●生と死は単に「生命」のサイクルのこと
人の寿命を仮に70歳とするならば、その人生は、70×365日ということになる。
365日が70回、なんと短いものだと感じないだろうか。
人は毎日起きて、生活し、夜寝ることを繰り返しているが、それは毎日死んで再び生まれ変わっているとも言えるのだが、
「記憶」が昨日、今日、明日で続いているためにそんな風には考えもしないものである。
「わたし」は・・・続いていると知っているだろう?
表面・顕在意識が消えて「潜在側」に移行することが睡眠であり、
表面意識が再び「顕在側」に移行するのが目覚めている状態であり、
その繰り返しが人生の毎日ということである。
睡眠恐怖症でないかぎり、自分の「顕在意識」が寝ることは怖がる人はいない。
「わたし」は消えたのではなく一時的に無くなったように見えるものの、再び朝目覚めること、つまり「わたし」が再生することを知っている為に、別に何の恐れもないはずである。
そうではないか。
●前世の記憶とは魂の記憶のダウンロードのこと
まさに人の生と死、死と生は、これと同じようなものなのだが、
それに気付くかどうかは、いわゆる前世の記憶というものが有るのかないのかという事にもよるわけである。
人は多くの場合この世界で「オギャー」と目覚めても、つまり生まれ変わっても、全く前世の記憶のないサラの状態のまま生れ、成長することになる。
持続する魂の記憶のこと等まったく知らない、価値を認めないタイプの文化・文明、現実対応だけに慌ただしい、大きな機械のような文明の中で生れて成長せざるを得ないためである。
目に見える物的形態のみが、その存在する全てだとする刹那的文化、「物質偏重文明」では、継続する生命の記憶要素などという概念すら眼中にないわけで、
眼中にないからには「認識」も生まれず、認識されないものは「事実」として現象化しないということになる。
つまり、魂の記憶は顕在化することなく、また活用されることも稀で、常に一から出直しのような文明と言えるだろう。
だから、進化したように見えるのは物質加工に関する科学技術だけなのである。
精神の深化とのその相対的なアンバランスが、現代文明の行きづまり、飽和と、必然たる崩壊とリセットにつながるのである。
シーソーは片側だけでは動かない。
双発ジェット機は片肺飛行では続けることが出来ない。
●天才とは魂の情報の活用者
稀に天賦と言われる才能を幼児期から発揮する天才は、魂の記憶の一部が無意識ながらも漏洩した存在のことである。
漏洩と言ったのは、自分の魂的な情報を知らない間に、ある分野だけに特別な才能が出ている天才という意味だ。大した訓練もなく、いきなり作曲を始めたような、かのモーツアルトなどは天才の典型とも言われている。
しかしながら、天才も何も特別な存在ではなく、修練すれば誰でも可能なことを、特別な修練なく行えると言うだけの話であり、崇め奉るようなことでもない。
肝心なのは、断片的、スポット的で、「ドカン」と一発だけの線香花火ではなく、持続する意識生命体であるさらに<壮大な規模の「自己」への自覚>があるか・・ないか・・ということである。
●今まで覚者は極少数派
もちろん、人類の一部にはそういう、覚者や聖者と言われるところの、魂レベルの自分、本質的な自己の霊的事実を知る、ごく少数派といえる人々も常に存在しているのだが、
そういう魂の開花レベル、意識レベルの格段に高い人々は、決して「口角泡を飛ばす」ような自己宣伝などするはずもなく、
行うとするならば、なんという事もない静かな説得、それに気づける人びとだけが霊的進化を助けられ、この混濁世界で魂自らを浄化・昇華せしめ、卒業してきたのである。
肉体、物質環境だけでない、それを知覚し制御するところの知的・精神的レベル、そして幾多の人生をも統合した「わたし」意識・・すなわち魂。意識を有する、より壮大な霊的・魂レベルの自己の気付きにある者は極少数派であったということだ。
3次元世界等とも言われる世界、今までのこの世界はそういう世界だったのだ。
確かに、人類が物質環境ばかりに目が奪われてアクセクしている様は、確かに普通の動物に高度に知的な能力をつけて、ちょっと複雑な形で動いているだけのようなものであり、
