気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

私とは何か?の考察 その3

2018-12-25 04:58:27 | 語り部の章
気づけば実に不思議なことだが、我々は自分自身のことを知らない。

普通、自分と言えば、漠然と自分の・・肉体であると思っている。
もちろん普段はそんな意識も無く、外の世界で急かされるままに、
ただ五感感覚の世界で生きていると言っても良い。

自分、その言葉の中にすでに深遠な意味がある。
ここにも、日本語、漢字というに及ばず、
便利な生活に浸っているだけの現代人には到底及ばない、
古代人の英知の片鱗を感じるはずだ。

自分の「」は・・まず”目”のことと読み取れるだろう。
目の上についた✔は、まるで目とまつ毛のようである。
意味としては、見ること、知覚すること、観察することでもある。



次に、
自分の「」は・・分ける、分割、細かくなるという意味があるだろう。
例えば身体組成の細胞分裂のように、
1つが2つになり、さらに・・分かれてゆくことだ。
分かれても本体が減ることはなく、まったく同じもののコピーという意味もあろう。

己を分ける・・自分・・わたし・・のことだ。

つまり・・わたしとは・・”自ら”が分かれたもの、

さらに、分かれ出たものであるが、その根本・原初と全く同じもの、
と、そういう意味がある。

わたし・・自分・・無数に枝分かれしたものであり、
かつ元のままの・・それである。

<わたし>のことを「自分」と言う。
その自分は単に肉体であるならば、そういう名を付けたはずだが、
まったくそうではない。

わたしは何か?・・自分である、まったくそうだ。
己(おのれ)を分けたものであり、また己(おのれ)自身である。

ひとつが無数に分かれ、また無数はひとつである・・それ・・だ。

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