気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

峠の茶屋・春問答祭り

2019-03-19 07:14:33 | 日記
勝手ながら、昔からこのブログを称して「峠の茶屋」と言っています。
開店以来16年程度過ぎましたが、
毎度ご来訪頂きまして、有難うございます。
どんな営業利益もありませんが(笑)書かれた内容を御賞味いただきまして、
こころより感謝申し上げます。

いつもながらこの峠の辺りは、かなり静けさが行き渡り、
それはそれで味わい深いものがありますが、
ここ峠の茶屋では季節の折々にお祭り騒ぎも行っています。



子供の頃、毎年花見の時には、皆で桜の下で御座敷いたものです。
文字通り、桜の舞い散る美しい情景の中で、
一杯入った赤ら顔の親父達の会話やへたな踊りを眺めたり、
お重に入った特別な料理をつついたりと、そういう思い出もあります。

そういう時折の自然、季節の輝きを感じて喜ぶこと、、
在るがままの楽しさを味わうことも、今では少なくなったようです。

しかしながら、そういう世相にあったとしても
思い切りよく、羽根を伸ばすのが良いでしょう。

だからどうだということもないし、
付帯のコメント欄で心苦しい限りですが、
今回は、桜の花の咲き初めから終わり頃まででしょうか、

質問、問いかけ、疑問、世間話、シェア話その他あれば、
ご参加のほど、何卒よろしくお願いいたします。






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64 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kattenitanka)
2019-03-19 18:24:44
ものぐさです。
maccyoman さん、こんばんは。
お祭り始まりましたね٩(๑˃̵ᴗ˂̵๑)۶ °
お花見の席にご一緒させて頂きたく
参りました。
ご馳走の土産もございませんが
こちらを持参致しました。

諸行無常
抗うことなく
身を委ね
今ここに咲く
美麗の桜

お粗末様でした(^-^;

桜の美しさに心奪われた瞬間は
間違いなく『今、ここ』ですよね(*´ ꒳ `*)
返信する
今はもう春 (maccyoman)
2019-03-19 20:18:51
ものぐささん こんばんわ

今日は関東では霞がかったおぼろ月ですが、
春はもう、ほんのすぐそこまで来ていますね。
・・・
気の早い
かわず桜に
誘われて
ほろ酔う我が身の
愛(いと)おし 重し

---
昨今はすっかりお酒から遠ざかっていますので、
飲んだくれていた若い頃を思い出しながら・・。

こちらこそ、お粗末様です。
返信する
始まり (maccyoman)
2019-03-20 09:15:22
ものぐささん おはようございます。

きょうは時間があるからというわけでもないですが、よろしければですが、パーっと行きますか?(笑)
・・・
何か今の課題があったやに思われますが、腑に落ちる理解は得られましたでしょうか?

返信する
Unknown (kattenitanka)
2019-03-20 11:24:58
ものぐさです。
maccyoman さん、おはようございます。
そうですね。
以前からの(私の)課題について
もう少し、熟孝できたと思っているので
それについてご教示願えればと思います。

先日、コメントさせて頂きましたが
この世は、仮想現実系の動画を
目を皿のようにして何度も観たり
しているのですが、やはり理解には
至らない。腑に落ちない๐·°(৹˃̵﹏˂̵৹)°·๐

答えは分かっているような気がしながら
途中式に躓いてしまう気分。

観察者がいなければ、物資は物資として
存在しないとなると、もしこの世の中の
全ての観察者(人間)がいなくなったら
宇宙そのものもなくなるのか?と壮大な
妄想に明け暮れる暇人な日々です(笑)

この世は、1人1人の仮想の
シャドーアートみたいなもの?
とか思ってみたり。
どうして、そうなるのか?の構造を
知りたいと駆り立てられてしまって
自分でも??な感じです(笑)

あと、私の中で物心ついた時から
変わらずある、『私』の正体は
分かった気がします。

それが『I AM THAT IAM』だったんだ!
と嬉しくなって、先日コメントさせて
頂きました。
もう、あの瞬間程の鮮度はなく
若干、おぼろげな感覚になって
しまっていますが、でも確かに
『私は、今、ここにいます』と言えます。
この先、何十年経とうが、認知症になろうが
『私』と言うこの感覚は、不動だろうと
思います。

