気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

時事雑感(2)大きな経済津波がくるときの心得

2008-09-16 19:06:23 | 色々な気付き

つらつら気づいたことを雑感として記事にアップします。経済の動きは人間のこころの動きにしっかり連動しています。現れた結果、現象から因を推し量ることは何をおいても大切なものだと思います。

●さらに巨大バブルの崩壊、再び

 日本はブラックマンデー、ソ連崩壊、1990年代から2000年初期までの国内金融危機を通じて、終戦後のドサクサから必死になって働いたきた成果である経済成長という実りを、自分達で味わう事はありませんでした。世界は1つという合言葉が、なぜか利用され、搾取されてきたようです。団塊の世代が今まで必死になって、経済社会の1兵卒をこなしながら蓄えてきた年金等も、何かに蝕まれているという事実はもうニュースなどでご存知でしょう。虚構の物質感覚と権力意欲の増大を行なってきたパフォーマーたちの、何かしてくれそうなきらびやかな舞を、スケベったらしく呆然と眺めてきたせいで、各自にあると思ってきた財産にいつのまにかどこからか手が付けられてきたという驚愕の暗示でもあるのです。偉い方達は何か必ず良い事をやっているはずであるという、日本人独特の人の良さと、その裏返しである集団への埋没と観察眼のなさが、問われていると思えてなりません。

●日本に起きることは世界に起きる

 日本国内の10年以上に及ぶ金融危機の後始末がようやく終りかけてきたところが、こんどは欧米からのバブルの破裂のようです。どうも日本の土地神話のバブル性に気づいた者が行なったような感じもします。米国中心の住宅金融、信用収縮バブルは、もうすでに破裂しています。あくまでも笑いやバラエティーが一番というマスコミの鈍さのなかでも、破裂の津波は必ずやってきます。いつもの、苦痛に気づけば、いつの間にか様変わりということになるかもしれません。

 破綻の連鎖のプロセス、日本と欧米との姿勢の違いがここにも現れています。虚妄の宣伝をしながらも裏では、お金をさらに世界から集める算段をしているところかも知れません。

 命をかけた金儲けという人生観が間違いであったとわかるまで、どれだけのことをやらねばならないのでしょうか。虚構の金融工学なるものを駆使してデリバティブなどという証券に変換しながら、要は先物取引をしていたわけでしょうが、そのあてが外れたということでしょう。また真面目で力のある律儀な蟻さん達は、もうこの地球上にいないのを発見したということでしょうか。BRICなどという造語を当てはめられた国々はとうに見抜いているようです。

●蟻の模範は日本か

 まさに蟻とキリギリスの世界のようです。蟻の典型はどうも日本ということのようですが、仕事で長年世界を廻ったりした経験のある方々は、外の世界の異質性を感じ、逆に日本の特殊性を肌身で感じて還って来るようです。理想に燃えて欧米を中心とする世界に雄飛したはずが、表面だけの冷酷な物質偏重社会、階級社会を垣間見てしまい、外に理想の社会などないことを感じるものです。蟻がキリギリスの世界に行くと、色々な言葉の誘惑に会いますが、大体単独の蟻のままではその社会に入る事が出来ないようです、利口な蟻はその世界の本質的な空虚さに気づきます。何か価値ありそうな物を持参しなければならないようです。

●経済は本来、生きる為の工夫作業

 個人個人が不安なゆえに物質的な富を蓄え、それによって社会的な栄誉を得ようとするわけですが、この土台にある個人の不安は、死ぬ事を恐れていることから出てきているのです。分けがわからないが今は死ぬのは怖いという感覚がその土台にあるといっても過言ではありません。全ての極端に及ぶ経済・政治活動のエネルギーの元は、多分その恐怖からきていると考えられます。株取引も先物買いも、組織での栄達も、全て自分と家族、縁者などに物資を供給すべく行なう行為でしょう。

 誰しも死ぬのが怖いのは当たり前です。生きる事、死ぬ事、命とは何か、この世界とはなにか?という問いかけや思いめぐらし、調査などを怠っているからです。卒業する時期は必ずあるのだろうが、それの為の準備をしていないのではないか・・という少し高いレベルの思索は多くの人々の潜在意識にあります。

 組織を大切にし、自分を殺してまで維持してゆこうとするのは、自分という個人がそのなかで不遇を受けず、すなわち存続を保証され、その保証を強固に出来ると信じるからです。まさに人間とは社会的な動物という「暗示」が根底にあるようです。

●普通に仲良く生きることの奇跡

 世界にある真実は、貧しいといわれる国々の普通の人たちの文化や生活にあるものです。衣食住にやっとの生活の人々ではありますが、必要以上の欲をまとっていない、いやそれどころではない真剣な生き様があります。笑い事のようですが、江戸時代の庶民の長屋の生活が最も経済的で、心が豊かな生活の一形態のようです。争って奪い合う物などが、もともと無いために、余分な心の歪が生まれようがないのでしょう。貧乏だ可愛そうだと言う偉い立場の人々は、お互いが助け合って生活するトンでもない活力を見逃しているのです。

