人間は、主に肉体、精神(こころ)、霊(魂・実体)の複合体であるといえる。
それらは全て、空(くう)の中に生じている波動の諸階層、生命表現の多次元階層を示している。
空間ではなく、空(くう)は様々な波動、無限小から無限大までの振動率で満ちているがゆえに、ここ、そこにおいて様々な周波数域が生じている、つまり多次元構造なのである。
根源意識、ソース、神及びその個別表現であるところの魂・意識は、その多次元構造の全き中心なのだといえるだろう。
あなたのお馴染みのこの表層世界は、その外縁部の周波数域といえるのだ。
我々は敢えて、存在世界の1つの層あるいは周波数帯域を体験しているのである。
それはTVやラジオなどの周波数チャンネルと似ていることは周知であろうか。
もっとも、、現実の周波数メディアは、固定観念を更に垂れ流すだけの媒体に成り下がっており、それを観てきゃーきゃー騒ぎに参加している御仁達は、他者の想念を追いまわしつつ、結局は無意識レベルに甘んじているのだが・・・。
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いわゆる3次元レベル、物質顕現レベル、表層肉体レベルは多次元波動帯域の1つの次元層であり、波動的にはもっとも遅い振動率を有するものと言えるだろう。
だから重いし、極めて不自由なのだ。 そうだろう。
そして、その次元レベルでそれを克服する意図から、本来の科学技術が生じている。
それにより間接的ながら、より早く車で移動し、航空機で空を飛び、情報機器によってより広く知識を得ることが出来るわけだ。
しかしながら、それで心が安心しあるいは幸福感が出るわけでもない。
そういう意味では、今の時代はこの3次元レベルにこだわった観念の中で、より本来の自由自在性を演出する方向の最終段階にあるとも言えるわけであるし、
物資的範疇にこだわる文化文明としては、その物質顕現レベルでの飽和点に来たとも言えるだろう。
物質、肉体、物量的存在認識レベルから、さらにこころや、また更に周波数の微細な霊的領域にまでその認識範囲を広げなければならない時なのである。
いやもう、既に飽和点は通り過ぎて、古い観念世界は終わりかけているのが現状なのだ。
ひょっとしてあなたも、多分薄々ながらも気付いているだろうか。
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肉体レベル、物質レベルの上位というか、原因層というか、それは何かといえば、それは想念、思考のレベルである。
あなたの「想い」がそれである。
しかしながら、未だ多くの人々は自らにもっとも近いところの、自らの「想い」すら十分に「気づいて」いないかもしれない。
自らを作り出してゆく「想い」という創造エネルギーに、十分「気付いて」いないかもしれないということだ。
眼に見えないものは存在しないという固定観念、言わば愚か極まりない唯物観念そのものが自らの想念に気付かせないベールとなっている。
あなたは自分の中に何重にも囲われた「固定観念」に気付けるだろうか?
当たり前の常識の『ウソ』に気付くこと・・・これは魂にとっての、実に・・・・重大な仕事なのだ。
なるほど、想念は「肉眼」視の出来る次元のものではないが、それはいわゆる「意識」そのものの意図、内容であり、
人は誰もそれに間違いなく気づいているのだが、ところが、
ご丁寧に、まことしやかに教育されてきた物質的常識観念というものがある為に、
「想い」などは単なる頭脳の抽象的な産物であるかのようにふるまっているわけである。
違うだろうか?
想念はそれが抽象的な産物どころか、
自らを作り上げてゆく青写真、原因、シナリオであるなどとは露とも思っていない、
あるいは動物を高度にした知的能力に過ぎないと・・・思わされているということである。
それこそが、様々な枝葉末節に満ちただけの「世間常識」というものだ。
肉眼に見えないとされる想念が・・・いったい何の役に立つ?
すぐお金になるの?
