これから起きること、と言っても別に予言をするでもなく、全てわかっているわけでもないのだが、あらゆる現象の背後にある一定のパターンを読み取ることで、事の本質をどこか察知することは可能なのである。
例えば、昔現代国語という授業で、ここに書かれている文章の「主題」は何かという問題に対して、その答えを見出すようなものである。
国語の回答は単なる教科書の文言中からの主題の抽出であるが、人生や社会、世界の中からそういうテーマというか事の本質を見出すのも、それほど難しいことでもないかもしれない。
例えば世界の出来事を知らせる報道やニュース映像、ネット情報等の普通の表現の裏にある実に微妙な意図や宣伝、あるいは洗脳情報と言った事がらにもしっかり気付いていることで明らかになるかも知れない。
外側から無償で来る情報、勧誘、お誘い、それらのほとんどは、その外側の利益に供するものであることは知っていよう。
簡単に言えば、一生懸命に宣伝していることは、即ちその宣伝側の利益の為なのだという事である。
現状の人間社会においては、あらゆるところに、この自己宣伝・自己利益誘導パターンが行き渡ってしまったわけで、例えばTVラジオでは当たり前の宣伝、コマーシャルであるが、
要は、情報にもお金をかけて、投資して、その情報によって人を動かして利益誘導し回収するということが、世界全般で当たり前になっているという事である。
肝心な点は、単なるビジネス、企業活動のみならず、社会行政、国家運営においても、法の縛りを除く部分ではそれが、当たり前になっているということである。
だから今その邪魔な法の縛りさえも外そうとしているのだが、気づいているだろうか。
オー、マイ、ゴッド!
なるほどこれは、宣伝、投資と回収という、資本主義としては当たり前の行為であり、ただちに嘘と断定されるような愚を避ければ、なんとでも虚飾することが出来るわけである。
要するに、宣伝あるいはパフォーマンスとは・・・そこにいかに過大な価値があるように見せるか、いかに真実があるように虚飾するかということである。
従って、そういう世界に氾濫する情報の類は全部とは言わず、多くが特定の集団、組織、団体あるいは個人の投資行為であり、また期待される利益回収のためのものである。
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最近クローズアップされている様々な政治経済の動きは、TPP、軍事増強、増税、福島原発事故の状況等、全てがそこから来ているのである。
要は、一般民衆、諸国民の為のパフォーマンスではないという事なのだ。
我々がどこか理想的にイメージしている、あるいはそうあるはずだという公共福祉、国民の為の国民による政府や政治だという幻想、事ここに及んでは、実に様々な人間や組織のドロドロの思惑の「利益誘導行為」であるということがわかるはずである。
古き・・そしてどこか良き時代は・・・すでに終わっているのである。
TV、ラジオ、新聞、ネットニュース・・・本来そういうものは観察すべきものであり、そこに真実があると思ってはならない類のものである。
自己のこころ模様の微妙な影や襞を観ることが出来るならば、そういう外側の世界の背面にある闇の部分も理解できるはずなのだ。
そういう、真実よりも宣伝を事実として架空に提示するような活動を観るにつけ、ある意味でそれがバレバレになった時代に至り、
資本主義でも代表されるような、自己利益、自己存続に特化したような、そういう時代は既に終わったという事が分るだろう。
そう、古いそれは、今音を立てて崩れているのであるが、その耳障りな崩壊音、それがわかる人にはどこかすべてが悪くなっていると感じるものである。
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以上は、これからの消えゆくところの社会情勢を観るうえで1つの重要な観点であるはずだ。
決して全てとは言えないが、世界の宣伝される活動の多くが、自己利益のための宣伝、投資そして回収というパターンに成り下がってしまったということ。
そういう行き過ぎた自己存続や自己主張が、行き着くところまで行けば、そういう者同士が最初は水面下でそして表立って戦いを始め、結局は相互消滅に至ることにもなるだろう。
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例えば、福島原発の状況経過はどうであろうか?
