気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

転生の話(1)輪廻の終わり

2019-07-25 09:06:52 | 語り部の章
意識は宇宙全般に行き渡っている空(くう)と言っていいだろう。

我々の周囲、その中も、どこもかしこも空(間)であり、

様々な物質が存在しているわけだが、

それらはすべて空(間)それ・・自体が変調して微細な渦・波動となり、

その波動の無数の集合・重合が様々な粒子、物質、人間、惑星、恒星として存在している。


無限なる空(くう)に微細に沸き起こっては消えるかに見える精妙微細な波動、

”存在のゆらぎ”ともいえる渦・波動が、原初の意識、普遍なるものともいえよう。

何もかも、素粒子も原子も、鉱物も植物も、動物も人間も・・

その真っただ中にいる、というよりも、

われわれも・普遍意識・原初の波動それそのものであり、

無数の形態化したものに他ならない。


そして、人間は、そう、あなたは・・その意識を自覚している者である。


自らに気付いている・・その意識は・・元をただせば、まったくの普遍(宇宙)意識なのだ。


しかしながら、この世界の多くの意識的存在たちは、

それを忘れ、ただただ、意識波動の創り上げる最も粗い波動重合形態、

つまり物質や肉体のレベルにその意識を固定しているため、

それを安住の地と定め、集団相互監視しながら、

自らの無限性・普遍性に・・気づかない状況を創り上げて来た。





余計なお世話的文章だが、これを読んでいるあなたも

実際にこの世界にいるということなのだが、どう思うだろうか。

皆がそう言うように、偶然の死んだら終わりの単なる肉体生命なのであろうか?



この世界では、意識としての自己定立原理、

I AM THAT IAM。

「われはそれなり・・」に、

「わたしは動物・肉体である・・」を当てはめて久しく、

自分は肉体であるからして、私が死んだら全ては終わりだという、

常識的な妄信を激しく信じ込むゆえに、

肉体死の後に、またまた同じ意識レベルの境遇に生まれることになるが、

肉体を超えたレベルの自己存在認識がないまま死ぬゆえに、

その情報はそのまま保存され、再び無数の記憶を忘れ去ったまま、

以前の信念・主たる想念の傾向を元に、

それにふさわしい意識投影の先に再出現するのである。

地球というカテゴリーで培った主たる想念の傾向が大であれば、

当然ながら地球というカテゴリー内のいずれかの時空環境に生誕するわけだ。

それを古くから輪廻・転生と言っている。


普遍なる者、無限なる者は、その普遍性・無限性を自らで示現する意図をもち、

無数の経験をすべく様々な形態へと自己同化もするわけだが、

その中で、意識的存在:人として自らに気付くレベルにありながら、

なるほど、それに長く気づかない状況を創り出すこともまた魂・意識の選択肢の1つであるが、


しかしながら、地球という1つの大きなカテゴリー体系の物理的側面には、

物理的であるがゆえに、相当の疲労とひずみが蓄積されたことも事実であり、

今その・・清算と解消、そして解脱の時期が迫っている・・と言えるだろう。

すくなくとも、地球という意識と、気づける人間の魂・意識は、その流れに気づくはずだ。

それを、魂が肉体の夢から覚めるとでもいおうか・・、

長く眠ってきた魂ならばなおさらに、わけのわからない、魂の自己忘我の状況のままに、

再び、われを忘れた転生に身を任せるのは、今回だけは面白くないのではないだろうか。