の動きを機械・装置で観測する者も、調べる者も「観察者」だ。

その「観察者」のことを人間と言っている。

観察者の存在によって、素粒子の挙動が変わるのを「観察者効果」と呼んでいる。

 

人間は、視覚・聴覚・触覚などの五感を通じて観察している。

高度・精密な機械装置を使っていても、元は人間が観察するのである。

また、さらに

人間の・・目そのものが観察者ではなく、

耳が観測者ではなく、手そのものが観察者ではない、

その背後にある者?・・・が観察者である。

 

その背後にある者?・・となれば、

神経細胞、神経系統、それを集約処理している「頭脳」が観察者であると言う言説があるが、

神経組織・頭脳さえも・・また観察される対象・・物質・原子・素粒子などの集合体である。

それらも観察対象に過ぎないのだ。

だってそれも科学の追求の対象、そこに有る物だ・・からである。

 

結局それらも・・物質で出来ているとされている。

その働きの全貌は不明としても、頭脳だって物質ということだ。

・・・

だから、人間の本質はつまるところ「頭脳」だ・・という言説になり、

つぎに、結局・・わたしは「物質」である・・という話になるわけだ。

従って、

わたしは肉体・物質だから、それが崩壊すれば全終了・死・・と考える。

これはまた、唯物還元論、機械論という類の考え方だ。

こういう風にして、

わたし・・とは結局・・有機的物質の集合体という話に落ち着く。

これは科学の成果による認識である・・と。

確かに・・わたしの肉体は物質で出来ている・・と観察している。

 

しかしながら、普通、『わたしの肉体』などと言うように。

単に肉体・・などと言わず、「わたし」・・をつけて言うだろう。

 

わたしの・・(持っている)・・肉体?・・・であり、

わたしそのものではない・・ことになる。

わたしはそれを持っている・・のである。

つまり、わたしは・・肉体・・ではない ということになる。

・・・・

理知的な人は、ここで気づくだろう・・・。

いつも・・・わたし・わたし・と言っているそのわたしとは何か?に・・

頭脳を観測・観察している、あるいはそれを物質だとしている・・・のは・・誰だろうか?

 

簡単に言えば・・「人間の肉体は物質である」・・と、

気づいている者は何か?

 

誰か?・・と言えば、お前かあいつか・・あなたか?という個体人間のイメージがあるが、

そうではなく・・そういうこと全てに・・気づいている者・・というか、

気付いているのは・・何者か・・・ということだ。

 

それを・・・直感的に・・わたし・・と言っているのである。

 

結局・・・わたしとは・・何か?

 

あなたはもう解ってきたかもしれない。

どうなんだろうか?

どう思うだろうか?

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 


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