科学的な見識でいえば、
世界、宇宙は空(くう)と波動・エネルギーであると言える。
我々自身の身体・肉体も、空(くう)の中のエネルギー波動体だ。
素粒子は”粒子”と言われるが、実はエネルギー波動の塊ともいえるもの。
つまり、物質はそのエネルギー・波動の局在化したものだ。
E=MC^2はそれを数式にしたもので、これが間違いという学者はいない。
気づくべきは、それらがほとんど空間であるということだ。
重く詰まった状態とされる物質も、99.999・・99%が空間なのだ。
空(くう)にある物質と物質の”相対的”な位置関係が「距離」であり、
その物質の変化の”相対的”な密度の差が「時間」であるといえよう。
時間空間とは相対的であるとされる所以だ。
アインシュタインの相対論も絶対時間、絶対空間を否定しているように、
時間も空間もエネルギー・波動によるものであって、絶対的なものではない。
エネルギー・波動によって、時間空間は様々な形式をとるともいえる。
これらの表明は、科学的常識から逸脱するものではないはずだ。
また、
存在する私たちも・・空(くう)であるという表現にも違和感がないはずだ。
存在すべては、空(くう)に生じた波動・エネルギー。
これをべつの表現でいえば、
宇宙、世界、私達の身体も環境も、空(くう)に描き出されたもの
波動エネルギーで出来たホログラムあるとも言えるのだ。
もっとも現代でいうホログラムのような、見た目だけの軽い幻想模様でなく、
大きい小さい、軽い重い、遠い近い、早い遅い等という、
観察可能な質量感覚を伴ったものなのだ。
そして、
その世界を観察・・それを・・それと認識・理解することができるのは、何ゆえか?
・・・
そう、
”意識”があるからだ。
物質・エネルギーだけでは、それ自身、自らを見ることができない。
つまり、物質だけが、そこにデデーン・・とあっても、
それを認識する、気付くことができないではないか。
世界も、宇宙も、身体も、環境も・・・、
それを見る、観る、知覚・認識する何かがいなければ、
そこに、ここに・・存在することが出来ようか?
深く感じ入るべきところだ。
気づきとその対象、
気づいているからこそ、その対象がある。
さらに、
わたしの”意識”があるからこそ、わたしの”知覚対象世界”がある。
わたしの意識の展開模様、こころ模様があるからこそ、
わたしの世界という無数の知覚経験があるのだ。
世界は・・意識に伴って立ち上がるものだ。
これは現実離れした空想でも理論でもなく、
今・・在る・・ことを説明しているに過ぎない。
世界、宇宙は空(くう)と波動・エネルギーであると言える。
我々自身の身体・肉体も、空(くう)の中のエネルギー波動体だ。
素粒子は”粒子”と言われるが、実はエネルギー波動の塊ともいえるもの。
つまり、物質はそのエネルギー・波動の局在化したものだ。
E=MC^2はそれを数式にしたもので、これが間違いという学者はいない。
気づくべきは、それらがほとんど空間であるということだ。
重く詰まった状態とされる物質も、99.999・・99%が空間なのだ。
空(くう)にある物質と物質の”相対的”な位置関係が「距離」であり、
その物質の変化の”相対的”な密度の差が「時間」であるといえよう。
時間空間とは相対的であるとされる所以だ。
アインシュタインの相対論も絶対時間、絶対空間を否定しているように、
時間も空間もエネルギー・波動によるものであって、絶対的なものではない。
エネルギー・波動によって、時間空間は様々な形式をとるともいえる。
これらの表明は、科学的常識から逸脱するものではないはずだ。
また、
存在する私たちも・・空(くう)であるという表現にも違和感がないはずだ。
存在すべては、空(くう)に生じた波動・エネルギー。
これをべつの表現でいえば、
宇宙、世界、私達の身体も環境も、空(くう)に描き出されたもの
波動エネルギーで出来たホログラムあるとも言えるのだ。
もっとも現代でいうホログラムのような、見た目だけの軽い幻想模様でなく、
大きい小さい、軽い重い、遠い近い、早い遅い等という、
観察可能な質量感覚を伴ったものなのだ。
そして、
その世界を観察・・それを・・それと認識・理解することができるのは、何ゆえか?
・・・
そう、
”意識”があるからだ。
物質・エネルギーだけでは、それ自身、自らを見ることができない。
つまり、物質だけが、そこにデデーン・・とあっても、
それを認識する、気付くことができないではないか。
世界も、宇宙も、身体も、環境も・・・、
それを見る、観る、知覚・認識する何かがいなければ、
そこに、ここに・・存在することが出来ようか?
深く感じ入るべきところだ。
気づきとその対象、
気づいているからこそ、その対象がある。
さらに、
わたしの”意識”があるからこそ、わたしの”知覚対象世界”がある。
わたしの意識の展開模様、こころ模様があるからこそ、
わたしの世界という無数の知覚経験があるのだ。
世界は・・意識に伴って立ち上がるものだ。
これは現実離れした空想でも理論でもなく、
今・・在る・・ことを説明しているに過ぎない。
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