どこかの偉い人?が約2年前に収束宣言をしたのだが、そういう一時の心理的効果以外は、さらにどんどん悪くなっているようではないか。 そして、そういう情報は公でははっきり宣伝がなされないのである。
宣伝・喧伝、情報開示されないから・・・それは無いのだということになっているかもしれないが、それは実際に在るということに・・・・嫌でも応でも自らで気づかなければならない。
こういう事が実にあらゆる所にあるという事、これが最も重要な混乱する世界の背後状況である。
(この写真は宣伝と実際の出来事を如実に示すものだろう。)
他者宣伝あるいは洗脳などというものからでなく、自己で認識すべしという・・・根本的な霊的ステージの一大テーマである。
それは各自で・・独自で自己認識、感得するべきものなのだ。
そして世界はそういう霊的な気付きの問題の真っただ中にあり、そして、またそれはもう足早に過ぎ去ろうともしているのである。
西洋の諺にいわく、幸運の女神には・・・後ろ髪はないということだ。
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例えば、福島原発に関して、未だに放射能漏れが続いているということは、
以前の収束宣言、あれも虚飾の類であり、国民を鎮めようというお為ごかしの発言であるが、それはギリギリ崖っぷちに立っている人々に対して、安心をさせようとして?、安全だからどんどん歩け・・と言っているようなものである。
おいおい、人々を安心させて崖下に転落させようとするのか? ということだ。
あるいはそれに対して、有名大学や有名企業にはどんなことでもできそうな権威や技術がありそうで、実はほとんどないという現状はどういうことだ。
往夫にして学者は頭だけの世界に閉じこもりつつ、何か偉そうな権威を張りつつ、尊敬されて豊かな生活の維持に固執し、企業は生き残りのためだけの自己利益活動に邁進しているだけではなかろうか。
福島原発の周囲に、出来れば濾過装置、空調付のシールド防護壁さえも建築しようとしないのは、お金か技術的な不足が故なのか・・・・費用対効果を見誤った計算によっているのだろうか。
つまり、どうしようもないことにお金や知恵は使えないという事なのか。また政府が乗りだせば政府が責任者として追及される状況証拠をつくるとでも恐れているのか。
あるいは起きた事故をめったにない研究事例として放置するつもりなのか。
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今、事故が起きた原発で何をやっているかと言えば・・・、水で永遠に冷却しようとしているだけだと聞く。
それも高度で最先端の技術ではなく、真面目な作業員の働きに依存しているという。
当時の経営者連中は全て責任取って?(笑)、外国に逃げたとも言われている。
それでは毎日何百トンの汚染水が出るのは当然だし、その放射能汚染を浄化する技術も今はそこにはない。日本のどこかにそういう技術はあっても、それを採用しよう、何でもやってみようという英知やまた真剣な意図もないのであろう。
従って、何十兆ベクレル、といってもなかなかピンと来ないが、次第に次第に太平洋、大気圏へと拡散しているということだが、目に見えないということで無いものにしたいという幼児的希望で誤魔化しているのだろうか。
これは他人事にするようで、また言い過ぎかもしれないが、自らのカルマを他者に押し付け、あまつさえそれを直視せず、先延ばしにしている停滞する魂たちの特徴ではないだろうか。
そのうち、世界に拡散した放射能による生命の棄損が学術的に証明され、ある時点で宣伝され、数多くの他国の子供達や自然という生態系への悪影響の補償を要求されたら、一巻の終わりである。
それもまた、ゆすりたかりの材料に化けもするのだ。・・・だから逃げたくもなるだろう、そういう事である。
頃合いを見計らって、多分に、・・・世界中から訴訟の嵐で攻め込まれるかもしれない。
現在起きている様々な人為的行為による地球生態系への影響を証明する煩雑さに比べれば、ある時からの放射能の影響を検証するのは比較的容易であろう。
そうなれば、ことは一電力会社のせいだけに済ませることなどできるわけもなく、それを推奨した政府や支持政党、ひいては主権者と言われる国民全員のつけに回されることは火を見ないでも明らかだろう。
第1次、第2次大戦後のあのドイツの戦後賠償の比ではないはずである。
話しはそれるが、国民の1400兆円とも言われる金融資産を、ほぼ使い切ってしまった感がある日本国債の負債残高1000兆円の比でもないだろう。それらも・・・いつの間にか宣伝・喧伝に乗せられて積み上がった・・・・『国民の負債』と言われている?のであるが、あなたはその負債の自覚があるだろうか?