逆に動物達の様な自然とのつながりと「直覚」がない分、思考の渦巻くだけの「無明」の世界の中で繰り返し生きてきたようなものであるし、またその自覚すらもないという有様である。
そういう悲喜劇の充満する存在世界は、確かに魂の目覚めにとっては極めて厳しく、また逆に極めて得難いプロセスを経験できる世界でもあったというわけだ。
ご理解可能であろうか。
●カルマは歪エネルギーの活用手段
こういう分けがわかった様で、実は全く分かっていない世界では、
様々な歴史の流れ、人々の思惑や思考、観念が常に混乱を伴って流れている為に、その様々な流れあるいは時代の潮流に巻き込まれては、当然それぞれはその「結果」「果実」を刈り取ることになり、
その人々の自らの「思考と行為」による「収穫」が、我が身を蝕む様な「毒果実」であった場合には、いきおい「恐怖」や「怒り」等が生じることにもなるわけで、繰り返されるそういう類の「こころの歪」のことを「カルマ」と言って良い。
何回も生まれ変わるたびに、そういうカルマを蓄えては⇒解消・昇華するというプロセスが、いわゆるこの世での「輪廻転生」というものだ。
確かに、勉強でも何でもそうだが、改善しようという意思が背後にあれば、1回では良くわからないことは、解るまで何度でも繰り返すことは誰でも経験している事であって、
またそれは苦しいと言うよりは・・やりがいを感じていることなのだ。
そうだろう?
●カルマは矯正すべきこころの癖
カルマとは何かというと、それは「こころの癖」「こころの歪み」という事が出来る。
何度もこの世界に生まれるのは、どこか相当に無知なる人間社会での、こころの歪の蓄積⇒解消の繰り返しによって、次第に「魂」が成長・開花することを望んだためなのである。
この地球の人間世界は、それぞれの自分自身が魂的存在、肉体を超えた多次元、高次元的存在である・・・ことをほとんど知らない者たちの集まるフィールド・表現場であったために、
人々は往々にして、生れてからも、何が何だかわからない状態の人間関係の「狭間」で、何とかかんとか、目先の生存、生活を目的として人生を送ることになり、
何が何だかわからない状態で、また死んでゆくことで魂の学習が中断することになり、
それを補うために、何度でも転生をする仕組みなのである。
●知らないと言うよりも、知ろうとする意識行為が重要
そのような恩寵としか言いようのない輪廻の仕組みによって、こころの歪みを最も効果的に「解消・昇華」出来る環境、時代、地域、人間関係のなかに生まれ変わるわけである。
なぜかと言えば、それが魂の成長、骨太戦略のようなものだからである。
あなたやわたしが、今ここに、そこにいる分けはまさにそれだ。
「おれは知らない!・・えー?聞いてないよ」というかも知れないが、
それはその存在の「意識」が、肉体レベルの極せまい「私」意識に固定されているからであり、さらに大いなる「魂・意識」から勝手に離反しているだけなのだ。
「えー?俺は聞いてないよ~」と・・・、自分には何も関係しないような意識自体が、
無知でありながら、尊大で自己中心であることを示すはずである。
・・・
外側の物理的経験と、複雑だがその鏡像関係にある内面との「整合性」が取れるまでは、そういうサイクル、つまり生まれ変わりという繰り返しも必要だという事だ。
そして、魂の記憶とはは、カルマの記録帳、宿題帳のようなものとも言えるだろが、
それに描かれている内容は、即ち、今のあなたの「こころ模様」から読み解いていかざるを得ない。
そしてあなた自身が、いったい何であるかという問題意識、探究すべきテーマとしてそこに出てきていることに・・・気付かなければならないはずである。
●こころを観ることが出来れば良い
またカルマとは、宿題帳に書き込まれた様々な、こころのパターン、図柄、ノウハウ、情報は即ち魂の成長の記録と言えるものであれば、
何をおいても、自分のこころを・・自分で観るようになる必要があるということだ。
これは自明の理ではないか。
