気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(1)<私個人>は実在せず

2016-05-15 05:15:59 | 人間とは何か
●私個人は実在するのか?

個人は実在しない?・・等という概念は、あり得ない架空の話のように聞こえるものだ。

そうではないか?

<私>という個人だらけの世界、地上に73億もいる人間の、

その個々人が・・実在していないわけないではないか。

「アホか?、そんなこと話の外だ、論外だ!」、

変な話やめてくれない?・・ということになるだろう(笑)。

つまりそう、

こういう問いかけ自体、まったくの論外で、

つまり・・・よくよく吟味してこなかったということに他ならないのだ。


そんなの哲学者か宗教でやるべきもので、私とは関係がない・・みたいな。

私の本質的なテーマが、私とは無関係、手の届かぬものにいつの間にかなっていた。

本来は「おいおい、正気かよ?」なのだが、それが当たり前の風潮社会で、

外れるとつらい思いをするよ等という、

静かな恫喝を含んだ今までのマトリクス世界に気付けるだろうか。


なんのために生きているのか?という、若いころは誰にも湧き上がる本質的な疑問も、

学校の先生でもわからないのだから・・私が考えても無駄・・そんな経験ないだろうか。

全てではないが通常は、ここで自己探求意欲が失われるということだ。

そのうち、生活の為と急き立てられるように、外の世界、競争世界にハマりこんでゆく。

でも学校の先生のせいでもない。(笑)
・・・

個人は実在しない?・・等という概念は、あり得ない架空の話のように聞こえるものだ。

個々人が肉体を持ち、考えがあり、街中を何千人も歩いているのを毎日見ているし、

その1人1人が<私>という自意識を持ち、名前や経歴や性別、性格があるわけで、

そんな個々人が・・・実在していないなんて・・「あり得な~い!」と思うわけだ。

そりゃそうだろう。

実際、個々人が・・それぞれ別個に独立して存在しているというのが、

擦り込みの激しい、マトリクス観念なのである。

そういうのを「分離」の観念という。


●私個人は現象である
ここで「実在しない」というのは、「仮の存在」であるというような意味であり、

現象として在るが、「それが永久不滅のリアリティーではない」というような意味である。

それぞれの私・個人も、・・変化変遷し、留まるところのない現象であるという意味。

であれば、なんとなくわかる気がするかもしれない。

個々人は「実在しない」という意味がなんとなく分かるかも知れない。

あなたやわたし達という個々人は、やはり、変化・変遷する現象の中にある。

そうではないか?

私という個人は、一時の、仮の存在であるということだ。

生れては死ぬ定めの、

人生にいつか現れ、そしていつか去ってゆく、それが個人という<現象>だ。

これなら誰でも理解するはずである。


●今在る事実から逸れていただけのこと

私個人は、一時の仮の現象ということも、

気付けば当たり前の説明なのだが、常日頃そんなこと思わないからこそ、

「何それ?」ということになるものだ。

しかしながら無意識にあったこと・・・忘れている類の事実を言っているだけの話だ。

生活大変、仕事大変、人間関係大変、ローン大変、世界情勢大変・・

そんな中に放り込まれていたからこそ、集団で素通りさせられて、

それに気付かなかった、結構切実な・・事実を言っているに過ぎない。


そう、「個人」は<実在>していないのである。

意味深いところがあるが、

結構来る!(笑)・・表現ではないか?


言葉の意味合いで、そういう風に表現するだけではなく、

それぞれ、<私個人>は一時の現象、仮の存在であるというのが「事実」なのだ。

ちょっとドキリだが(笑)、はっきり言って、あなた達や私という個人は、

実在しない、仮の現象なのである。

頭で概念を素通りせずに、感じて観たらいい。

「私という個人は・・実在せず!」(えー?!)

OH MY GOD!

・・・

だが、しかし・・

私個人が、一時の仮の<私>だとしても、

私は存在しているという・・感覚がある。間違いなく。

別にロボットでも夢遊病者でも植物人間でもない。

私は・・今ここに存在している・・在る・・という実感があるはずだ。

私は今生きている・・という想いや、皮膚や五感を通じた知覚での、

自己存在感があるはずだ。


(2へ、つづく)

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