気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(4)唯一者

2021-01-08 06:49:07 | 意識の科学(総合編)

●気づきの総体・わたし意識

<わたし>とは ”気づいていること”の総体であるともいえよう。

わたしたちは・・単なる岩とは違う、

意識している、気づいている存在ということだ。

 

毎日の日常生活のすべて、

見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れることを通じて、

その世界に”気づいている”・・存在であるということだ。

また、

そこから生じる様々な感情や想いにも”気づいている”存在ということだ。

 

●意識なくば世界は無い

つまり、わたしとは、意識存在であり・・

世界・環境・身体・・周囲に気づいている・知覚している・存在である。

自己をそれと思いやすい「肉体」も・・もちろん気づきの対象であり、

それはまた環境・世界との間の波動共鳴フィールドともいえるだろう。

 

何かへの気づきが無ければ・・どんな対象も知覚できない。

あなたが眠っているときには、

あなた自身の知覚するどんな世界もないはずだ。

熟睡中は、どんな何も無い・・ことすらも知らない。

その時には、

「あなたは眠っているだけで、しっかり世界はあるよ」

と教えてくれるどんな他者さえもいない。

 

●自身に気づいている・・根源意識

わたしとは・・様々なものに「気づいて」いる存在であり、

また・・その当の・・自分自身に「気づいて」いる存在でもある。

 

重要なことは・・意識、

気づきの総体を・・わたし・意識というならば、

自他に気づいている・意識・わたし・・は、宇宙すべての中で・・・

わたし・・しかいない・・ということだ!

 

●気づきの働き・・意識は全部で・・ひとつ

私のような多くの人間がいるから、宇宙にわたし一人なんかあり得ない・・と思うだろうが、

わたし・・自身に気づいている・・わたしは・・ここにいるだけだ。

 

わたしの世界に・・主体たるオリジナルな意識は・・わたししかない・・

他に多くの人がいる・・ことを気付くのも・・この・・意識である。

 

理解可能だろうか?

深く吟味すべきことだと思うがどうだろうか?

しかしながら、

いまのあなた・・そのものなのだと気付くだけ、

様々な幻影を映し出す・・その・・光源のことである。

 

わたしの観察・体験・知覚する世界の・・根源・光源は・・ひとつである。

ひとつだから・・光源・根源なのである。

その・・ひとつから放射される投影像の中に

大勢の他者という幻影も含まれているが、

それは自己の幻影を万華鏡のように映し出すものであり、

それらも・・ただひとつの光源・根源の現れであることが理解できるだろう。

 

●他者とは、万華鏡に映し出された”わたし”の姿

大勢の他者とは・・ひとつの根源・・真我(真のわたし)・・が、

こちらとは違う・・向こう側から・・

無数に・・出現している姿なのである。

 

もちろん意識は無限であるため、

その姿形、想いや考え、価値観や信念などは様々であることは、

それに気づいた者として理解しなければならないはずだ。

 

分離の世界、極まれり

この世界は、その真逆の体験場、地球という分離の世界、監獄世界、

魂意識が、我さきに、我勝ちに・・分離と分割の極致へと分け入り、

いつか物質的幻影のなかで、その中に入り込んだ当の自分(魂・意識)すら、

忘れてしまう集合体験世界であったといえよう。

 

それが今終わりを迎え、意識である”わたし”たちへと帰還を開始したのだ。

今はもう、知覚する事象、意識するものごと、想いの質が・・急激に変化する過程のただ中にあり、

どこか、古き懐かしき暗雲の下から上へと

嵐のような激動の中を突き抜け、

大いなる目覚めの輝く、意識の上空に戻らんとする途上にある。

 

●天上天下・唯我独尊

言うまでもないことだが、ここで”唯我独尊”とは、

私個人だけ尊い・・等という愚かな解釈ではなく、

唯一尊い我とは・・真我・・あらゆるすべての根源意識のことである。

 

あらゆるすべては・・ひとつの根源の放つ・・意識の諸形態であり、

その幻影、先映えであるマインド・肉体・環境の物語が創出されているのだ。

 

自己自身に内部から気づいている・・わたし・・は、

わたしの気づく範囲の世界・宇宙すべての中で・・・

わたし・・しかいない・・ということだ!

 

 

世界・宇宙とは・・

わたしの知覚する様々な事物・物質・現象のことを言う。

そして、

その世界に気づいている・・者は・・

唯一者である・・わたし・・という事になる。

 

意識である・・わたしとは、

わたしの気づく範囲の世界、果ては宇宙まで含む世界・・

つまり見る・聞く・感じる、考え・想像する、

あらゆる事象・物事に満ちた世界における、

・・唯一者・・であるということだ。

 

これは・・それぞれ・・意識としてのわたし・・が、

ただ在ることの無限性、至高の存在であることを意味しており、

意識レベルによって、おうおうにして付帯しやすいところの、

利己主義も傲慢も全く関係がないことを知る必要があるのだ。

 

天上天下、唯我独尊・・

謙虚に受け取るべき真実ではないだろうか。