いいや、あるはずもないだろう。あなたが決めて債権を購入しているわけでもないからだ。
そうではあっても、銀行に預けるとか、保険に掛けるとか、あるいはそういう間接的なものではあっても、直接民主制でない場合は・・・間接的に国民が行っている事・・・そういう事になるのである。
知っていただろうか?
同じように、B層とか言われるどこか律儀で、真面目で人を信じやすい大勢の人たちの『つけ』を、いつの間にか作ってくれている者たちがいるということは、もういい加減に気づいて良いころである。
政治であろうが経済であろうが、精神の輝きのない単なる物質的な組織ならば、それが時が経つにつれて腐ってゆくことは良く知っているはずである。
今の時期にそういう事実に気付くという事は、それらがもう終わっているという事に気付くという事なのだ。
銭・金・財物で事を終始することなどできない世界になっているということ。
それでも、なんとか・・がんばれ・・・の時代は過ぎているのである。
あの大東亜戦争の終戦日のような、古い観念の全てを手放さなければならない時期がもうじき来るはずである。
・・・・
核の話にもどるが、
悪意満面の核爆弾に2度まで洗礼され、その核を廃絶するという原動力たりうべき唯一の国のはずが、逆に自ら呼び込んだ第3の核によって荒廃するなんぞは、実にどんなに愚かなことであろうか。
こと『核』に関するものの選択を誤れば、確実にそのつけがまわってくるだろうし、その時こそ全ての終わりの終わりとなるのだ。
実のところ全ては・・・、今までの物質繁栄至上主義のその観念のなせる業(わざ)である。
そして、そのカルマ・・・業(ごう)が出てきているということだ。
そのことに否応なく気づける者たちが増加するということは、逆に救いでもありまた深い意味がある。
世界のあちこちに生起している悲惨で愚かで、無知蒙昧極まりない事象も、・・・現れるべくして現れているのであって、これを回避し続け、気づかぬふりをし続け、他者や他国を責めてばかりいる組織、集団、国家等は、
カルマの刈り取りもままならぬまま、再び寄せては返す波のような、そんな荒い繰り返しの世界に在り続けるのも仕方のないことなのであろう。
カルマとは身から出た錆、あるいは克服すべき霊的テーマ、魂の重要なステップでもあるのだ。
宿題はを回避し、何か別にありそうな理由を掲げて無駄をするよりも、また他人の汚れたふんどしを洗う行為よりも、自己のマインドの中でおのれ自身を潔く洗ってしまう事である。
苦しいからと言って、決して下手な理屈や物質的財貨で補われるものではない。
今そこにある見えつつある新しい世界は、あなたや私たち一人ひとりの中で、今までの古き価値観念をいったんすべて捨てなければ見えることもないかもしれない。
なるほど、その手から一旦捨てなければ、新しいものはつかむことが出来ないのが道理である。
また捨てて、つかむものとは・・・、決して銭金財物ではなく、新しき嬉しき、喜ばしき、愛深き自らの想いのことである。
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自我、自己都合からでなく、より大きな大きな枠組みから観るならば、
今から起きる、そして起きている様々な事象は、1人1人のこころの浄化、清浄化を促す為の切なる宇宙の願いからなのかもしれない。
そうであれば、どうして自らのこころの浄化する努力をしないでおけようか。
意識ある人々の世界の原点は・・・・その人々以外になく、それぞれの観照する世界は同時に存在しているように見えるが、それは独立した原点が集合しているだけのことであり、相互干渉はないのであることに気付いていよう。
外からの宣伝・喧伝と、それを鵜呑みにする幼き想念こそがその干渉を生み出すのである。
想いや価値観で自ら縛られない限り、絡みまくった濁流に無意識的に巻き込まれることもありはしない。
人々は誘いに応じて眠り続けてレミングの群れになるか、そうでないかの選択能力、意識的意識を有しているのである。
だからこそ、・・・それぞれが宇宙の共同創造者という事なのだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。