気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

宇宙と意識

2010-05-08 09:45:32 | 新地球文明論

●ホーキング博士の宇宙人発言

ホーキング博士が地球外生命体のことをコメントしたという事が、公けのニュースで報じられていた。なるほど、時代は変わったとも思える所以である。

権威筋の著名な学者がいわゆる宇宙人の話をするなどということは、常識の中だけが確かだと思ってきた人々にとっては、晴天の霹靂のようなものであり、またある人々にとっては未知の観念にたいする困惑を生み出すようなものだろうか。

しかしながら、これは小出しとは言え、身近にある未知なるものに対する厚い既成観念の覆いが破れかけている証拠だとも考えられる。

これはまた、大勢の人々が社会的な著名人が言うことを信じていることの証である。ホーキングが言うことであるから・・と思ったが、何か想定外のことをつぶやいている・・とでも感じる人々もいるだろう。自分が思うに、ホーキングならではのせめてもの吐露であったのだろうか。

なるほど、何処かのおばさんやお兄さんがそんなことを言ってもニュースにもならないものだ。「想定外」のことは存在しない・・という無意識の観念に浸ってしまっているのだろう。真実もリアリティーもいつも誰かに頼っていることを良しとする人類集合意識を示すものでもあろうか。

未知なるものに対する興味や好奇心という、人間にとっての重要な1つの特質が、いつの間にか「常識」という集団観念のカテゴリーのなかで「眠って」しまっていたということなのかもしれない。

皆が言うこと、それが正しいことだ・・という観念。多数決の論理がなぜか漠然と、全てに浸透している集合意識の有様から言えば、権威筋のアナウンスによって、大きな風穴が開きだしたとも言えるだろうか。

それは、集団で安眠を貪ってきた我々の観念世界のなかに、涼しい風が吹いてきたともいえるのだ。それが涼しく感じるか、恐ろしく感じるか、または変わらずそんなことはあり得ない、と感じるかの「選択枝」が提供されているとも言える。

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●今は黒船の時代

今の時代を、大河ドラマで放映中の「龍馬」の時代、「黒船の時代」になぞらえる人も多いことだろう。太平を謳歌した江戸時代という文明の飽和状態から腐食し始めた、ちょうどその時に開国を迫る黒船が現れてきたのは意味深長である。黒船が良いか悪いかは別の問題だが。

人類意識の内面が変化し始めたことに呼応して、外の世界も変化し始めるということだ。個人でも文明でもそれに変わりは無い。

NASAやロシアの宇宙開発の過程では様々な地球外文明の証拠を観測しているが、それをひいき目に言ったとして、大衆の為という架空の大義名分によって隠してきたということだが、このような地球周辺にいる地球外生命体いわゆる宇宙人は権威筋、支配筋では当たり前の常識であるらしい。支配者側の自己存続自体が主眼となってしまい、事実を隠蔽することは本当によくあることだ。

宇宙人が存在するかどうかということを誰かが証明するまで待つ必要はないだろう。宇宙に存在する意識的生命体を宇宙人とすれば、我々こそまさにそうであるし、我々地球惑星圏以外の生命形態はあるのか?という意味で言えば、最も良識ある回答は、「我々に公式に認知されていないだけ」ともいえるし、また、もっと控えめな表現では、「宇宙人が存在しない<理由>は、どこにもない」と言えるだろう。

したがって、宇宙人はいるわけない・?とする一般風潮自体が、集団自己催眠に掛かっているようなものなのだ。

 

●生命を育む惑星の控えめな科学的解釈例

 「生ける宇宙」 アーウ”イン・ラズロ著(日本教文社)より抜粋

わたしたちの宇宙には10の20乗、すなわち1000京個以上の恒星が存在し、その全てが活動期にはエネルギーを生み出す。その多く、おそらくほとんどが、自らの周りを周回する惑星を伴っており、化学的条件と温度条件が適切な惑星の上では、やがて生命に至るような自己組織化が始まる可能性が高い。

生命を育むことが可能な惑星がどのくらい存在するかについては、確かなことはわかっていない。推定値はばらついているが、徐々に大きい数へと修正されている。ハーバードの天文学者、ハーロウ・シャプリーは、控えめに見積もりを行なって、まず、1000個に1個の恒星だけが惑星をもっており、そのような恒星1000個のうちの1個だけが、適切な距離に離れた惑星を持っていると仮定した。

