希望している何かが得られた時は、
誰でもうれしいと感じるものだ。
「あー良かった、良かった・・嬉しい・・」
そんな思いが沸き上がるものだ。
誰でも経験しているはずである。
例えば、子供のころに欲しいものがあって、
親に買ってもらったとか、お金ためて手に入れたとか、
希望校に受かったとか、恋する人も自分を好いていると知ったとか、
そういう瞬間は、有頂天になるくらい、実にうれしいものである。
希望する何かが実ったとき、
あるいは手に入ったとき、
人は「幸せ」を感じるということだ。
そうではないか?
ところで、多くの人は毎日のように、実は幸せを感じてはいない。
毎日毎日、「あー幸せだ・・」などとはつゆとも思えず、
逆に、年がら年中、私は不幸だ・不機嫌だと思っているかもしれない。
人によっては、そんなに不幸とも思わないかもしれないが、
少なくとも、何かが少し不安で仕方ないかもしれない。
そうではないか?
お金が十分でないから?
愛する誰かがいないから?
ライバルに負けているから?
やたら忙しいばかりで暇がないから?
子育てが終わっていないから?
ローンがまだまだ残っているから?
家族の中が不和だから?
・・
こういう、様々な条件が・・満たされていない、
そういう現状を見て、「どこが幸せなんじゃい!」
そう思っているかもしれない。
そして、それが正しいと思っているのかもしれない。
条件が満たされなければ、決して幸福ではない・・!と。
つまりは、自分を幸福ではないと「密かに」宣言しているわけだ。
あれが無い、これが無い、まったく足りない、・・・
だから幸せではない・・!
なので、幸せになるために・・あれを求め、これを貯め、
さらにこれを集めて・・それを手に入れる・・まで、
不幸のどん底にいる・・というわけだ。
とはいえ、不幸のどん底といっても、
別に生きるの死ぬのというレベルではないが、
少なく見積もっても、
「今は決して幸福ではない!」・・・
そう思っているのである。
違うだろうか?
馬の前にニンジンをぶら下げられて、
永遠にそのニンジンを追いかけている馬のようなものだ。
だって!、お金ほしいじゃないの・・!
誰でもセレブになりたいのとちやう?
地位は高いほどいいというじゃないか?
そういう世の中なんだから仕方ないじゃないの?
それとも、あんただけ別とでもいうのか?
周りの人に聞いたらいい、みんなそう言っているよ・・。
・・
とあくまでもそう思っているのである。
いつ仕込まれたかわからない様々な条件を、
金科玉条のように奉っている。
幸せには条件が付くものだ、
その条件が満たされていないからには、
まったく幸せではない・・。
そういう固まった常識観念に気づけるだろうか。
そして、だから、いつも不幸で当たり前。
というか、実感として、いつもまったく幸福なんかではなく、
それどころは、どこかいつも不安なのである。
でも同時に、その不安を嫌っているのだ。
これはマインドでできた閉鎖ループというものだ。
あなたは閉鎖ループの中で、
気づかず知らず、とはいえ、それほどでもなく、
でも、昔からもがいてきたのかもしれない。
だからいつも、外側の何かを探し、誰かに期待し、
自分に好都合な・・何かが外から起きることを、
ひそかに待ち望んできた。
自らのマインドで、自らを閉じ込めて、
外の何かのせいにして、
そうして、外の何かが変わるのを、
「心待ち」にしていたということだ。
OH! NO!(笑)
・・・
幸せは人によって異なるとも言われるが、
それは人によって望みが異なるからなのだが、
ところで、望みが叶うことが幸せだと・・
それだけが幸福を感じるものだと・・いったい誰が言ったのか?
責任者はどこかの総理大臣か?
どこかの大統領か?
いつもながら、責任者は誰もいない。
あなたの人生にあなた以外に責任者などいるわけもない。
その深い意味を感じ取ってもらいたい表現だが、
わたしとして生まれたのは・・わたし・・しかおらず、
生まれてきた、この世界、
わたしの意識する世界には、わたししかいない。
わたし以外に、わたしの見晴るかす無限の宇宙に、責任者など、どこにもいないのである。
創造主の顕れ方は・・実に・・意外であり、かつ「粋(いき)」ではないか?(大笑)
しかしながら、あなたの「鏡」である他の人たちも、
まったく同じようにそうなのである。
かように、
宇宙で唯一のわたし・・達・・、
とんでもなく奇跡的な存在である・・わたし・・は、
まったく無条件に幸福である以外になにがあろう?
今すでにそれ、まさしく幸せなのだ。
比較も、勝ち負けも、大小も、すべてマインドの作った幻想。
今この瞬間・・いま・・瞬間ゼロでは、マインドは存在していない。
しかしながら、その今の連続によって、
マインドは幻想のごとく展開し浮かび上がるのだ。
それが多次元宇宙となって、
多くの遊び場を提供しているのである。
マインドとは悟りの階梯、十牛全図でいうところの、牛さんだったように、
地球というこの次元世界は、マインド(こころ)を習得するための魂の遊び場、
お花畑も修羅場も含んだ、大いなる遊び場だったのである。
そう、今までは。
誰でもうれしいと感じるものだ。
「あー良かった、良かった・・嬉しい・・」
そんな思いが沸き上がるものだ。
誰でも経験しているはずである。
例えば、子供のころに欲しいものがあって、
親に買ってもらったとか、お金ためて手に入れたとか、
希望校に受かったとか、恋する人も自分を好いていると知ったとか、
そういう瞬間は、有頂天になるくらい、実にうれしいものである。
希望する何かが実ったとき、
あるいは手に入ったとき、
人は「幸せ」を感じるということだ。
そうではないか?