すみません、まとまりのない話で
maccyoman さんに『構造』として、解釈
されてる思いや部分が少しでもあれば
お聞きしてみたいなと思いました。
宜しくお願いします。
返信する
直感真知 (maccyoman)
2019-03-20 12:28:46
ものぐささん おはようございます。

そうでうね。
この話は簡単過ぎて、簡単には行かないでしょう。(笑)

誰でもそうですが、分からないなりに、理屈やイメージを真剣に巡らせていることで、何があるか・・と言えば、その巡らせるイメージの群れの背後にある何かに、なぜか突然”気付く”ことが起きます。

ニサルガダッタ・マハラジは、あらゆる全ての根本には「きづき」があると言っています。単なる精神世界の・・ではなく、全ての顕現世界・宇宙ですが。
ここがミッシング・リンクなところでしょう。

どれが真に近いイメージだろうと?いうあれやこれや頭を悩ますことばかりで嫌になるものですが、真剣な問いかけそのもの・・わたしの・・意識姿勢そのものが定まった時に、突然ひらめきが起きますね。
自分は開発系エンジニアという仕事柄、良く知っていました。

仕事や日常の問題でも、解決策やアイデアを一生懸命求める行為の疲労の後で、ふと、その回答が突然ひらめく時があります。
何が何だか理屈はつけようがないが、「それしかない!」というのが「直感」です。なので、あれかこれか?という思考の群れは烏合の衆のようなものです。

わたしとは何か?・・ですよね。
実際、これが「問い」でありまた「答え」です。

自分の問い、それそのものが答え。
I AM THAT I AM 自己完結ですが。
何ものにもよらず、自己以外、他に原因がない。
第一原因とでも言いましょう。

何の第一原因かといえば、わたしの知覚・認識するすべての顕現(世界ともいう)の元になる原因・・です。
---
わたしは何か?という想いがあるから、
それでは、あれかこれか?と検証したくなるでしょう。
私は誰?ここはどこ?え、なぜなぜ?・・・

大きく言えば、いわゆる神さまのその想いが、あれかこれか?と世界・宇宙を顕現せしめている。
なのでこのような諸行無常、変幻無限の世界が出現していると、気付けるでしょうか。

まず、ここまではどうでしょうか?
・・・
そんな事ではないんだけど・・かもしれませんが(笑)。
返信する
Unknown (kattenitanka)
2019-03-20 13:48:05
ものぐさです。

いえ、いえ、私の方が的外れな疑問
に答えて頂こうとしてるだけだと
承知はしているつもりです(笑)
気づいてる方にとり、言葉を尽くし
アプローチをあの手のこの手で変えて
メッセージを発信して下さっても
気づく気づかないは、私自身に
委ねられているものですから^_^;

それでも、こうやって毎回毎回
気づきたいと言う私にお付き合い
下さる事に本当に感謝申し上げます。
ありがとうございますm(_ _)m

思い巡らすのは、飽きてくるのですが(笑)
でも、自分に∑︎(°口°๑)❢︎❢︎ハッとする瞬間
が訪れるまで、あれやこれやと考えて
しまうのは、性分みたいなもので( ˙-˙ ; )

何故?どうして?
何か、問題に直面した時、誰もが
原因を探し納得したい衝動を
持っていると言うか、個々に内臓されてる
プログラムみたいなものがある
気がします。

失敗から学び、次に役立てたり
同じ過ちを繰り返さないよう
自分をバージョンアップさせる為の
ようなものです。

最近、仮想現実系の動画ばっかり
みているせいか、だんだんあながち
この世は、シュミレーション世界
ビデオゲームと一緒といわれても
本当にそうなかも(笑)と思えて
来たりします。

これは、ものぐさがずっと主観の中で
勝手に感じてきたことですが
マクロからミクロの世界まで
マトリョーシカみたいな作りに
なっていてプラス周期もあらゆる
中に設定されている。
それから人間も思考や性格や容姿も
物事に対する反応、反動、次にとる言動
全てにパターンがあるような気がします。
千差万別が常識ですから少しずつ微妙に
違うようでいて、基盤にはパターンや
法則がある。
そのパターンや法則に則れば
全てカテゴライズできるような
そんな感覚(笑)

