空(くう)とは何だろうか?
空(くう)といえば、
それは空っぽだとか、何もないこと、無だとか考えるだろうが、
それは完全な間違いである。
空(くう)をからっぽ、無価値なもの、なにも無いことと考え、
見向きもしない姿勢は、3次元的な物質信念体系に染まっている証拠である。
物質・財産、そして肉体という物理的現象を後生大事にしながら、
それらを生み出す母体であり、
根源であるところの「空(くう)」を逃し続けること自体、
じつに愚かという事である。
お金、物質、財、それらを個人所有する優劣を競って、
一体全体何になるというのだろうか?
それらで社会、世界全体が先を争って沸き騒ぎ、生死を賭け、
相互に闘争しつつ、恐怖で泣き叫ぶ文明の如何に小さく幼いことか・・。
あなたはもう気づいていることだろう。
もし仮に・・、真に気づいたならば、
肉体維持のためにという恐怖を基にした想いや行為、
そんな、この世の「人質」身分から・・自らを開放すべき時である。
古い3次元世界は、それはそれ、恐ろしくも過酷で、
時に感動的な生命のゲームであったと感得すべき時が来たのだ。
愛とは、その程度で、ちまちま表現するものでもない。
人間社会の、愛の欠けた、歪んで腐敗した想念形ではなく、
静かに宇宙や自然の有り様を見れば、
この世界も本来は、愛がゆえに存在していることがわかるはずである。
・・・
無限の可能性を蔵した・・空(くう)こそが我々の故郷(ふるさと)である。
何でもない空(くう)でなければ、どんなものにも成り得ない。
空(くう)があらゆるすべてを満たしている・・根源であり、また創造の舞台である。
例えば、今までの3次元的時空間から見渡すこともできる壮大な宇宙も・・
無限の宇宙空間に浮かぶ、数え切れない・・文字通り無限の星々はまさにそれを示している。
空(くう)の中に、空(くう)である”自ら”の無限性を、
多次元的に創出し続けているのが・・「宇宙」である。
無数の星々、惑星、恒星、恒星の集合体である銀河、さらにその銀河を集めた「銀河団」、さらのその集まりである超銀河団・・・、
それらは・・宇宙空間と名付けられた 空(くう)の中に、
まず・・空(くう)自らが自身を微細な素粒子として出現しているのである。
その「空間そのもの」から出現している・・
素粒子という極超微細なエネルギー振動が、
様々なエネルギー的次元周波数で集まって、多次元的周波数帯を創り上げ、
そのエネルギー振動が・・無際限に展開しているのが、
この多次元宇宙である。
そして、そのエネルギー・存在・周波数帯域の1つ・・3次元的惑星世界が・・この小さな地球という顕現世界なのだ。
とはいえ、
実に小さく閉鎖された、3次元的時空認識で固まった世界であった。
実に粗い波動域だけしか見通せず、すなわち、
等身大の物理的事物、物質的財産、
短い時間の肉体存続だけがすべてと信じ込み、
そのために命を懸けて争い、奪い、勝負をしてまた命を落とす、
かように、命を無駄にすることが頻繁に起きるが故に、
小さな世界での輪廻・転生を繰り返さざるを得なかった世界である。
あなたはもう魂・意識である自分に目覚めただろうか?
あなたは特定の肉体個人であると信じ込んでいた。
いやまだ、未練がましくそれを信じているかもしれないが、
そのあなたが存在している・・・この空間、
どこに行っても、何をしても・・その場を離れたことがない・・
空(くう)
その空(くう)・・こそが
根源・故郷・ふるさと・・・
真の ”あなた” なのである。
・・
今はもう、より自由度の高い境涯に行くべき時である、
そのためには、
まず3次元レベルの物質固定観念を外さねばならない。
物質等身大の粗い次元観念から、より高次の意識的知覚へと上昇させようか。
無限の空(くう)を思い巡らすことは、
空(くう)の中に出現する様々な微細エネルギー振動を、
物語として仕上げる創造パワーであることを思い出そうか。
今はまだ、小さいながらも・・自らが神々であることを思い出そうか。
あなたの知覚するすべては・・あなたのこの次元の肉体ではなく、
それを通じて見ている・・
あなたの真我・・の投影像であることを思い出そう。
わたしたちは・・皆・・無限の・・それなのである。
この次元最後のカルマの騒ぎから、卒業し、
足を洗い、身を洗い、心を穏やかにし、
ことの偉大さを・・ちょっと想いめぐらしてみよう!
銀河系だけでも、無数の輝き、波動・エネルギー、振動帯域、
無限の生命の可能性が、すでに実現している姿を観ようか。
世間で価値あるものされているお金、地位、名誉を度外視して時を忘れて何かに夢中になり、他人と呼ばれる人々の言動に素直に拍手喝采、称賛することができればどんなに素晴らしい事でしょうか。
幼稚園までは、励ましあい、助け合いの友達が小学校高学年頃からライバルに変わり、目の輝きが薄れていき、いつの間にか周りは敵だらけ。始終、やられないように防衛力をみがき、攻撃の練習に余念がありません。 矛と盾のRev. Upに大半の人生を費やしてます。
無敵の本当の意味は周りに敵が一人も居ない! あまねく友に囲まれ、不可分の状態をさすものだと思いますね。 敵の中に我一人、不退転で徹頭徹尾戦うぞ!というのが格好いい!は単なる刷り込みの妄想にすぎません。 先を争って新型ワクチンを求めるより、バカバカしい妄想から一刻を争って離脱すべきだと思います。
バカバカしい妄想を垂れ流すTVや新聞の周波数になるべく同調しないように、太郎は通勤の車内で、我は神なり、愛と光なり!と声を出して繰り返し唱えてます。 かなり不気味で、頭のボルトが数本とんでいる人だと自認してますけど、唱えてると時々、涙が頬を滑り落ちます。
<通勤の車内で、我は神なり、愛と光なり!と声を出して繰り返し唱えてます。・・・>
よくわかります。
小声で自分の耳でも聞かせるように唱えていると思います。(笑)
自分もかつて往復2時間の通勤時間の電車の中で、目立たず色々なことが出来ましたので、貴重な時間でした。
真実と感じる言葉、想念をマントラ的に繰り返すこと・・・、
これは実に重要な「善行」と思います。
それだけで、見えない想念レベルで高い周波数発信もしていますし、高次へと波長調整を行っていると言う意味でもあります。
・・・
言葉概念は色々ですが、
本来・・「神」であること、
「光」という根源波動であること、
全てが慈しむべき自己であるが故に生じる、
「愛」という共感が起きることを・・、
想念・言葉としてハッキリと「宣言」することは、
本来の自分自身の方に振り向いて・より高次へと、本質てと帰還するということですので、
そこから湧き上がってくる波動は、得も言われぬ至高の感動で響きます。
ハートから上のチャクラが振動し涙も流れます。
意識の波動を上てゆくための大切な行(為)ですね。
・・・
これからは特に、
常に想念レベルを出来るだけ高い波動レベルに保持する行が必要ですね。
世間では全く真逆の想念、波動を落とす(次元降下)ことばかりを垂れ流していますので、そこに意識波動の高次バリアーを張ると言う意味合いもあるでしょう。