●10年前の苦い経験

 自分自身の経験でも、今までの10年間の日本の金融始末の苦い経験をしています。わたしの以前25年以上勤めた会社は、時には優良企業といわれ、銀行から競ういあうような融資の誘いを受けたようです。ところが、ある時期日本国内のお金が潮が引くように失われ始め、あのバブルの時代には融資といわれたものが、いつの間にか気がつけば借金といわれ、会社経営者はその返済に意識を集中するはめになったのです。そのためのエネルギーの浪費と、社員心のなかに生じる疑心暗鬼が更に不安をあおりました。結局は会社の経営者の知恵や先読みも十分ではなかったこともあり、企業倒産になってしまったのです。今、米国などで行われている貸し渋り、貸しはがしが相当な数行なわれたようです。

 当時やるべきは、あっさりと身を削って早々清算することにあったと思います。いつまでもズルズル古いイメージを抱いて、そのうち良くなるなどと思うこと自体が幼い証拠であったのでしょう。もともと何も無いところから起こすのが企業であれば、常にそのことを第一のテーゼにしておくべきですが、出てきた結果や経歴にすがってしまう事も多々あるわけです。

 自分のやったことは、見極めをしたあとで自分で海に飛び込むことでした。ある意味死ぬ覚悟でした。長年培って成長しあった仲間のいるなじんだ会社から、再び、何のあてもない社会という海に飛び込んだのです。自分で見切って自分で企業という船をあとにする事しかありませんでした。たった1人でした。多くの社員はそんなことありえるはずもないという先入観に逃げ込み、船が沈むとは考えなかったのでしょう。まさにタイタニック号のようなものです。

 経済的破綻が次第にわかりきった事実になりつつある中で、知っていながらも船と一緒に藻屑と消えるには、あまりにも家族が多かったせいもあります。わかっていながら進路が変らなければ、あるいは誰も変えようとしないならば、どうすべきなのだろうと悩みに悩んだわけです。技術者として起死回生の特許をとろうと1人で意味もなく頑張り、自分も含めたリストラ案などを提案することが最後の仕事になりました。古き良き時代がそうそうなくなってたまるかというような感覚、要は、変化について誰も何も考えていなかったようです。今までどおりだと思う観念に逃げていたのかもしれません。わたしのような者はサイキック系要素もあり、多分特殊のようです。今思えば確かに貴重な経験でしたが、相当に辛い経験でした。前後2年間は、まさに心の中心が灰色の金属質の空気で覆われていたようなそんな感覚があります。

 眼に見えない観念や思考、先入観念は人が常に身に着けている具体的な物なのです。一種の鎧のようです。組織のなかではそれなりに苦労はあっても、逆にそれなりの安心感もあります。大人としての我慢は、生活や家族の為のものであり、自分を殺してでもその中で生存することの意味を与えてくれます。戦後から今までの日本の企業戦士は昔の城の侍たちとそれ程変らないのです。

●こころの鎧を捨て去る時期

過去の経験した状態が、今度は世界的なスケールで起きているのをヒシヒシと感じます。良いも悪いでもなく、実際に経験した者だけが感じることです。またやってきますね。

 実はいま、かなりな非常事態とも言えるかも知れません。これからの生き様は勇気をもって既成の観念をどんどん捨てざるを得ない環境になっていくという感じもします。今からの時代、身に着けた余計な汚れを落として身軽になるべく促されているようです。

●何でも生み出す空に気づけるか

 元々何も無いところから生まれてきた人間、これが本来の人間の在り様です。何も無いから必要に応じて現すことができるのです。武道でも奥義と言われる自然体、ここからはどんなことも繰り出すことが出来るものです。例えば、技術は知識です。眼に見えないが創造の道具です。日本は緻密で真剣な創造が出来る国であると思います。物を扱うのは心です。

そんなに甘いものではないですか?

しかしながら人間は本来は何も無いところから現れたわけです。皆お互い様と、今生きていることに感謝できることが、最大最高の財産ではないでしょうか。お互いに少しでも笑顔や気遣いをすることが、そんなに大変なことでもありません。個人として隔離されたことに気づけば、その殻を壊すのも自分しかありません。そのときには、大勢の他人が存在している有り難さや不思議さにも気付くのでしょう。

国敗れて山河ありという言葉がありますが、今回は山河はかなり汚されてしまいました。

因たるものに気づかず、物ばかりを追い求めた人類に残されているのは、

いつも今というこの瞬間です。

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(今回も拙い文章をお読み頂き、誠にありがとうございました。)


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2 コメント

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関東は台風如何でしょうか? (メイ)
2008-09-19 20:47:07
関東は台風如何でしょうか?
関西は今どこだろう?と言うくらい影響のない一日で時折雨が降っているくらいでした。
なんだかあんまりおだやかで静かで しかもなんにもなくて・・・世間はいろいろなことが起こっているようですが、あんまり世離れするのもな・・・と思っていたところです。
それほど今どこにいるのかと思うくらい。
マッチョマンさんお元気ですか?

先日白山比め神社にいってきました。
中秋の名月を眺めながら露天風呂につかり ほっこり あ~しあわせ
いろいろありましたが まあ天と地の間にある人としてつなぐもの そんな今を真摯にけれど重すぎず すなおに感謝を上からも下からも広がるといいです。

みなさんどうしているんだろう ふと思った今日でした。^^
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メイさん こんにちわ (マッチョマン)
2008-09-21 17:57:00
メイさん こんにちわ
 あー・・そうですね、多分なつかしい方々はいつもそこにいるのではないかと思います。それを感じることが出来るご縁に、感謝以外のなにがあるでしょうかね。
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