魂は例えて言えば、あらゆる意識・エネルギー・波動の根源とも言えるだろう。
聖書には始めに「言葉」ありき、つまり意識と波動があったと記されているように、
また人が何事かを行為する以前においては、先ず明確な意識と意図があるように、
またあらゆる物質といわれるものは、波動、エネルギーに還元されるように、
宇宙を顕している「全一性」は、
無限に微小から無限大に至るところの、
無限相に及ぶ波動形態を示している。
「言葉」とは、単なる音声のことではなく、「想いが乗った波動」という意味である。
それはシンプルで深遠な原理、つまりあらゆるものは「波動」ということだ。
見る物、聞くもの、触るもの、あらゆる事物は「波動」によって生じている。
そして、人の目に見える事象、物質は、その波動周波数帯域のほんのごく一部である。
先端物理学でのひも理論、超ひも理論は、素粒子以下のレベルの「弦」のようなエネルギー振動で宇宙を説明しようとするものだといえるだろう。
波動には最大から最小に及ぶ周波数があり、周波数帯域がある。
我々の知っている範囲の原子核は、全て電磁波動エネルギーの局所化した姿であると言える。
人間の体も動物も植物も、岩も土地もあらゆる物質形態は、(電磁)波動エネルギーということだ。
それが証拠に、原子は電磁波動を吸収したり放出したりして、別の核種、物質に変わってゆく。
これは、電磁波動の吸収・放出によって物質組成が変わることを意味している。
・・・
また、さらに高次元的波動である、人の想いもまた波動であり、波動であるからこそ、以心伝心やテレパシックな意思の疎通、直観による事実把握が出来るのである。
想念つまり思考や感情も「波動」なのだ。
あなたやわたしたちの思い描くイメージや感情さえも「波動」なのである。
頭の中で何かを描くことが出来るだろう?
毎日、毎瞬行っていることだ。
他人へのイメージや感情、時折思い出す風景さえも、その波動帯域の中で実際に存在しているのである。
「思念波動」は電磁波動ではないが、スマホやTVの画面を描くシステムと同じように、よく言われる表現であるが、精妙極まりない多次元層での波動システムによっているのだ。
想念波は、電磁波のような物質密着レベルでない<相>というか、高い次元というか、そういう帯域にある波動と言えるだろう。
・・・
この想念も波動であることはバクスター効果といわれるものでも理解できる。
犯罪心理学の専門家であったアメリカのバクスターは、たまたま植物に「ウソ発見器の電極」を付けたところ、植物が人間の想いに強く反応することを発見したのである。
そう、想いやイメージも、多次元宇宙というか、空(くう)というか、その波動帯域に存在しているものへの同調と受信、送信なのである。
無限の存在波動域のことを多次元宇宙といい、また様々な「部分周波数帯域」のことをそれぞれの世界と言っていいだろう。
多次元宇宙には、様々な宇宙があり、恒星や惑星があるのは、多くの部分周波数帯域、チャンネルがあるということを暗示している。
それぞれの衛星TVや通信システムが多チャンネルを持っているようなものである。
・・・
あらゆるものが波動として存在しているわけで、
その波動で構成されているこの世界が、実は幻想であるという言い方も、
この地上の人類世界は、つまり波動で描き出されている、3次元的スクリーンに過ぎないということの謂いである。
平均的な人類の認識している波動域が、ごく一部の物質密着的なものだということだ。
幻想といっても、何もぼんやりしたような「幻想」という意味ではなく、常に千変万化する波動世界であるという意味なのだ。
魂・意識は同じく、
無限の可能性を有する、あるいは無限層で構成される多次元「波動」といってもいいだろう。
その在り方は、まさにいわゆる宇宙創造主というか神というか、根源生命というか、宇宙存立の原理というか、
それとまさしく同じものである。
あなたである「宇宙の一部」は、・・・本質において・・・宇宙そのものである。
物理的、計測的、3次元的な認識では、人など無限大の宇宙の単なる微小片と観てしまうが、
それは極めて低い次元認識であり、何g、何m等という大きさ・重さの物量的な物差しを
当てているに過ぎないのである。
・・・
想いや感情、イマジネーションなどは、どこにもどんな制約もない。
そして、それらこそが生活や文明、物質的表現形態の「原因」でもあることに、
今は多くの人々が少しづつでも気付き始めた段階であり、
いわゆる物質性を超えた、精神性の重要度に再び気付き始めた段階である。
それはまた、魂の表現形が、内在する無限の波動域の、さらにより高い波動域にその「意識の軸足」を移行する時期であると言えるだろう。
簡単に言えば、想いや感情で表出されるところの「魂」の波動周波数が、低い振動域から高い周波数に移行することである。
映像システムが白黒TVからアナログTVへ、そして地上波デジタルへとより高周波数帯域に移行したように、
あらゆる宇宙の、あらゆる生命表現形は、低い周波数から、それらを含みながらも、より高いより広い波動エリアに拡大進化するようになっているのである。
繰り返しになるが、今は、もうその時なのである。
