わたしとは何か?
普通、こんな問いを発することは無い。
なぜならば、そんなこと既に知っていると思っているからだ。
そうではないか?
常識で言えば、
わたしとは--、
何年何月にどこそこで生まれ、ここまで生きて来た、個人だとそう思っている。
赤子で生まれ、成長する過程で様々な経験の記憶を持った肉体個人であると、
普通はそう思っている、と言うより、それが事実であるとしている。
つまり、ある時生れた肉体個人である。
もっと言えば、わたしはこの身体(からだ)である。
・・だって、そうじゃない?・・である。
なので、わたしとは何か?と問うことは、
この肉体である自己、肉体自我とも言うが、それを”疑う”ことを意味している。
「人間は考える葦である」とパスカルが言ったらしいが、
考える・・ことで、自己が葦である?ことを疑うという事だ。
わたしは葦(肉体)なのか?・・と。
わたし・・とは何だろう?
実は・・
これ自体が「答え」なのである。
わたしとは何だろう?・・・で人生が起きてきたのだ。
わたしとは何だろう?・・・で様々な体験が生じる。
さらには、
わたしとは何だろう?・・・で宇宙が出現する。
I am THAT・・・わたしは・・それ、
それとは?・・何?、え、何で?なんで?
それが実は、あらゆる顕現の”発意・動意”である。
根源は、自らを知ろうとして無数の宇宙を創り出す。
あれか?これか?・・
自らが無限ーーそのものーーであるがゆえに、
その、あれやこれや・・顕現も無限に展開するのだ。
あなたはいつも見ているではないか。
ミクロ、マクロ、生活、人々、環境、大自然、宇宙。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/848dd56b6b340f2c2f6c2a98fe05e671.jpg)
I am THAT・・I am
わたしは・・わたしである・・こと、そのもの、
全てが自己完結でありながら、数限りなく、無限に展開する。
それが・・真のわたし・・である。
今の肉体個人である・・と信じ込んでいるあなたも、実はそれだ。
この世界に肉体を持って生まれる・・という人生設定に基づき、
その世界の常識をそのまま信じている状況は、
わたしは--肉体個人である・・という想念形で固まっていることを意味する。
深く思い込んでいることで、それそのもの、
つまり儚き肉体個人として・・現れている・・。
言い換えれば、
無限なるわたしは・・結局・・自己自身の創造をしているのだが、
それが実に小さく儚いレベルに集約している・・だけなのである。
身体を維持するため悪戦苦闘していたとしても、
人生に常に不安を感じていたとしても、
あるいはこの世の常識の刷り込みの影響宜しく、
気付かず知らず、生きては死ぬを繰り返していたとしても・・。
しかしながら、今はもう気付く時が来た。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と、
チコちゃんに叱られる時が来たのである(笑)
気付かねば、同じ輪のまま、別の輪廻を生じさせ、
もし真に気付けば、古い輪廻を脱することで、
さらに、より自由自在にわたしを表現できる境涯となる。
自由とは・・おのれに由り、そして在る・・ことで、
外からの・他者からの縛りや支配に由る必要がなくなるということだ。
I am THAT I AM.
人生の生まれ変わり、人格の形成・・、
わたしとは・・あれだ!これだ!
特定の何か、何様かに特化することが、自己投入、あるいは次元降下である。
本来は無限であるがゆえに、有限・極限も可能となる。
わたし・・とは何だろう?
実は・・これ自体が「答え」なのである。
従って、その答えは無い・・、いや、あるいは無数、無限にあるのだ。
わたしとは何か?・・を深く問いかければ、それだけ、
わたしとは無限者である・・ことが解るだろう。
人とはその途上にある意識存在の事である。
普通、こんな問いを発することは無い。
なぜならば、そんなこと既に知っていると思っているからだ。
そうではないか?
常識で言えば、
わたしとは--、
何年何月にどこそこで生まれ、ここまで生きて来た、個人だとそう思っている。
赤子で生まれ、成長する過程で様々な経験の記憶を持った肉体個人であると、
普通はそう思っている、と言うより、それが事実であるとしている。
つまり、ある時生れた肉体個人である。
もっと言えば、わたしはこの身体(からだ)である。
・・だって、そうじゃない?・・である。
なので、わたしとは何か?と問うことは、
この肉体である自己、肉体自我とも言うが、それを”疑う”ことを意味している。
「人間は考える葦である」とパスカルが言ったらしいが、
考える・・ことで、自己が葦である?ことを疑うという事だ。
わたしは葦(肉体)なのか?・・と。
わたし・・とは何だろう?
実は・・
これ自体が「答え」なのである。
わたしとは何だろう?・・・で人生が起きてきたのだ。
わたしとは何だろう?・・・で様々な体験が生じる。
さらには、
わたしとは何だろう?・・・で宇宙が出現する。
I am THAT・・・わたしは・・それ、
それとは?・・何?、え、何で?なんで?
それが実は、あらゆる顕現の”発意・動意”である。
根源は、自らを知ろうとして無数の宇宙を創り出す。
あれか?これか?・・
自らが無限ーーそのものーーであるがゆえに、
その、あれやこれや・・顕現も無限に展開するのだ。
あなたはいつも見ているではないか。
ミクロ、マクロ、生活、人々、環境、大自然、宇宙。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/848dd56b6b340f2c2f6c2a98fe05e671.jpg)
I am THAT・・I am
わたしは・・わたしである・・こと、そのもの、
全てが自己完結でありながら、数限りなく、無限に展開する。
それが・・真のわたし・・である。
今の肉体個人である・・と信じ込んでいるあなたも、実はそれだ。
この世界に肉体を持って生まれる・・という人生設定に基づき、
その世界の常識をそのまま信じている状況は、
わたしは--肉体個人である・・という想念形で固まっていることを意味する。
深く思い込んでいることで、それそのもの、
つまり儚き肉体個人として・・現れている・・。
言い換えれば、
無限なるわたしは・・結局・・自己自身の創造をしているのだが、
それが実に小さく儚いレベルに集約している・・だけなのである。
身体を維持するため悪戦苦闘していたとしても、
人生に常に不安を感じていたとしても、
あるいはこの世の常識の刷り込みの影響宜しく、
気付かず知らず、生きては死ぬを繰り返していたとしても・・。
しかしながら、今はもう気付く時が来た。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と、
チコちゃんに叱られる時が来たのである(笑)
気付かねば、同じ輪のまま、別の輪廻を生じさせ、
もし真に気付けば、古い輪廻を脱することで、
さらに、より自由自在にわたしを表現できる境涯となる。
自由とは・・おのれに由り、そして在る・・ことで、
外からの・他者からの縛りや支配に由る必要がなくなるということだ。
I am THAT I AM.
人生の生まれ変わり、人格の形成・・、
わたしとは・・あれだ!これだ!
特定の何か、何様かに特化することが、自己投入、あるいは次元降下である。
本来は無限であるがゆえに、有限・極限も可能となる。
わたし・・とは何だろう?
実は・・これ自体が「答え」なのである。
従って、その答えは無い・・、いや、あるいは無数、無限にあるのだ。
わたしとは何か?・・を深く問いかければ、それだけ、
わたしとは無限者である・・ことが解るだろう。
人とはその途上にある意識存在の事である。