そして、様々な人格を演じた人生の記録、その孤軍奮闘、苦心惨憺で描き込まれた宿題帳、すなわち「今のこころ」を・・・心静かに眺め、どこか愛おしく懐かしむことが出来るまでになれば、その魂は「幼年時代」を卒業したという事である。
自らで・・・生き様での「歪」も「輝き」も生み出すところの、
自らの・・・意識の働きである「こころ」を静かに眺めることが出来るならば、
なるほど結果として、既に魂の幼年期を懐かしむまでに成長したということなのだ。
観自在、自らが在る事を自らで観る・・体だけでなくこころを含めた自己観照が出来る段階まで至れば良い。
こころを観ることが出来るならば、身体及びそれを認識するところの、こころ・マインドまでが・・・あなたの「観察対象」ということになるわけで、
あなたは、体でも、こころでもない意識の座に昇ることにる。
つまりそれらを含みつつ、またそれを超えたということである。
シンプルであるが、実にそういうことなのだ。
本日も拙い記事をご覧いただき、誠に有難うございました。
人の寿命を仮に70歳とするならば、その人生は、70×365日ということになる。
365日が70回、なんと短いものだと感じないだろうか。
人は毎日起きて、生活し、夜寝ることを繰り返しているが、それは毎日死んで再び生まれ変わっているとも言えるのだが、
「記憶」が昨日、今日、明日で続いているためにそんな風には考えもしないものである。
「わたし」は・・・続いていると知っているだろう?
表面・顕在意識が消えて「潜在側」に移行することが睡眠であり、
表面意識が再び「顕在側」に移行するのが目覚めている状態であり、
その繰り返しが人生の毎日ということである。
睡眠恐怖症でないかぎり、自分の「顕在意識」が寝ることは怖がる人はいない。
「わたし」は消えたのではなく一時的に無くなったように見えるものの、再び朝目覚めること、つまり「わたし」が再生することを知っている為に、別に何の恐れもないはずである。
そうではないか。
●前世の記憶とは魂の記憶のダウンロードのこと
まさに人の生と死、死と生は、これと同じようなものなのだが、
それに気付くかどうかは、いわゆる前世の記憶というものが有るのかないのかという事にもよるわけである。
人は多くの場合この世界で「オギャー」と目覚めても、つまり生まれ変わっても、全く前世の記憶のないサラの状態のまま生れ、成長することになる。
持続する魂の記憶のこと等まったく知らない、価値を認めないタイプの文化・文明、現実対応だけに慌ただしい、大きな機械のような文明の中で生れて成長せざるを得ないためである。
目に見える物的形態のみが、その存在する全てだとする刹那的文化、「物質偏重文明」では、継続する生命の記憶要素などという概念すら眼中にないわけで、
眼中にないからには「認識」も生まれず、認識されないものは「事実」として現象化しないということになる。
つまり、魂の記憶は顕在化することなく、また活用されることも稀で、常に一から出直しのような文明と言えるだろう。
だから、進化したように見えるのは物質加工に関する科学技術だけなのである。
精神の深化とのその相対的なアンバランスが、現代文明の行きづまり、飽和と、必然たる崩壊とリセットにつながるのである。
シーソーは片側だけでは動かない。
双発ジェット機は片肺飛行では続けることが出来ない。
●天才とは魂の情報の活用者
稀に天賦と言われる才能を幼児期から発揮する天才は、魂の記憶の一部が無意識ながらも漏洩した存在のことである。
漏洩と言ったのは、自分の魂的な情報を知らない間に、ある分野だけに特別な才能が出ている天才という意味だ。大した訓練もなく、いきなり作曲を始めたような、かのモーツアルトなどは天才の典型とも言われている。
しかしながら、天才も何も特別な存在ではなく、修練すれば誰でも可能なことを、特別な修練なく行えると言うだけの話であり、崇め奉るようなことでもない。
肝心なのは、断片的、スポット的で、「ドカン」と一発だけの線香花火ではなく、持続する意識生命体であるさらに<壮大な規模の「自己」への自覚>があるか・・ないか・・ということである。
●今まで覚者は極少数派