彼はさらに、恒星から適切な距離にあり、適切な大きさをした惑星の1000個に1個だけが生命を育むに適した化学組成をもっていると仮定した。そのようなたいへん控えめな見積もりをしても、宇宙には生命を育むことが出来る惑星が少なくとも一億個存在するはずだということをシャプリーは見出した。

・・以上抜粋。

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地球的な生命形態に限っての想定算出例であるが、それだけでも単純に我々の可能な電磁波的な観測から言っても、地球型生命の生息できる惑星は観測される宇宙の中に、1億はあるだろうということである。10個、20個でなく、1億である。これは科学的な「常識的」、かつ控えめな想定なのだ。「常識的」な解釈の見地に立っても、宇宙生命体は否定などできるはずもない。

それが地球に来ているのかどうかということであるが、いわゆる「UFO」という形でしっかりとそこに来ているといわずばなるまい。

UFOは未確認飛行物体というカテゴリーに分類され、未確認な飛行物体は、何でもかんでもひっくるめてしまって、わけがわからないようになっているが、そのうちで「非直線的」な動きをするものや、空気振動音を発しないもの、意識的な挙動をするもの、周囲の力場の周波数的変調などによる発光を伴うもの、空間をホッピングするようなものは、その多くが正真正銘の「UFO」と考えられる。簡単に言えば、地球外の乗り物である。

それはすなわち一般的な言い方では「宇宙」を移動する乗り物、すなわち「宇宙船」である。人体組成を保護しながら、宇宙の時空間を移動する為には、その時空間から人体を保護するエリアが必要であり、これは海に浮かぶ船と同じことなのだ。

組成形態の異なる海と肉体を切り離し、かつその海自体を航行するボディ・船体が必要であることと同じである。人体という最外表現形態ともいえる何らかの肉体を有する知的生命にとっては、その時の肉体及び意識の周波数帯を保護しながら、航行することが出来る集合的保護ボディーが必要であろう。すなわち宇宙船である。

これらの乗り物は、直接意識のコアによる転生によらない、外皮ボディーを伴った時空の転移を行なう船といえるだろう。

はるばる地球に来る為には、時空をホッピングするような仕組みの船体であることが最も考えられるし、またそのこと自体が、我々の科学的な「観念」から逸脱している為に、逆に容易に受け入れられないのだ。常識内のUFOなど、あるはずもないのだが、一般的な人々は未知のほうから自らを現してくれること、それを待ち続けているのではないか。しかしながら、未知はまず大勢が既知にしてこそ一般的な現象として現れることが出来るものなのだ。

 

●UFO目撃自体は現実

自分を含め、いわゆるUFOを目撃した人々は相当数いることだろう。一般常識の観念体系の外にあると感じることで、それを何かの見間違いだとか、目の中の星だとかで忘れてしまう場合も多く、また逆に飛行機や気球、人工衛星などとの見間違いもあるだろう。なにごとも鵜呑みは禁物だが無視することは更に問題である。

20世紀前半あたりから急速に増え始めたUFOの観測情報やコンタクト体験情報をなぜか全て無視し、数十年経っても相変らずUFOということに終始している面白い「奇跡」に気づく必要があるだろう。情報収集では間違いなく認知されているのだが、科学技術的な再現形態のノウハウが無い為に、慎重になっているというのは、あまりにも人の良い考え方でもあろうか。

 

●支配と非支配の共通点は未知への恐怖

大衆の信頼する?権威筋が今まで決して公式アナウンスしないわけは、現状維持や支配形態に支障をきたすからであろうし、また逆に一部の人々を除いて、一般大衆の多くがそれに関心を示してこなかったのは、未知なるものへの恐怖によるものでもあるだろう。相互の刹那的利益が同じであったと言えるかもしれない。

未知なるものは、どこかワクワクするようなものではなく、恐怖として感じることにこそ、文明の病を見出すことが出来る。まさか自然界、宇宙が恐怖で出来ているわけはないのは明らかであるにも関わらず、それを闘い、それを征服・支配してナンボの観念からくるところの病である。

しかしながら、本来の常識的な見解だけでも、上の1億個の惑星生命圏が想定されているのだ。我々の地球も単にその1つである。

 

●天にあるように地にもある

地にあるように天にもある・・という言葉は、フラクタル構造としての宇宙のあり方を示し、それはまた相似象ということにも繋がっている。我々の今の意識的有り方を拡大すれば、より大きい世界があることがわかるだろう。ようやく人類はそれに気づき始めたということだ。

宇宙は広大な意識の庭のようなものであり、我々はそのひとつの意識から分化し、広大な自己をあらゆるの方向から、あらゆる次元から観照しているところの庭師のようなものなのだ。

