意識は宇宙全般に行き渡っている空(くう)と言っていいだろう。
我々の周囲、その中も、どこもかしこも空(間)であり、
様々な物質が存在しているわけだが、
それらはすべて空(間)それ・・自体が変調して微細な渦・波動となり、
その波動の無数の集合・重合が様々な粒子、物質、人間、惑星、恒星として存在している。
無限なる空(くう)に微細に沸き起こっては消えるかに見える精妙微細な波動、
”存在のゆらぎ”ともいえる渦・波動が、原初の意識、普遍なるものともいえよう。
何もかも、素粒子も原子も、鉱物も植物も、動物も人間も・・
その真っただ中にいる、というよりも、
われわれも・普遍意識・原初の波動それそのものであり、
無数の形態化したものに他ならない。
そして、人間は、そう、あなたは・・その意識を自覚している者である。
自らに気付いている・・その意識は・・元をただせば、まったくの普遍(宇宙)意識なのだ。
しかしながら、この世界の多くの意識的存在たちは、
それを忘れ、ただただ、意識波動の創り上げる最も粗い波動重合形態、
つまり物質や肉体のレベルにその意識を固定しているため、
それを安住の地と定め、集団相互監視しながら、
自らの無限性・普遍性に・・気づかない状況を創り上げて来た。
余計なお世話的文章だが、これを読んでいるあなたも
実際にこの世界にいるということなのだが、どう思うだろうか。
皆がそう言うように、偶然の死んだら終わりの単なる肉体生命なのであろうか?
この世界では、意識としての自己定立原理、
I AM THAT IAM。
「われはそれなり・・」に、
「わたしは動物・肉体である・・」を当てはめて久しく、
自分は肉体であるからして、私が死んだら全ては終わりだという、
常識的な妄信を激しく信じ込むゆえに、
肉体死の後に、またまた同じ意識レベルの境遇に生まれることになるが、
肉体を超えたレベルの自己存在認識がないまま死ぬゆえに、
その情報はそのまま保存され、再び無数の記憶を忘れ去ったまま、
以前の信念・主たる想念の傾向を元に、
それにふさわしい意識投影の先に再出現するのである。
地球というカテゴリーで培った主たる想念の傾向が大であれば、
当然ながら地球というカテゴリー内のいずれかの時空環境に生誕するわけだ。
それを古くから輪廻・転生と言っている。
普遍なる者、無限なる者は、その普遍性・無限性を自らで示現する意図をもち、
無数の経験をすべく様々な形態へと自己同化もするわけだが、
その中で、意識的存在:人として自らに気付くレベルにありながら、
なるほど、それに長く気づかない状況を創り出すこともまた魂・意識の選択肢の1つであるが、
しかしながら、地球という1つの大きなカテゴリー体系の物理的側面には、
物理的であるがゆえに、相当の疲労とひずみが蓄積されたことも事実であり、
今その・・清算と解消、そして解脱の時期が迫っている・・と言えるだろう。
すくなくとも、地球という意識と、気づける人間の魂・意識は、その流れに気づくはずだ。
それを、魂が肉体の夢から覚めるとでもいおうか・・、
長く眠ってきた魂ならばなおさらに、わけのわからない、魂の自己忘我の状況のままに、
再び、われを忘れた転生に身を任せるのは、今回だけは面白くないのではないだろうか。
我々の周囲、その中も、どこもかしこも空(間)であり、
様々な物質が存在しているわけだが、
それらはすべて空(間)それ・・自体が変調して微細な渦・波動となり、
その波動の無数の集合・重合が様々な粒子、物質、人間、惑星、恒星として存在している。
無限なる空(くう)に微細に沸き起こっては消えるかに見える精妙微細な波動、
”存在のゆらぎ”ともいえる渦・波動が、原初の意識、普遍なるものともいえよう。
何もかも、素粒子も原子も、鉱物も植物も、動物も人間も・・
その真っただ中にいる、というよりも、
われわれも・普遍意識・原初の波動それそのものであり、
無数の形態化したものに他ならない。
そして、人間は、そう、あなたは・・その意識を自覚している者である。
自らに気付いている・・その意識は・・元をただせば、まったくの普遍(宇宙)意識なのだ。
しかしながら、この世界の多くの意識的存在たちは、
それを忘れ、ただただ、意識波動の創り上げる最も粗い波動重合形態、
つまり物質や肉体のレベルにその意識を固定しているため、
それを安住の地と定め、集団相互監視しながら、
自らの無限性・普遍性に・・気づかない状況を創り上げて来た。
余計なお世話的文章だが、これを読んでいるあなたも
実際にこの世界にいるということなのだが、どう思うだろうか。
皆がそう言うように、偶然の死んだら終わりの単なる肉体生命なのであろうか?
この世界では、意識としての自己定立原理、
I AM THAT IAM。
「われはそれなり・・」に、
「わたしは動物・肉体である・・」を当てはめて久しく、
自分は肉体であるからして、私が死んだら全ては終わりだという、
常識的な妄信を激しく信じ込むゆえに、
肉体死の後に、またまた同じ意識レベルの境遇に生まれることになるが、
肉体を超えたレベルの自己存在認識がないまま死ぬゆえに、
その情報はそのまま保存され、再び無数の記憶を忘れ去ったまま、
以前の信念・主たる想念の傾向を元に、
それにふさわしい意識投影の先に再出現するのである。
地球というカテゴリーで培った主たる想念の傾向が大であれば、
当然ながら地球というカテゴリー内のいずれかの時空環境に生誕するわけだ。
それを古くから輪廻・転生と言っている。
普遍なる者、無限なる者は、その普遍性・無限性を自らで示現する意図をもち、
無数の経験をすべく様々な形態へと自己同化もするわけだが、
その中で、意識的存在:人として自らに気付くレベルにありながら、
なるほど、それに長く気づかない状況を創り出すこともまた魂・意識の選択肢の1つであるが、
しかしながら、地球という1つの大きなカテゴリー体系の物理的側面には、
物理的であるがゆえに、相当の疲労とひずみが蓄積されたことも事実であり、
今その・・清算と解消、そして解脱の時期が迫っている・・と言えるだろう。
すくなくとも、地球という意識と、気づける人間の魂・意識は、その流れに気づくはずだ。
それを、魂が肉体の夢から覚めるとでもいおうか・・、
長く眠ってきた魂ならばなおさらに、わけのわからない、魂の自己忘我の状況のままに、
再び、われを忘れた転生に身を任せるのは、今回だけは面白くないのではないだろうか。