もちろん、人類の一部にはそういう、覚者や聖者と言われるところの、魂レベルの自分、本質的な自己の霊的事実を知る、ごく少数派といえる人々も常に存在しているのだが、
そういう魂の開花レベル、意識レベルの格段に高い人々は、決して「口角泡を飛ばす」ような自己宣伝などするはずもなく、
行うとするならば、なんという事もない静かな説得、それに気づける人びとだけが霊的進化を助けられ、この混濁世界で魂自らを浄化・昇華せしめ、卒業してきたのである。
肉体、物質環境だけでない、それを知覚し制御するところの知的・精神的レベル、そして幾多の人生をも統合した「わたし」意識・・すなわち魂。意識を有する、より壮大な霊的・魂レベルの自己の気付きにある者は極少数派であったということだ。
3次元世界等とも言われる世界、今までのこの世界はそういう世界だったのだ。
確かに、人類が物質環境ばかりに目が奪われてアクセクしている様は、確かに普通の動物に高度に知的な能力をつけて、ちょっと複雑な形で動いているだけのようなものであり、
逆に動物達の様な自然とのつながりと「直覚」がない分、思考の渦巻くだけの「無明」の世界の中で繰り返し生きてきたようなものであるし、またその自覚すらもないという有様である。
そういう悲喜劇の充満する存在世界は、確かに魂の目覚めにとっては極めて厳しく、また逆に極めて得難いプロセスを経験できる世界でもあったというわけだ。
ご理解可能であろうか。
●カルマは歪エネルギーの活用手段
こういう分けがわかった様で、実は全く分かっていない世界では、
様々な歴史の流れ、人々の思惑や思考、観念が常に混乱を伴って流れている為に、その様々な流れあるいは時代の潮流に巻き込まれては、当然それぞれはその「結果」「果実」を刈り取ることになり、
その人々の自らの「思考と行為」による「収穫」が、我が身を蝕む様な「毒果実」であった場合には、いきおい「恐怖」や「怒り」等が生じることにもなるわけで、繰り返されるそういう類の「こころの歪」のことを「カルマ」と言って良い。
何回も生まれ変わるたびに、そういうカルマを蓄えては⇒解消・昇華するというプロセスが、いわゆるこの世での「輪廻転生」というものだ。
確かに、勉強でも何でもそうだが、改善しようという意思が背後にあれば、1回では良くわからないことは、解るまで何度でも繰り返すことは誰でも経験している事であって、
またそれは苦しいと言うよりは・・やりがいを感じていることなのだ。
そうだろう?
●カルマは矯正すべきこころの癖
カルマとは何かというと、それは「こころの癖」「こころの歪み」という事が出来る。
何度もこの世界に生まれるのは、どこか相当に無知なる人間社会での、こころの歪の蓄積⇒解消の繰り返しによって、次第に「魂」が成長・開花することを望んだためなのである。
この地球の人間世界は、それぞれの自分自身が魂的存在、肉体を超えた多次元、高次元的存在である・・・ことをほとんど知らない者たちの集まるフィールド・表現場であったために、
人々は往々にして、生れてからも、何が何だかわからない状態の人間関係の「狭間」で、何とかかんとか、目先の生存、生活を目的として人生を送ることになり、
何が何だかわからない状態で、また死んでゆくことで魂の学習が中断することになり、
それを補うために、何度でも転生をする仕組みなのである。
●知らないと言うよりも、知ろうとする意識行為が重要
そのような恩寵としか言いようのない輪廻の仕組みによって、こころの歪みを最も効果的に「解消・昇華」出来る環境、時代、地域、人間関係のなかに生まれ変わるわけである。
なぜかと言えば、それが魂の成長、骨太戦略のようなものだからである。
あなたやわたしが、今ここに、そこにいる分けはまさにそれだ。
「おれは知らない!・・えー?聞いてないよ」というかも知れないが、
それはその存在の「意識」が、肉体レベルの極せまい「私」意識に固定されているからであり、さらに大いなる「魂・意識」から勝手に離反しているだけなのだ。
「えー?俺は聞いてないよ~」と・・・、自分には何も関係しないような意識自体が、
