我々の世界はリアルな幻想世界である。
昨今の言葉ではバーチャル・リアリティーともいえる世界。
その裏方の立役者は、物質という素材だ。
相対論の有名な帰結は、E=m×c^2(E=エネルギー、m=(物)質量、c=光の速度)、
これでアインシュタインは有名になった。
物質はエネルギーであり波動であり、波動の局所的な重合が物質と見えている。
粒子・粒子といってさらに小さな粒子を探しているように見えて、それらは、時間空間というフィールドでの
局在化したエネルギーであり、また波動の重合なのである。
それを無理やり壊すのが、今の破壊的、あるいは平和的?原子力利用なのだ。
波動の重合を、中性子というものをぶつけて原子を「ぶった切る」ことで得られる、余剰のエネルギーを利用するという、荒っぽいやり方である。
まるで恋人の間を引き離すようなもの、あるいは家族の間を引き裂き、路頭に迷わせる山椒大夫の悪行のようなものだ。(笑)
実際笑いごとではないが、このような物質を壊すエネルギーの獲得の仕方は、必ずその物質世界を壊すような方向に進んでしまう傾向にある。
なぜならば、すでにある原子の『調和』を破壊して得ようとするエゴイズムがそうさせるからだ。
平和的な原子力利用?核兵器の圧倒的な威力?
バカなことを、尤もらしく言ってはならない。
難しそうな理論や効率や経済効果等は、全くもってごまかしに過ぎないのである。
単に、それは破滅が何かを知らない霊的幼児たち、それを試したい者たちの、無意識の愚行でしかない。
・・・・
根にある思考を読むことが出来れば、事の本質とその行き着く先が分る。
予知や予測、予言の元にあるのは、根本にある想念のリーディング(読み取り)である。
想念であればこそ、その内形が微妙に変化し、映し出される事象も変化することになる。
現れた事象だけを観て評価とすると、それが当たらぬも八卦、当たるも八卦ということになる。
聖書にある黙示録とは、3次元世界での文明が往々にして、その昇華されざる悪想念によって滅亡してゆく様を、後世に残すために、気を付けるべき教訓として残したものだという事がわかるはずなのだ。
あれは何度もこの地球上で行われた経緯のパターンを示しているわけだ。
それも、そもそも御大層な宗教教義とは関係がない。
・・・
物質はエネルギーであり波動であり、波動の局所的な重合が物質と見えているのである。
そのエネルギーを物質として現象化させるのは何かといえば、
「思考」である。また「想念」ともいう。
「思考」が物質素材を使って形態化することで、様々な「物」、「システム」、仕組みが創られるのだ。
ここが実に肝心な理解のしどころでなのである。
これはたとえ話ではないのだよ。
・・・・・
宇宙多次元世界は、いわゆる全体の、神の「思考」によって出来ている。
それは我々が自然界の「法則」と言っている概念に顕れている。
宇宙は神の夢、幻想といえばおぼろなイメージになってしまう観念があるだろうが、
多次元宇宙、それを存在諸世界というならば、それは神の、あるいは創造主の「想念」で想像されているというのが、
直観的な言い方ではあるが事実なのである。
実際宇宙は、バーチャル・リアリティーな世界。
地球という一つこの世界も同じである。
地球の生態系は、この惑星生命意識体の「想念」で出来ており、
その想念の基にあるのは、・・・・法則を体現したところの「慈愛」。
諸宇宙・銀河・惑星生命圏は、身近な全て、あらゆる生命を慈しみ、愛するという想念の具現化である。
・・・・
すでに学んでいるように、
人が肉親を、恋人を、わが子を慈しみ、保護し、成長を助けたいと『想う』のと同じことなのだ。
その想いは『無条件に』そこにあるべきもの、あるいはそれを表現せざるを得ないものであり、
無条件の切なる想い、・・・慈愛の念がベースにある。
違うだろうか?
これに引き換え、自己存続のための計算や欲得勘定や、宣伝や主張などは、経験すべきものではあるものの、棄て去るべきゴミ以下のものだ。
人間社会の有象無象の制限された共有観念、今はもうそういう生殺しのような揺りかごから目覚めなければならない時期にある。
悪臭を放つエゴ同士のバトルや戦い、勝った負けた、儲けた損した、税をむしれ、働きを上げよ、・・・・
ことほどかように、個人個人が自我存続の闘争システムに組み込まれて、
頑張って生きている・・・、そんな人的世界こそ、
今はもう意味のなくなった仮想現実世界なのである。
多くの人がそれに気づいて来ただろうか?
