下記のような常識的な会話の中に、大切な瞬間を逃し続ける罠がありそうです。
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●分別ある常識人のつぶやき
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人生について語れと言うから、語るよ。別に変なことは言わないつもりだよ。
自分の幸せはまずお金があること、これが必要条件であるという人が多い時代だね。
お金がなければ衣食住ができないからね。
家族も大切だが、結局は1人だからね。それで生活するためにお金がいるんだよ。
だから労働は必須なんだよ。
労働で効率を上げるためには、専門の知識がいるね。
知っていないと、または良く知っているというしるしがないと困るんだよ。
誰も認めてくれないからね。損をするからね。
だから一生懸命勉強し、要領よく能力をつけたいね。
他人づきあいは面倒だから、まーマニュアルどおりに対応すればいい、
そうこうしてお金をもらえば自分たちの利になるから、
ニコニコ振舞うのも損をしないようにするためさ。
出来れば組織の上に行きたいね、皆そう思っているはずだよ。
皆行けないからね、しょうがないさ、だから自分だけでも行けばいいと思うよ。
競争がなければ成長ないからね、皆競争するからこそ頑張るんじゃない?
それに勝てば上にいけるようになっているんだよ。
上に行けば、人になんとなくまぶしい目で見てもらえるんじゃないかな。
偉いとちょっとは言って貰えるし、普通は収入も増えるよ。悪いことじゃないよ。
頑張ればそうなれると思うよ。だから利益をあげなきゃね。
利益を上げれば収入も増えるからね。いい車も買えるし、海外旅行もファーストクラスさ。
外国でお金を落せば、彼らだって潤うじゃないか。悪いことではないよね。
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えーっ世の中に貧しい人や餓死している人もいるって?
しょうがないじゃないか、頑張らないからなんじゃないの、そのための努力もしたのかな。
なにもしないのに豊かになれるってのがおかしいよ。知恵を使ってほしいよ。
努力しないで得られるものは無いんだというのが、わからない程度じゃどうしようもないよ。
えーっ、自分は幸せかって?
・・んなわけ無いじゃないか、しあわせを求めてそのために頑張っているんじゃないか。
頑張ってなにするのかって?・・
なにいってんの、誰だって生きるためさ、わかるだろ?
何のために生きるのかって?
・・あんた夢見る青少年じゃないんだよ、生きてゆくのはとりあえず死にたくないからさ。ちがう?
努力しなけりゃ生きていけない世の中だよ、そんなの常識じゃないか。
常識のために生きるのかって?
・・違うよ、生きるために努力して、頑張って、豊かになっていく。それが人生じゃないのかな、みんながそうしているのが一般常識ということなんだよ。
生まれて来て良かったかって?
・・それはこれからの頑張りによるんじゃないかな。とりあえず稼がないとそんなことも言ってられないからね。
そうでなければ、ゆっくり考える時間も得られないじゃないの。
死んでどうなるのかって?
・・その時にならないとわからないよ。死んだら誰もいなくなるから、自分もいなくなるだろうね。
怖くないかって?
・・怖いからとりあえず頑張って生きているんじゃないかー。皆そうじゃないの?あんた何言ってんの。
あなたは誰かって?
・・ばかじゃないの、目の前にいるじゃないか、ほら見えないのかい?名前も知ってるだろ、ほら。
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こういうのは常識的な会話でしょう。集合意識の平均的な思想を表していると思います。
ただ、当たり前のようで、何かが根本的にちがうような感じがします。
生きるために頑張るということは、一見誰しもうなずくのですが、
生きるということが目的になっており、そのために、まずは色々することが必要だとしています。
色々なことをしなければ生きているとは言えない、というのもうなずけます。しかしながら、実は、自分の意識が今という瞬間から未来や過去の観念にずれてしまっているのだろうと思います。我々の観念はいつも過去と未来を右往左往しており、今の瞬間にとどまることが少ないようです。
生きるということは、目標ではなく、今の瞬間を体験するという無条件の行為であることに気付く必要がありそうです。
過去を後悔し、行く末を案じることが、分別あるもっともらしい人間の態度だという、この時代の常識の罠に気がつくでしょうか。
なるほど、今この瞬間は自分が中心になって、今の瞬間にとどまり続けることは結構大変であるわけですが、自分自身の中身を観察することでそれが出来ると思われます。外を見るのは実は至極簡単ですが、自分を見る方が難しいかもしれません。それは自分自身と向き合うことになるからです。自分の考えや感情、行為を自分で観ることができれば、今の瞬間を見ることになるでしょう。
今この瞬間にとどまれば、心はいつも中心に留まることで、過去や未来に根ざす不安や焦りなど無くなるのがわかるかもしれません。
こだわり続けるべきは、未来や過去という観念などではなく、今という実在の瞬間です。
今は常に動いている唯一の生命形態でもあると思います。
「今という瞬間」は自分という座標の原点でもあります。原点を確認するのが、自分を観る行為といえます。自分を観れなければ、自分が外の世界の1部であるという感覚で生きることになるわけです。
外の世界の1個の物質肉体の中に、自分が同化してしまっていることで、囚人のような不自由さを体験するためなのでしょう。いつまでも飽きずにしてて良いような体験でもないのですが。
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一切有為法 (いっさいの ういのほう)
如夢幻泡影 (むげん ほうようのごとし)
露如亦如電(つゆのごとく またかみなりのごとし)
応作如是観(まさにかくのごときかんをなすべし) :金剛般若経
意訳)世界は空で、うつろうものだからこそ、おのれを見つめ、その時、その日、人生を精一杯に
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