それに、難しそうな顔をした、欧米の権威や学者達はそんなこと言っていないよ。
・・とまあ、こんな感覚が無意識に出てくるようなものであろう。
そんな風に、 そして、
そんなことより、肉体五感の反応や、肉体護持、飯を喰うことが第一だとか、目先の刹那的な在り方の方にだけ、
要は、その自・・・意識を、奪われているわけなのである。
それは常識観念フィールドという、皆で仲良く浸かっている「呪縛観念」のマトリクスのようなものと言って良いかもしれない。
ところが多くは、そのマトリクスのなかで、皆で安心しきっているつもりが、実は全然安心でなく、いつも周りの動向を窺がいながら、
出来るだけ自己保身を維持しよう、有利な位置に浮かぼうと、まさに汲汲となっているわけではないのだろうか。
一般大衆、政治家、官僚、ビジネスマンに関わらず、大枠はそういうマインドパターンで終始しているのであろうか。
そしてどこか不安を持ちながら、それを何とかしてくれるはず・・の救世主が、どこかの統領であり大臣や政府というものであると期待しているのならば、
それは全くの誤解であることは、嫌というほど経験したはずではないのだろうか。
いやそれとも、未だに外の何かがあなたを、あなたの都合の良い方向に・・・・勝手に想いをくみ取ってより良き方向に導いてくれると未だに・・・「信じ」ているのだろうか。
「いやまあ・・ほんと、実にあほらしい」と・・判然と悟る時ではなかろうか。
・・・・・・・
大きく言えば・・・・、今人類がもっとも優先して行うべきことは、
人の毎瞬・毎瞬の想い、想念、信念こそが、その人及び周囲環境を創っているという事実を観ることである。
人の想いが、想念が表情となり言葉となり、表現となり行為となり、直接的、間接的な引き寄せや吸引経験となることに、気付けるだろうか。
思いの質・パターンと、出来事、経験の相関関係を自らで真剣に検証したことはあるだろうか?
自己の想念を観察するような行為をしたことがあるだろうか?
それらは過去生や現世や来世などという、「あなた」の幾多の生命表現パターンの青写真ともなっていることに、はたして気付けるだろうか。
余計なお世話だが、根本にあるその時の主たる想いの質、・・・・これこそが、あなたにもっとも近い、無限に近い創造原理の顕れの方向指示器であることに気付くべきである。
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毎瞬毎瞬、自分で青写真を描き続け、自らを演じ、自らを創造している事実を厳然と観るまでは、
偶然の事象やら事件、不可効力的な出来事や、外の脅威や支配、争い等という招かれざる状況に「巻き込まれて」しまうことにもなる。
霊的幼児のごとく、外の何かにすがり、外の何かを頼り、外の何かに期待をすることは、
それが当たり前だとする風潮や支配構造を創りだしてゆき、
いつまでたっても外の世界を批判、批難するだけの子羊で終始することになるではないか。
それはまるで魂進化のアウトソーシング?のような、自らの創造原理を誰かに委託するようなものであろうし、
またその架空の委託料金を払う破目になり、いつも羊の毛をむしられて、寒い思いをしなければならない。
あなたやわたし達が「神」だとか神の子だとか、次元を超えた実体、魂だとか言うのは、
自らの存在、在り方そのものが「創造原理」そのものであるという事を意味している。
それぞれの「わたし」とは何か?
それは自らを創造してゆく法則そのものなのである。
法則は物質やら現象やらを生み出す、高位の原理そのものであるわけで、
物質形態やら、現象やらに振り回されるものではないのだ。
どうして物量やら物証やら、形レベルの証拠提示を待ち続ける必要がある?
物資やら物量やら金勘定やら、そして現象としての肉体が、創造の原因であり得ようか?
あらゆる現象の背後にある原因そのもの、あるいは理念、想念そのものそれが法則というものだ。
I am that I am!
わたしは・・・わたしである・・・と<想起>するところの・・それ・・そのものである。
これは物質、エネルギーとその表現形態、現象を・・・生み出す・・・・「法則」を述べたものであり、
その創造の原理、あるいは法則そのもの、それがあなたやわたし達の実体なのである。
更新間隔が開いてしまいましたが、
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。