無知でありながら、尊大で自己中心であることを示すはずである。
・・・
外側の物理的経験と、複雑だがその鏡像関係にある内面との「整合性」が取れるまでは、そういうサイクル、つまり生まれ変わりという繰り返しも必要だという事だ。
そして、魂の記憶とはは、カルマの記録帳、宿題帳のようなものとも言えるだろが、
それに描かれている内容は、即ち、今のあなたの「こころ模様」から読み解いていかざるを得ない。
そしてあなた自身が、いったい何であるかという問題意識、探究すべきテーマとしてそこに出てきていることに・・・気付かなければならないはずである。
●こころを観ることが出来れば良い
またカルマとは、宿題帳に書き込まれた様々な、こころのパターン、図柄、ノウハウ、情報は即ち魂の成長の記録と言えるものであれば、
何をおいても、自分のこころを・・自分で観るようになる必要があるということだ。
これは自明の理ではないか。
そして、様々な人格を演じた人生の記録、その孤軍奮闘、苦心惨憺で描き込まれた宿題帳、すなわち「今のこころ」を・・・心静かに眺め、どこか愛おしく懐かしむことが出来るまでになれば、その魂は「幼年時代」を卒業したという事である。
自らで・・・生き様での「歪」も「輝き」も生み出すところの、
自らの・・・意識の働きである「こころ」を静かに眺めることが出来るならば、
なるほど結果として、既に魂の幼年期を懐かしむまでに成長したということなのだ。
観自在、自らが在る事を自らで観る・・体だけでなくこころを含めた自己観照が出来る段階まで至れば良い。
こころを観ることが出来るならば、身体及びそれを認識するところの、こころ・マインドまでが・・・あなたの「観察対象」ということになるわけで、
あなたは、体でも、こころでもない意識の座に昇ることにる。
つまりそれらを含みつつ、またそれを超えたということである。
シンプルであるが、実にそういうことなのだ。
本日も拙い記事をご覧いただき、誠に有難うございました。
あんまりいらんことを書かないように
と思いつつ、フィーリングがおりてきたので
書かせてください。
カルマは超えられる ということです。
その因縁が何故生起しているのか
感じられ、理解できたとき
カルマは変質します。
これは現実に起こります。
例えば、嫌な上司との関係性が変化します。
まあ、それでも、カルマ云々より
神であることを忘れた
放射能まみれの世の中なので
「許しまくる」意外に手はないのですが
こちらは、こんなカーリーユガな世の中でも
神としての立場を堅持します。
そうすると、仮に周りが
神であることを忘れたアフォ いや失敬
方々であって 変わることができなくても
そうして生きた経験と叡智は
宇宙中の魂も羨む キャリアになります。
経験こそ叡智です!!!
どうでしょう
釈迦やキリストクラスでも
アフォな弟子や反逆がなくなったでしょうか?
いわゆる精神世界的綺麗ごとでは
自分が変わると周囲も変わると言いますが
そうではありません。デーバダッタは
最後まで釈迦を殺めようとして
無間地獄に落ちたなどと経典は言います。(笑)
つまり、周辺はある意味どうでも良い。
自分の中身を神として堅持すればいい。
その難しさたるや、地球の日常は宇宙最強の
道場なので、凄い叡智なのです。
自信を持たれよ!と大天使ばりに
私は、皆様を励ましたい
人間をやりながら、自分は自分と言う神であることに
気づいた魂の皆様へ。
そしてアフォと言った皆様ごめんね。
やがてみんなも絶対に気付くということを
知ってます。私は。順番だから。
ありがとうございます。
なんという楽しいコメントでしょうか。
お腹の底から笑えるような、顔の前にエネルギーが噴き出るような静かな笑いが起きました。
有り難い事です。
マッチョマンさんを笑かすとは
自分も大したものです。
大した 徳 を積みました。
いや本当らしいです。
この世には笑いが、本当に少なくなっている
らしいです。人を本当の意味で笑わすことって
とても素晴らしいことらしいです。
きっとねぇ、マッチョマンさんも
今までのキャリアの中で同じように手を焼いてこられて
同じように このアフォめ!!!