ところで、多くの人は毎日のように、実は幸せを感じてはいない。
毎日毎日、「あー幸せだ・・」などとはつゆとも思えず、
逆に、年がら年中、私は不幸だ・不機嫌だと思っているかもしれない。
人によっては、そんなに不幸とも思わないかもしれないが、
少なくとも、何かが少し不安で仕方ないかもしれない。
そうではないか?
お金が十分でないから?
愛する誰かがいないから?
ライバルに負けているから?
やたら忙しいばかりで暇がないから?
子育てが終わっていないから?
ローンがまだまだ残っているから?
家族の中が不和だから?
・・
こういう、様々な条件が・・満たされていない、
そういう現状を見て、「どこが幸せなんじゃい!」
そう思っているかもしれない。
そして、それが正しいと思っているのかもしれない。
条件が満たされなければ、決して幸福ではない・・!と。
つまりは、自分を幸福ではないと「密かに」宣言しているわけだ。
あれが無い、これが無い、まったく足りない、・・・
だから幸せではない・・!
なので、幸せになるために・・あれを求め、これを貯め、
さらにこれを集めて・・それを手に入れる・・まで、
不幸のどん底にいる・・というわけだ。
とはいえ、不幸のどん底といっても、
別に生きるの死ぬのというレベルではないが、
少なく見積もっても、
「今は決して幸福ではない!」・・・
そう思っているのである。
違うだろうか?
馬の前にニンジンをぶら下げられて、
永遠にそのニンジンを追いかけている馬のようなものだ。
だって!、お金ほしいじゃないの・・!
誰でもセレブになりたいのとちやう?
地位は高いほどいいというじゃないか?
そういう世の中なんだから仕方ないじゃないの?
それとも、あんただけ別とでもいうのか?
周りの人に聞いたらいい、みんなそう言っているよ・・。
・・
とあくまでもそう思っているのである。
いつ仕込まれたかわからない様々な条件を、
金科玉条のように奉っている。
幸せには条件が付くものだ、
その条件が満たされていないからには、
まったく幸せではない・・。
そういう固まった常識観念に気づけるだろうか。
そして、だから、いつも不幸で当たり前。
というか、実感として、いつもまったく幸福なんかではなく、
それどころは、どこかいつも不安なのである。
でも同時に、その不安を嫌っているのだ。
これはマインドでできた閉鎖ループというものだ。
あなたは閉鎖ループの中で、
気づかず知らず、とはいえ、それほどでもなく、
でも、昔からもがいてきたのかもしれない。
だからいつも、外側の何かを探し、誰かに期待し、
自分に好都合な・・何かが外から起きることを、
ひそかに待ち望んできた。
自らのマインドで、自らを閉じ込めて、
外の何かのせいにして、
そうして、外の何かが変わるのを、
「心待ち」にしていたということだ。
OH! NO!(笑)
・・・
幸せは人によって異なるとも言われるが、
それは人によって望みが異なるからなのだが、
ところで、望みが叶うことが幸せだと・・
それだけが幸福を感じるものだと・・いったい誰が言ったのか?
責任者はどこかの総理大臣か?
どこかの大統領か?
いつもながら、責任者は誰もいない。
あなたの人生にあなた以外に責任者などいるわけもない。
その深い意味を感じ取ってもらいたい表現だが、
わたしとして生まれたのは・・わたし・・しかおらず、
生まれてきた、この世界、
わたしの意識する世界には、わたししかいない。
わたし以外に、わたしの見晴るかす無限の宇宙に、責任者など、どこにもいないのである。
創造主の顕れ方は・・実に・・意外であり、かつ「粋(いき)」ではないか?(大笑)
しかしながら、あなたの「鏡」である他の人たちも、
まったく同じようにそうなのである。
かように、
宇宙で唯一のわたし・・達・・、
とんでもなく奇跡的な存在である・・わたし・・は、
まったく無条件に幸福である以外になにがあろう?
今すでにそれ、まさしく幸せなのだ。
比較も、勝ち負けも、大小も、すべてマインドの作った幻想。
今この瞬間・・いま・・瞬間ゼロでは、マインドは存在していない。
しかしながら、その今の連続によって、
マインドは幻想のごとく展開し浮かび上がるのだ。
それが多次元宇宙となって、
多くの遊び場を提供しているのである。
マインドとは悟りの階梯、十牛全図でいうところの、牛さんだったように、
地球というこの次元世界は、マインド(こころ)を習得するための魂の遊び場、
お花畑も修羅場も含んだ、大いなる遊び場だったのである。
そう、今までは。