無限でもない、有限でもない、
どんな定義も出来ないそれ・・
全くの何でもないものを・・
空(くう)と呼ぶ。
それはすべて存在の故郷であり根源である。
それはどこにでもあり、
何でもないものである。
空(くう)を空っぽと呼んではいけない。
空(くう)とは、空っぽでも、特別の何かでもないからだ。
何でもない、定義も何もないからこそ、
何にでもなり、様々に定義が可能である。
何でもないものであるがゆえに、何にでもなるのだ。
・・・・
あなたの周りの空間と呼ばれる広がりも、
無限の遠方にあるかのように見える、
宇宙遥か彼方の広がりも、
まったく・・その空(くう)そのものである。
従って、実はそこには空間も広がりもない。
時間と言われるものもない。
空間にあるのは様々な事物・事象であるが、
あるのは事物・事象の動きや関係性のみであり、
その動きや関係性のことを「時間や空間」とよんでいる。
しかしながら、
時間と空間それは実体ではなく、たんなる認識でしかない。
空(くう)の中に距離や時間は存在しない。
実際には・・真のリアリティー・空(くう)にとっては、
何億光年と呼ばれる宇宙の距離や時間も、存在しないのである。
空(くう)には距離も無く、奥行きも広がりもない。
ただそこに・・その何でもないそこに、
何かが生まれるのは必定のことだ。
そこ・・とは・・空(くう)以外にない。
なぜ空(くう)に・・何か?・・が、生まれるのか?
なぜ宇宙が生まれ星々が生じているのか?
何故、あなたや私達が在るのか?
なぜならば、
何でもないものは、何でもないからこそ、
無限の、無数の何かになろうとするのである。
そう、
あれやこれや、あちらやこちら、無数の個々として現れるのだ。
おのれに気付いている何者かが、
おのれとは?あれか、これか、いやこれだ、あれだと、
おのれ自身の無限の変化を生み出しつつ、
わたしとは・・何か?を問いかけ続けるのだ。
個々の視点を獲得し、自らに問い続けるものを
個別「意識」と呼び。
あらゆる宇宙すべての視点のそれを
「宇宙意識」と呼ぶ。
しかしながら、
元は・・、源は・・、
何でもない空(くう)であるがゆえに、
それはただ ”ひとつ” なのだ。
そう、
皆みな、わたしという意識は、宇宙意識でもある。
それはただ ひとつ であるがゆえに、
全知、全能、偏在である。
宇宙意識である・・ひとつが、
あなたやわたし彼や君、
あれやこれや、この時やあの時や、
あの場所やこの場所、あの生命この生命、
無数の個々の意識となって現れている。
それが偽らざる真実なのだ。
かように、
空(くう)何でもないからこそ、
宇宙としての無限の可能性を具象化している。
また、
ただ ”ひとつ” であるからこそ、
真のおのれ以外に存在しないがゆえに、
それは無条件の ”愛” と言われるのだ。
空(くう)は無限の可能性であり、
無限のパワーの源であり、
そこから目覚め、自らの無限性に気付いている者
時空のデザイナーである意識によって、
すなわち、
あなたやわたしたちによって!
様々な可能性を具現・表現することを待っている、
愛やパワーに満ち満ちた、永遠のフィールドなのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、
誠に有難うございました。