それが、プログラムと言われれば
そうかも(笑)と思ってしまう単純さ
も持っているので妙に納得して
みたり^_^;

それが、自分が勝手にみている
夢幻なら、不思議発見大好きな
私にとっては、面白い夢です。

主観をただただ羅列しただけで
頂いた問いの答えにはなってないと
思います。

一旦、所用で出かけてきます。
宜しくお願いします。
返信する
正鵠 (maccyoman)
2019-03-20 16:45:45
下天は夢幻か?ですか・・・。
あながちではなく、ではなく全くそうです。

って、断定していますが、間違いなくリアルな幻想です。
自由な想念の組み合わさった夢とは違う「夢」ともいえますし、2次元平面上のCG、シュミレーションゲームとは次元・規模が異なる「仮想現実」とも言えます。

いや、そうではなく、現実だ!とする人は、
”現実とは何か”に正確に気付いていないはずです。
・・現実とは何でしょうか?
イメージする現実とは、肉体維持をするための生活努力、という意味に使われるときもありますが、
「永遠に実在する確固たる物事・事物・世界」と言えるでしょうか。
また、
幻想とはなんでしょうか?
幻想とは「有りもしないのに有るように見える物事・事物・世界」でしょうか。

 この現実・・多分、固い物質に囲まれてその確かな感触、手ごたえの中で生活しているがゆえにそう思っているでしょう。
 怪我すれば痛むし、やけどの跡も残るし、水や食物が無ければ生きられないし、と、赤子の時からそういう切迫した状況にあったからにはそう思う・・と言うより、不変の真実のような観念が出来ています。
 しかし、基本的には、肉体としての自己の経験を通じた「想い」に他なりません。
・・・
従って、(この時空において、いつか認識レベルの落ち込んだ・・?)人類は、まず周囲を取り巻く「物質」なるものが何なのか?知る必要がありました。まあ、痛い想いをしなければわからない・・という事でしょうか。

その確固とした物質は、極めて密度の希薄な、有るのかないのかの狭間を揺れ動く「ゆらぎ」のようなもので出来ていました。
ミクロにおいて波動性と粒子性があるとか言われますが、粒子というのは局所的に集まって観察される何かエネルギーの塊ようなもので、波動・確率的な存在とされます。粒子を観た者は誰もいませんし(笑)

新聞なんかでも、ミクロにズームすると点々しかありませんし、TV画面は3色がチカチカ点滅しているだけです。物質は素粒子・クオークという微細なエネルギーの点滅あるいは振動です。

わたし達は、実際に解ったような、実は不確かな「概念」の組み合わせの中で生きています。
少し探求すれば、現実・現実と言っているのに、何処にも「確固たる永遠な事物・事象・世界」はありません。

ここまでで、この世界も幻想であるという事は合点がいくかも・・ですが、どんな感じでしょうか?
そうは思うけれども、なんだかな~みたいな、
何か確たる・・確証のようなものを、自分内面で求めているでしょうか?
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Unknown (kattenitanka)
2019-03-20 18:34:19
ものぐさです。

戻りました(笑)
たぶん、私の中では『夢』だと
きっちり、はっきり見破れない
状態だから腑に落ちないの
だと思います。

どんなに、色んな角度から
精神世界の情報を得ても
あっ!そうか!!の閃き(私には気づき)
がまだないのです。
それ故に、断片的な今ここは感じる
事はあっても、ワンネスも空も未だ
ピンとはこないわけです。

分かったような分からないような
の中で、でも『これだ!!』と言葉には
できなくても感覚でそうだと
言いきれないので、分かってない
と言うことが分かるのです。

実在と言う言葉の意味を調べて
面白いなと思った事があります。

ウキペディアより
認識主体から独立して客観的に
存在するとされるもの。

実在は認識主体により生み出された
ものと区別される。表象を変化させる
働きをし、事物の背後にあるとされる
不変の実体を意味する場合もある。

とありました。
不変の実体は、諸行無常の法則の
行き届いたこの現実世界では
何一つない!ので、この現実世界で
実在はないと言えるまでは、納得!
できます。

じゃ実在と呼べるものは?となると
答えは『真我』『意識』と分かっては
いるけれど、それは情報に過ぎず
真我実現に至っていない自分も
自分は知っているの無限ループの
只中にいるのが今の状況です(ー ー;)
返信する
Unknown (maccyoman)
2019-03-20 20:26:10
「認識主体から独立して客観的に
存在するとされるもの。

