多くの人は自分のことを知らない、あるいは忘れている。
自分が創造主、神、あるいは存在の根源、全ての根本原因、
言い方はなんであれ・・『それ』 であることを・・忘れている。
ヘンな話だが、この記事の文章・そこから伝わる概念・想念を・・今受け取っている人たちは、
”それ”を思い出す時期が来ているという事を意味している。
あるいは少しづつ思いだして来ているのかもしれない。
・・・
あなたがこの世界に生まれたということはどういうことなのだろうか?
幼い時期の・・いつ?・・どの時点で「意識」を持ったのだろうか?
2歳か?3歳か?・・あるいは5歳か?
あなたの一番古い記憶は・・何歳の頃だろうか?・・・
ある有名な人(三島由紀夫)は赤子で産湯に浸かっていたことを覚えていると何かに書いていた。
普通は何歳か経ってから、自分の意識に気付くし、またその自分に気付いた瞬間のことが「記憶」に残っている。
あるいは・・記憶があること自体が・・個人としての意識を形成している。
つまり、幼児期のある時点で・・わたし・・という個人意識を獲得するのだ。
それまでは・・親から見た赤ん坊・幼児以上の何物でもない。
母親は自分の胎内で赤ん坊の肉体が生育することに気付いていた。
そして必死の思いでそれが胎内から出て来る様を身体感覚を通じて体験する。
その切実な体験は、
自分の中から自分と同じようなものが生まれる驚きで満ちている。
自分で意図して形を創り上げたわけでもなく、
ただただ、新たな生命が・・自然に・・・
自己内部から生じるさまを痛撃的に体験するのである。
赤子という自分と同等の存在が・・自分の内部から出現すること・・・
これは創造の基本形・・
自己の内部から新たな自己が生じる偉大なる法則を
肉体物理的な次元を通して示しているのである。
しかしながら・・母親の胎内は肉体を創り出すだけで、
魂までそこで創り出されるわけではない。
魂は・・逆に・・肉体に気付き・知覚している主体であって、
その気づきの対象・観察対象・客体である肉体ではない。
母親にとって赤子は、見て触ってその存在を感じる「対象」である。
しかしながら、自分の身から出てきた自分の分身のような赤子に対して、
母親は無条件に「愛」を感じているのである。
・・・・
自分と同じように赤子を大切にする想い・・
何というか、
理屈抜きの感覚、出産という不可思議な体験の同時経験者としての赤ん坊に対する・・感謝・驚き・安堵・愛らしさ・・・
それらすべてを含んだ総合的な意識の発露・発散・・が感情的な「愛」である。
そこに・・新たな魂が宿る、出現することになるのだ。
その魂は・・母親・父親という個人意識とは異なる、別の魂・意識であり、
ある意味で、
生誕というプロセスを通じて、別の共同創造者の参加が行われるということだ。
なんとなく結婚し、出産し、家族が出来た・・・というありふれた経験にも、
すでに・・宇宙の創造原理が働いているという事を観ることが出来るはずである。
・・・
この3(4)次元世界で、人が生まれるということは、その愛の創造なのだといえよう。
あなたが女性であれば、大なり小なりその経験を通過しているし、男性であればそれを保護する経験をしているはずである。
また、今は男だ、今は女だと言ってはいても、
この世界で、何度も生まれ変わるという経過において、
何度も何度もそういう肉体創生プロセスを体験・経験しているのである。
・・・
あなたは既にその体験者、経験者であり、
また、
今まではその意味にも気付かず知らずの無明の世界にいたとしても、
今はもうその・・あなたの諸経験において、
あなたが創造のプロセスの当事者・・創造主・神・根源の協力者、
そしてそれそのものであることを推して計るべきである!
既に創造主・神の協力者として、
生きざまで実践しているのであるから、
自らをかえりみて・・それに気付くべきなのである。。
それを努力して思い出すことは、自らが神なる者の子であることを理解するはずだ。
日常の雑事、飯の種の獲得作業、世間体の維持などはもう十分に過ぎたと考え、それを主テーマから外すが良い。
生きること・死ぬこと・・最も大事な人生のことを思い巡らしてみよう。
・・・
皆々は、この世に生きる為の諸事に追われている身であり、
死ぬまで生きる努力を強いられながらも、
幾多の、あるいは多くの人生において、
無数の驚愕的経験を重ねてきた人々である。
・・
神より出でて、
そうとは知らず、
無数の神に出会い、
自らの無限性を知ることが出来る・・、
壮大極まりない、魂の旅の途上の魂たちへ・・・。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。