気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしとは何か?の考察 その7

2019-01-15 04:34:59 | 語り部の章
・・在る・・Being ・・によって
常に・・今・・の”わたし意識”が生じている。

わたし意識とは何か?といえば、自己への気づきである。
自身への気づき・・そのものが・・自己・・わたしだ。


わたしは・・私に気付いている・・であり、その状態が”存在”だ。
それがーーわたしは在る--I AM であり、
他の表現で言えば、わたしは・・今・生きている・・となる。

そして、わたしは生まれた、成長した、そしていまここに在る・・と続く。

常に・・今・・だったが、その今の・・変化の過程が人生である。

意識としては、今・・わたしの連続であるが、
肉体の成長・変化、様々な身体経験、思考の「記憶」の積み重ねによって、
これが私だ・・という人格が作られるが、
実のところ、
それを・・今・・知っているということ。

そう、常に・・今しかないのだ。

過去があるように見えるのは、肉体の成長と衰退が、
一連の物語として連続しているから。
活動写真、コマ送りのパラパラ漫画やビデオが
あなたの「記憶」の連続として思い出されるからだ。

しかしながら、いまはもう気づけるだろう。
誰もみな、赤ん坊、幼児、青年、大人になる過程を経てきたとしても、

常に・・今・・しかなかったことを。

今でもそうだ。(笑)

多くの人は、
ただ社会の中で、人々の中で経験し、思いめぐらして、
その連続が人生であるとしつつ、時間に追われる人生を刷り込み、
いつのまにか「時間」そのものを実在するものだと錯覚している。
これは「時間」に拘束されているということだ。

このままだと、いつまでも「時間」にとらわれたままだ。
「時間」とは輪廻の歯車の回転である。

これは空間のテーマと同じく、
宇宙には長い時間が存在しており、
わたしは・・その長い時間の中にポッ生まれては死ぬ、
あるほんの一時だけ存在する者であるという自覚だ。

あなたもそう思っていないか?

例えば大人は、多かれ少なかれ、鏡に映った自分の姿を見て、
「あー年取ったね~・・ヤダね~」などと思い、
時間の経過を実感するわけだが、

それを見てきたのは・・ただ・・今の意識・・であることに気付けよう。

過去とは・・今・・振り返る想念・「記憶」のことであり、
未来とは・・今・・思いめぐらせる想念「想像」のことだ。

鏡を見る人は、鏡に映った鏡像を・・わたし・・と思う。
つまり、
外側・あちら側・時間経過した肉体だ思っているが、

本当は・・こちらがわ、観る側・・
常に・・今・・わたしなのである。
その・・わたし・・は・・不変の気づきである。



在るのは・・今・・の瞬間だけなのだ。
瞬間・・といってもそれは決して捉えることができない。

在るのは・・実在するは・・「ただ・・今」 だけ。

それに気づいている・・わたしが在る・・から、今の瞬間がある。
意識によって今の瞬間が出現している。
今の瞬間の連続が・・コマ送りとなって時間連続
・・わたしの世界を展開する。

映画を観てその映画の主人公に感情移入するように、
展開する世界の、その光源側・・わたし・・に気づいていないで、
展開する世界の側、現象側ばかりに意識が行っているため、
終生、その世界、いや宇宙の中の、
1肉体個人と信じて疑わず過ごすことにもなる。


そして、自らが設定した1肉体個人の終わりを迎えるのだが、
1肉体個人は、他者から見て死滅することは誰でも知っている。
あなたも多くの人の生や死を見てきたはずだ。

例えば、そのわたし、
1肉体個人は、その人生映画の出演終了後、どうなるのだろうか?

いつものように、他人事でなく、そして、そのうちに・・でなく、
自らで真剣に考えてみるべきではなかろうか。

それぞれ、宇宙で唯・・ひとつの・・<わたし>のことなのだから。


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