ひとつの意識・魂の無限への分化は、個別の意識体としての生命である。人も動物も岩も、木も川も、大気も、そして惑星遥か離れた時空にあると見える銀河も、それに変わりがないのだ。

 

●人類意識の飛躍の時

我々は今、よちよち歩く、足元ばかりを見る幼児から、更に広い世界を見ることの出来る生命への大きな変化の時にいるのだ。

ホーキング博士は、現在のあらゆる方面からの意識を気にしながらも、敢えて宇宙文明の存在を示す発言をしたものだろう。彼の人も、誰がどういおうと、真実を追究してきたことには変わりがない一人の科学者、また勇者と考えてもおかしくはない。おそれながら、博士は彼自身の顕してきた肉体の異常に関する自己観念を既に超えているものと思われる。

宇宙、森羅万象、多次元とも言われるこの存在世界において、我々は孤独ではないことは間違いのない事実である。

孤独どころか、その意識を拡大すればするほど、大勢の「わたし」に遭遇することになるだろう。そこにはけだるい天国のような虚妄は有り得ず、またおどろおどろしい恐怖の物語もふさわしくなく、ワクワクドキドキするような未知との遭遇と、体験と思考と気づきを駆使した意識の拡大があるに違いないのだ。

あなたがあなたの望まぬものを欲しがらないように、宇宙自体は自己の望まぬものを創れない。本来誰も望まぬ恐怖は無知の影のようなものだ。

過去という舞台で、繰り返し繰り返し滅亡と再生を体験した地上の諸文明の痕跡は今は昔の物語であるが、大宇宙の内部に1点として目覚め、悠久の時を経て自己組織化されて進化した地球人類は今、健在である。

 

●幸せはいつも今ある

楽しいのが、実のところは真実なのだ。

無理しての苦渋のしかめっ面は人間には似合わない。

宇宙に飛んでも幸せとはいえない。

 

しかしながら、

何が無くても「今」がある。

全てが創られるのは「今」だけなのだ。

過去や未来は、今という中心からの投影にすぎないのだ。

 

また未来への心配や、過去への執着は、

今という「あるがまま」の永遠の輝きを覆うベールにもなる。

「今有る」ことの、あたりまえの、かつ驚愕の事実に気づくべきときである・・と思う。

嗚呼・・有夢。

Flower1006

母の日が近いですね。

本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠に有難うございました。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マチョさん、こんにちわっ。 (はな)
2010-06-06 16:51:42
マチョさん、こんにちわっ。

ホーキングさんが、そうですか!すばらしいこってす。そりゃいるだろな、って思います。            
ちなみにUFO見たことあります。ふと夜空を見上げると黄緑色の光がチラチラしてて、「何かなぁ?」って思ってたらヒュンっと「の」の字を書いて消えました。           
UFOを見やすいのは、霊感が強かったり、そーゆーものに好意的な人だとか。目がいい人ってゆーわけでないとこがポイントですよね。

宇宙人がふつうに遊びに来るようになったら楽しいだろうなぁ。地位も名誉も関係ないし、言葉も通じないだろうし(予習してきてくれるかもだけど)。あとは心意気で勝負するしかないっすもんね。なんか清々しいです。


あ、話変わって、きのうテレビで観たんですけど、宇宙野菜って知ってますか?例えば、茄子だったら、緑・黄・白なんてのや、丸かったり芋虫みたいだったり大きかったりと、いろんな色かたちの突然変異を起こすんですって。で、作り方がびっくりなんですけど、種を宇宙船に乗せてって持ってかえってきて普通に育てるだけなんです。特別な処置なしで、宇宙環境の影響を自然に受けるだけなんです。

さすが師匠!(植物をそう呼んでます)アセンションの仕方を示してくれたんですね。変化するには、思い込みをはずすだけでいいってことを教えてくれてるように思います。宇宙旅行をしなくたって、自分の中に宇宙はあるし、自分も宇宙そのものなんだから、「自分」を感じれば変化は起こるってことですね。

面白いことがいろいろわかって楽しいもんです。ではまたっ(^-^)
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はなさん こんにちわ (マッチョマン)
2010-06-06 18:51:53
はなさん こんにちわ

 宇宙に出れば、その空間そのものが、地球の重たい波動から外れるために、意識の覆いが一時的に解かれる人も多いようですね。

今まで数々の宇宙飛行士がそれを物理的な方向から体験してきましたね。

たしかに、たしかに、宇宙は内から行くのが実は早いようですね。
(^ワ^)
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