魂の無限性に気付くか、気づかないか、そのどちらかだと言えようか。
聖書には始めに「言葉」ありき、つまり意識と波動があったと記されているように、
また人が何事かを行為する以前においては、先ず明確な意識と意図があるように、
またあらゆる物質といわれるものは、波動、エネルギーに還元されるように、
宇宙を顕している「全一性」は、
無限に微小から無限大に至るところの、
無限相に及ぶ波動形態を示している。
「言葉」とは、単なる音声のことではなく、「想いが乗った波動」という意味である。
それはシンプルで深遠な原理、つまりあらゆるものは「波動」ということだ。
見る物、聞くもの、触るもの、あらゆる事物は「波動」によって生じている。
そして、人の目に見える事象、物質は、その波動周波数帯域のほんのごく一部である。
先端物理学でのひも理論、超ひも理論は、素粒子以下のレベルの「弦」のようなエネルギー振動で宇宙を説明しようとするものだといえるだろう。
波動には最大から最小に及ぶ周波数があり、周波数帯域がある。
我々の知っている範囲の原子核は、全て電磁波動エネルギーの局所化した姿であると言える。
人間の体も動物も植物も、岩も土地もあらゆる物質形態は、(電磁)波動エネルギーということだ。
それが証拠に、原子は電磁波動を吸収したり放出したりして、別の核種、物質に変わってゆく。
これは、電磁波動の吸収・放出によって物質組成が変わることを意味している。
・・・
また、さらに高次元的波動である、人の想いもまた波動であり、波動であるからこそ、以心伝心やテレパシックな意思の疎通、直観による事実把握が出来るのである。
想念つまり思考や感情も「波動」なのだ。
あなたやわたしたちの思い描くイメージや感情さえも「波動」なのである。
頭の中で何かを描くことが出来るだろう?
毎日、毎瞬行っていることだ。
他人へのイメージや感情、時折思い出す風景さえも、その波動帯域の中で実際に存在しているのである。
「思念波動」は電磁波動ではないが、スマホやTVの画面を描くシステムと同じように、よく言われる表現であるが、精妙極まりない多次元層での波動システムによっているのだ。
想念波は、電磁波のような物質密着レベルでない<相>というか、高い次元というか、そういう帯域にある波動と言えるだろう。
・・・
この想念も波動であることはバクスター効果といわれるものでも理解できる。
犯罪心理学の専門家であったアメリカのバクスターは、たまたま植物に「ウソ発見器の電極」を付けたところ、植物が人間の想いに強く反応することを発見したのである。
そう、想いやイメージも、多次元宇宙というか、空(くう)というか、その波動帯域に存在しているものへの同調と受信、送信なのである。
無限の存在波動域のことを多次元宇宙といい、また様々な「部分周波数帯域」のことをそれぞれの世界と言っていいだろう。
多次元宇宙には、様々な宇宙があり、恒星や惑星があるのは、多くの部分周波数帯域、チャンネルがあるということを暗示している。
それぞれの衛星TVや通信システムが多チャンネルを持っているようなものである。
・・・
あらゆるものが波動として存在しているわけで、
その波動で構成されているこの世界が、実は幻想であるという言い方も、
この地上の人類世界は、つまり波動で描き出されている、3次元的スクリーンに過ぎないということの謂いである。
平均的な人類の認識している波動域が、ごく一部の物質密着的なものだということだ。
幻想といっても、何もぼんやりしたような「幻想」という意味ではなく、常に千変万化する波動世界であるという意味なのだ。
魂・意識は同じく、
無限の可能性を有する、あるいは無限層で構成される多次元「波動」といってもいいだろう。
その在り方は、まさにいわゆる宇宙創造主というか神というか、根源生命というか、宇宙存立の原理というか、
それとまさしく同じものである。
あなたである「宇宙の一部」は、・・・本質において・・・宇宙そのものである。
物理的、計測的、3次元的な認識では、人など無限大の宇宙の単なる微小片と観てしまうが、
それは極めて低い次元認識であり、何g、何m等という大きさ・重さの物量的な物差しを
当てているに過ぎないのである。
・・・
想いや感情、イマジネーションなどは、どこにもどんな制約もない。
そして、それらこそが生活や文明、物質的表現形態の「原因」でもあることに、
今は多くの人々が少しづつでも気付き始めた段階であり、
いわゆる物質性を超えた、精神性の重要度に再び気付き始めた段階である。
それはまた、魂の表現形が、内在する無限の波動域の、さらにより高い波動域にその「意識の軸足」を移行する時期であると言えるだろう。
簡単に言えば、想いや感情で表出されるところの「魂」の波動周波数が、低い振動域から高い周波数に移行することである。
映像システムが白黒TVからアナログTVへ、そして地上波デジタルへとより高周波数帯域に移行したように、
あらゆる宇宙の、あらゆる生命表現形は、低い周波数から、それらを含みながらも、より高いより広い波動エリアに拡大進化するようになっているのである。
繰り返しになるが、今は、もうその時なのである。
魂の無限性に気付くか、気づかないか、そのどちらかだと言えようか。