気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

マインドの話(1)仮想現実 

2019-12-18 05:03:15 | 語り部の章
真面目に科学的な探求をしたり、
現代においてコンピュータグラフィックに精通した人や、
または純粋な動機で瞑想に親しむ人たち、
あるいは意識内面を観察する「内観」を多少とも実践する人たちならば、

我々がいる世界は実体のない”バーチャルリアリティー”であるということが、
まったく妥当であると実感するだろう。

ここで”実感”という表現は・・・、なんとなくそう思うけれども、
実体はどうなんだろう?という中途半端な想いではなく、
いやはや・・そうだったという「悟り」のようなものである。

そう、実感・・・ここまで行けば「悟り」となる。

「悟り」とは・・分かってしまって、
もう後には戻らない意識レベルへのシフトとでもいうべきもの、
あるいは大いなる目覚め、妄信でない確信のようでもある。
例えば、
幼稚園児から小学生になって、また幼稚園に戻る友達は決していないようなものだ。

あるいは優しい表現であれば、
悟りあるいは覚醒とは、
二度と忘れることのない根本的な理解、もう後には戻れない意識進化のようなものだ。

あるいはまた別の表現で言えば、
エネルギーや振動数が一段と上昇し、情報量が飛躍的に増えるようなもの、

何も、霊的行者や神官や仏法僧の専売特許のことでもない。
あるいは人と違う(超)能力をもっている人のことでもないし、
有名大学の超偉い先生が知ってる何かでもなければ、
謎めいた噂の宇宙人のことでもない。

おー!、なんだ、実体のない世界なのか、
ならば、何がどうという事もなく、必死に何かに追いすがる必要も、
肉体の周りを仮の物で飾りまくり、
地位や名誉や知名度を生涯かけて獲得することもないではないか、
すくなくとも、もっと気楽に生きて行けるではないか・・と想うものだ。
スピリチュアルな知識を得た人ならば誰でも、
こういう一時の涼風感的な経験をしているかもしれない。

しかしながら、・・

とはいえ現実は重く、・・・なかなかそうは問屋が卸すわけもなく、
「そうかもしれないが・・しかし実際は違うがね~」ということで、
いわゆる現実生活という有象無象の重たい縛りの感覚に引き戻ってしまうものだ。

そうではないか?

いや応なく・・毎日毎日繰り返される現実は、
悟りどころか・・飯を食うための生活維持に翻弄されているではないか。
悟りで得られそうな幸福感すら、いったいどこにあるのやら・・

嗚呼、これはどうしようもないではないか・・!?

という話にもなるだろう。

ところで、あなたはどうだろうか?


でも、

ちょっと待って♫・・笑)、今の言葉~ ♪(ちょっと古いが山口百恵風?)

いや応なく・・毎日毎日繰り返される現実は、
悟りどころか・・飯を食うための生活維持に翻弄されているではないか。
悟りで得られそうな幸福感すら、いったい全体?どこにあるのやら・・
これはどうしようもないではないか・・!?

・・と、

これ自体が・・仮想現実なのである!



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