いやいやいや あかんがな 自分!!!
アフォ じゃないんだ こいつ も神なんだ!!!
いやいやいやいや こいつ って言ってしまった!!!
あああああ みたいなことが
あったんだと、勝手に断定させて頂きます。(大笑)
だんだん昔のP爺の乗りに近づいていますが
でも良いと思うんですよね。
幻影を笑い飛ばすことができたら
それは、この世がマーヤだと悟っていることに
近づいているわけですから
それと言い忘れたのですが
カルマが怖くて人間やれるか という開き直りが
必要だと思います。甘んじて受けると。
時空を転換できる大天使クラスでも
この世に物理的に存在する限りカルマは甘んじて
受けているそうですが、自分を人間と勘違いしている
魂との違いは、何故それが起こるのかを理解して
受け入れていること のようです。
長々としゃべってしまいました。
何か久しぶりに楽しいです。
ありがとうございます。
また気楽に好きなことを話させてください。
P
P爺の乗りですか。いいですね。
あれから何年たつのでしょう。
オクンドさんのところでは、楽しく遊ばせて頂きました。
不思議なご縁です。
ひろなさんは元気のようですし、いつかさんは護憲・国家鎮護で頑張っておられるようです。
・・・
Pさんも否応なく転職されて、今は病院の介護、ケア担当などされているのでしょうか。
戦後を生きた人々の、人生の縮図など見せられているのであれば、なかなかな事だと思います。
・・・
自分も還暦を過ぎてもまだ技術職で飯を喰っていますが、
自ら後方に下がっていくことで、それもまた楽しんでいます。
12年間で特許も何点か持っていますが、それも何かエンジニアの自前勲章のようなものです。それ以外意味はありませんが、想念、思考やアイデアが現実化することは実証してきました。
・・・
あまり記事にはしないですが、時々寝覚めのある瞬間に「メッセージ・ビジョンのようなものが入ってきます。
その内容は個人的なこともあり、また全体に関わる感じのものもありますし、またそれ自体も鵜呑みにすることはありませんが、毎回の記事の中のトーンとして出ている部分もあるようです。(笑)
・・・
最近入ってきたビジョンでは「9月から全て変わる」等というものでした。一気に何かが生起するという意味よりは、潮流が明確に変わった・・というような類のものでしょう。
Pさんのほうでも、何か感じますか?
That's right !
さすがですね。自分は感じられませんが
実は、ちょっと遅れているとも聞いています。
本当は8月15日前後だったと
とにかく
聴いている情報で確度は高いです。
マッチョマンさんは、完璧に独立独歩で
その地位に達せられました。
ずーっと尊敬してましたが、やっぱりすごいですね。
SさんことD所長に 「近い」 と言われてましたが
もうかなり漸近していますね。
「変容」とは、占星術ではさそり座領域=冥王星です。
さそり座領域は放射能を指します。
同時にさそり座は「死」と「再生」です。
「爆発」 も示唆します。中国でありましたね。(笑)
いや笑ってる場合ではないか・・・。
山羊座=現実世界 に冥王星=放射能、死と再生
が入っているので
福島の放射能が すっかり日本全体を覆い
全ては予定通りです。
そんな時にまた