実在は認識主体により生み出された
ものと区別される。表象を変化させる
働きをし、事物の背後にあるとされる
不変の実体を意味する場合もある。」

なるほど、・・。ちょっと哲学的ですね。(笑)

ここでは、表象・認識主体・実在の3つに分けて書かれています。
これは現象世界・・魂(意識)・・真我(至高の実在)とも言えますか。

そして、解らないのが実在・真我・真実・ということですかね。

----
ここでいう「表象」は現象・世界のことですね。
変転する表象、表現されたもの・現象、その集まりが現実です。
さらにそれは、「認識主体」によって”認識”されたものです。認識とは、意識的に知覚するとも言えますね。

なので、こういう事が言えます。
わたしに意識がなければ、わたしの対象(現象世界)はない。さらに、
もちろん個々人の意識の複合された集合意識が及ぶ範囲・内容が、その集合意識にとっての全世界となる。

そして、なんとこの全世界が・・・幻影・幻想・仮想現実ということが理解されるという事ですが、

それで、その幻想を観ている、意識している・気付いているのは・・誰でしょうか?

----
それを実在とするならば、
それは究極の観察者とでもいうのか・・、
思考やイメージ展開では決して分かりません。
物的対象でも精神的対象でもないからです。

決して知覚・認識対象にならない”それ”、とでもいうのでしょうか。

このことを「理解」する必要があるということです。

解ったようなわからないような・・ですね。
決して五感や思考の対象にならないものですから。、

返信する
Unknown (kattenitanka)
2019-03-20 23:04:36
ものぐさです。

『わたしに意識がなければ、わたしの対象(現象世界)はない。さらに、
もちろん個々人の意識の複合された集合意識が及ぶ範囲・内容が、その集合意識にとっての全世界となる。』

私の意識が無ければ、何も認知はできません。
私が眠っている時、私の外の(現象)世界が
あったかは、私には証明は決してできない!は
納得できるようになりました(笑)

私の世界は、私が眠りに入ると共に
飛び出す絵本が閉じられるように意識下に
閉じられてしまう。
(ラマナ・マハルシが『種子の状態』で、意識下
に仕舞われる的な表現をしていたと思います)

けれど、他の起きている人の世界は
飛び出す絵本が開いているので
その人の世界は展開している。
それが幾重にもなって全世界になって
いる。
ただ、その心の飛び出す絵本の世界観は
その人オリジナル。
故に私がいなければ、私の飛び出す絵本は
開く事はないので世界はないの認識でいます。
すみません、何とか分かりやすい例えで
理解を深めたい苦肉の策です(笑)

『そして、なんとこの全世界が・・・幻影・幻想・仮想現実ということが理解されるという事ですが、』

不変の実体がないから?
眠っていて観る夢もありえない設定でも
自分にとっては、観ている間はリアル
そのものです。
でも、目が覚めるとその色彩とか感覚は
セピア色と言うか、薄いと言うか
出来がイマイチの映像な感じです。

それに比べたら、現実はリアル過ぎて( ˙-˙ ; )
でも、これも意識が観ていると
言う観点に立てば、夢も現実も
同等のものと言えます。

『それで、その幻想を観ている、意識している・気付いているのは・・誰でしょうか?』

それは、私の中では、前回のコメント祭りでも
お話した『監視カメラ』的存在の私を観るもの
です。
私の思考、感覚、感情の起伏、ひとりごとを
観ているもの。認知しているもの。

けれど、ここにまた一つ疑問があります。
その監視カメラ的意識は、それこそ
私の個別の感覚じゃないの?と思えて
しまって、maccyoman さんの言われる
空や意識のような広がりと同一とは
思えないのです。(T ^ T)
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