個人我は・・・生きているのではなく、宇宙全体に生かされているのである。
それに気付けるかどうか。
そうだろう?
大気があるからこそ、呼吸が出来て生きていることが出来る。
水があるからこそ、人体の組織細胞を循環維持することが出来る。
土地があるからこそ、立って歩くことが出来るし、家屋を建てて居住が出来るのだ。
火があるからこそ暖を得られ、温度の過不足を調整することが出来る。
そして太陽の光、エネルギーがあるからこそ、地上は光で満ち溢れるているのである。
・・・・
それを感情論というのだろうか?
それを当たり前だというのだろうか?
あるいはやってもらって、当然のことだというのだろうか?
それとも未だ最優先は・・・銭・金・物・快楽・地位・権力なのだろうか?
生きるためには、他を押しのけてまで頑張らなければならないというのだろうが、
例えれば、それは我を張って生きなければならない・・・という時代想念のウイルスに犯されているということだ。
自分だけは、自分だけは・・・と我を張り、棘(とげ)を磨き、言葉の槍で武装しつつ生きることが、
さも頑張って生きているのだ・・・というのだろうが、
・・・・
その前に
我々は全体によって、慈愛の宇宙のなかで、生かされていることに気付けないのだろうか?
自分達ではどうしようもない自然の調和、膨大な緑の大地、壮大な生態系、生命の表現ステージを、
人間の創ったお金という価値貨幣に変換することに狂奔し、
汚すだけ汚して、その汚染自体に自らが苦しむことすらも気づかず、
未だに世界の汚染の拡散や、自然界の増大する異変に、未だに頭をかしげているのは、
一体全体どういうことであるか。
・・・・
地球上に生存してきた無限種とも思える生命形態、
空や海の生き物はその多くが絶滅種となって去ってゆく、
昨今は、イルカやクジラのような、知的で愛らしく、おおらかな生物、そういう人間に近い生物までこの世界から引き揚げ始めている。
知っているだろう。
極端な気象変化、
世界的大気異常、
温暖と寒冷化の間の大きなブレ、
人々の意識に顕在化してきた地震、地殻変動、
それらは、一時の偶然の産物で、目を背けていればそのうち元に戻るようなものではなく、
蓄積されてきた人類の想念形の、その明確な現象化に他ならないのである。
これを止めることが出来るのは、人間以外にないことは分るだろう。
そうだ、崩壊に瀕している外の世界は、いずれにしても一大変容を遂げなければならない時期に来たのである。
その為には、
人間だけの為の欲得の経済活動を、一定時間断続に休止し、その崩壊の加速を和らげて共生可能な社会を作り合っていくか、
あるいはそこからしか出てこないところの、随所設置可能な分散エネルギー、真空エネルギーを全世界的に導入するか・・・、それ以外に何があるのだろうか。
本来はこれが天の意思、宇宙の、全体の想いであろう。
我欲、エゴを昇華し、お互い様の新しい次元世界を創造するしかないのである。
創るか移行するか、それは波動共鳴として同じことでもある。
これが今の差し迫った現状、現実なのだ。
・・・・
何もせずに、何もわからずこのまま突き進み、廃墟と汚染の中でどうしてこうなったのかと天を仰いで嘆き悲しむのだろうか、
あるいはまた、生きるための水や資源を奪い合い、国は国に立ち向かい、もっとも威力のある核で脅しを掛けながら、最期にドカンと1発で、カルマの帳尻の合わない幕引きを望むのだろうか。
しかしながら、多分それは出来ないことだろう。
地球は慈愛の具現であると同時に、それ自らが生命体、生命場であるがゆえに、
そう、自らが回転時間軸の傾きによって、新しい天地の創造をすることになるだろう。
すくなくとも言えることは、
この先、我々が共同で知覚している、このリアルでバーチャルの世界がどうなろうとも・・・、
あなたの生体フィールド、想念フィールドは自らで光り輝いているべきなのである。
想いは自らで選択するもの、
感じられる、もっとも柔軟で、もっとも朗らかで、最も慈愛に満ちた、もっとも力強い想いを、
あなたの中心から輝かせるのだ。
それが、この母なる地球と共振する、調和する、共鳴することに他ならない。
それが言わば、このような時代に招じられた、魂達の今生の目的のようなものではないか。
嗚呼、もう、は未だなり、そして・・・・未だは、もうなり。
時間は有って無きがもの・・・、さて、後どのくらいあるのだろうか。
残された移行の・・・時の刻みを、さて、あなたはどうするだろうか。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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