原発を再開し・・・いよいよ
神 太陽意識 地球意識 月意識 が動きます。
サナートクマラは
今まで 「調整」 してきましたが
いたずらに封印してきた龍脈のエネルギーを
開放するでしょう。
つまり、「地」も「震え」ます。
人間があんまりひどい場合には
太陽風と地球の磁場のバランスも変える
との情報もあります。(書いてよかったかな・・・)
また、この機会に
この地球に最初に来て各地でエネルギー調整してきた
そして転生してきている
「龍神」の魂が
覚醒に向かうでしょう。
「お祭り」です。今日地元のお祭りを
ボランティアしました。(笑)
いろんなことが「近い」証でしょうか。
ウィングメーカーによれば
私の今の転職が天職だそうです(大笑)
Sさんには 既に道がついていると言われましたが
その通りでした。
認知症を中心とする精神疾患の方の
認知機能 運動機能の リハビリなので
意識のエネルギーが使えます。
水星と土星の吉座相
月と土星の吉座相
つまり医療と老人に関与して調和する
老人の再教育
全て私の生誕時ホロスコープの予定通り(笑)
じゃああの膨大な勉強は何だったの
本当は頭が悪かったのに無理したじゃない~
建築は フリーメーソン で
都市計画は 風水 だったのか???(笑)
ってのも自分で選択したブループリントなんでしょうが
この辺は今月中にわかる予定です。
おくんどさんに 法海和尚で 法力で悪さするって
言われましたが、彼は勘が冴えてます
前世でやってたみたいです。(爆)
密教で人を殺めるとか・・・。
今生もあんまり相手の行為が酷く
こちらの忍耐が限界に近い時は
相手のハイアーセルフに自己責任を取るように
迫ってます。あ、念は使ってません。
前世からの癖として 九字印など切ってしまいます。
マッチョマンさんと同じく
宇宙全体の事と
私個人の魂の事が
情報として どんどん 入って来ています。
幻魔大戦の「光の天使」 って曲
youtubeで聴いてみてください。
この曲が妙に気になります。
【以下和訳】
今こそ 私達みんなで
夢を信じて やりなおす時
愛の光は 私達を勇気づけてくれ
生きる限り 輝き続ける
私達の前には 新しい夜明けが待っている
この先 何年かかろうとも
私達は愛に満ちた世界を築きあげるだろう
生きる喜びをかみしめ 疑う心もなく
そして人々の心には 真実のみが……
私達の選ぶ道は
果てしない宇宙を超える
光なき世界のささやきも
時を越えてこだまする
その素晴らしいメロディー……
広がる未来に向かって
燃えるような新しい生命が始まる
神のことばを持つ 新しい世界は
やがて現実となってゆく
私達は 光の天使
未来を築くのは 私達
輝く光のもとに
愛が私達をささえてくれる
そして輝かしい日々は もう眼の前に……
この先 何年かかろうとも
私達は愛に満ちた世界を築きあげるだろう
生きる喜びをかみしめ 疑う心もなく
そして人々の心には 真実のみが……
私達は 光の天使
未来を築くのは 私達
輝く光のもとに
愛が私達をささえてくれる
私達は 光の天使
未来を築くのは 私達
【以上】
敢えて言うなら 「光と闇を統合した天使」
が地球を変えて行くことになると思います。
ありがとうございます。
P
質問です。
地球に来る前 どこに居ましたか?
ぶっとんだ質問ですね~(笑)
私は オリオンらしいです。最近知りました。
【以下とあるブログからの抜粋】
ところで、スターウォーズが好きな人、観ると血が騒ぐという人はオリオン星人だったことがあるといってまず間違いないです。
(色んな星を経由して地球に来ているのが普通です。かくいう私もオリオンだけでなく、シリウスの影響も今生で強く出ています。)
スターウォーズはオリオン星人たちの記憶から創られていると言われています。
そして、地球にこの善悪戦争を持ち込んだのがオリオン星人。
オリオン星でつかなかった決着を地球に持ち込んだわけです。
(因みにオリオン星は争いに決着つけてアセンションを遂げています)
オリオン星人は好戦的とでもいいましょうか。
他の星の人に比べると、ゲームや勝負が好きな人が多いです。
ナニクソ根性で頑張るので、いわゆる3次元の成功者が多いかもしれません。
かくいう私も何回もオリオンってきました。
オリオン星人のいいところは、芯がビッと通ること。
達成感が得られることが大好きなので、
目的達成のために心血注いで打ち込みます。
光の扉を開ける特攻隊たちです。
逆にオリオンが悪く出てくると、人を蹴落としてのし上ろうとし始めます。
勝負もゲーム感覚を持って楽しむ程度ならいいのですが、
白熱しすぎて、勝敗に執着しまくって憎みあい、殺し合いになってはいけません。
ここがオリオンのバランスの難しいところですね。
自我の求める3次元的な成功と、魂の求める真の成功をしっかり見極めて行くことがとても大切なわけです。
【以上】
まさに、私の性格にぴったり当てはまります。
打てば響く鐘ようなコメント有難うございます。
昔一緒に良く遊んだこともあったのでしょう。
・・・
おー、幻魔大戦ですか、確かアニメでは平井和正、石森章太郎のコンビで出していましたね。子供ながらにありゃ不思議に怖かった・・。宇宙がどんどん闇になってゆく、ネバーエンディングストーリーと同じコンセプトですかね。
・・・
確かに・・記憶として、
空を悪意の船が飛びつつ、自分・・地上の生き残りを探しているような「極めて怖かった夢」を憶えています。
ある時、何かで起きた恐怖という「感情」が、キーとなって、いわゆる魂の記憶張を覗いてしまった感じです。
・・・
感情や思考は、3次元的時空間を超えた高次の情報なので知らない間に、そういう意識のアクセスをしている場合があり、かつそれに気づかない・・という事も多いようです。
混濁した現世と同じく、魂レベルでは、そういう宇宙大の「時空間争い」も経験してきたという事でしょう。
・・・
だから、例の古ダヌキといわれる○○さんも、魂のお仲間というわけです。
(つづき・・あり)
以下、全て自分の内面に明確に浮かんだものを列記します。
●まず、来てからのこと
この時間空間に来てから100回前後?程度の人格を経験したようです。つまりこの世界での輪廻転生がそれくらいあるわけです。7-8年ほど前にヘミシンク中に「一瞬で観えたビジョン」に基づきます。
そのビジョンでは大勢の人型シルエットが、自分を取り巻いている姿が見え、
またそのシルエットのなかの7-8人は、頭の上から七色の光が発していました。チャクラ全開だった段階から、多分、転生を重ねながら、次元降下して来たということですかね。
ある意識段階での、フルコンシャスネス・・とでもいうのでしょうか。
●地球フィールドに来る前はどこか
来るとか来ないとか、移動するとかというのは高次の魂レベルでは、ちょっと表現が相応しくないのですし、魂は単独体というわけでもないですね。
(ここんとこを、良く・・一則多・・という表現で言っています)
1つだけこの世界以外の明確なビジョンがやってきた先は「レグルス」でした。
獅子座の・・レグルス、レグルスという用語、それ以前は全然気付いていなかった。
あれは4重連星といわれていますが、
4つの星・星雲が極めて速く回っていたビジョンの、次のビジョンが、地球の大気圏を見下ろす、何かの船だったわけです。教師のような人に何か教わって、2-3人?で次々に大気圏へと飛び込んでいきましたよ。わたしは2番目でした。
これを見た時も、単に何かの夢のだろうと、意識的に放置していたのですが、
数日後の明け方のメッセージで「レグルス」という聞きなれないものが頭の中に「バーン」と出てびっくりこいてから、
そういえばと、足立郁郎さんの「波動の法則」と、真地球の歴史いう本を見たところ、そういうことでした。
<へー~!>
・・・
ここの皆さんが見上げる星座は、それらの星座、星系を何がしか経験してきた、あるいは今経験している「魂」の記憶を示していますね。だから見上げるし、星回り等を探索する。
その記憶は過去という分けでなく、未来という分けでなく、あらゆる「自分」・・神が自らを分けた・・分身・・が、「本当の意味で」楽しく遊んでいる様子を伝えているということです。
魂の仲間というのは、それに気づいた分だけ増えてゆくもので、霊団とかいう風に言われている自分に近しい最愛の仲間たちのことでしょう。
昨今変にいびつに伝搬している「宇宙人」情報等は、まるでありもしない恐怖と無知の作り芝居です。